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東京地方裁判所 昭和46年(刑わ)6773号 判決

目次

主文

理由

第一節 認定した事実

第一款 犯行前の一般的な事情

(1) 被告人両名の経歴

(2) いわゆる欠陥車問題の発生と推移

(3) 被告人両名の出会いと欠陥車問題に関係するに至った経緯

(4) ユーザーユニオンの設立とその活動

(5) ユーザーユニオンの運営資金の状況

(6) 被告人両名の活動と自動車製造、販売会社に対する影響

第二款 犯行

第一 本田技研工業株式会社に対する犯行

(1) 犯行に至る経緯

(2) 罪となるべき事実

(3) 喝取した金員の処分状況

第二 日産自動車株式会社に対する犯行

(1) 犯行に至る経緯

(2) 罪となるべき事実

第三 トヨタ自動車販売株式会社及びトヨタ自動車工業株式会社に対する犯行

その一(トヨタDA貨物自動車関係の事件)

(1) 犯行に至る経緯

(2) 罪となるべき事実

(3) 犯行後の状況

第四 日野自動車販売株式会社に対する犯行

(1) 犯行に至る経緯

(2) 罪となるべき事実

(3) 犯行後の状況

第五 日産デイーゼル販売株式会社に対する犯行

(1) 犯行に至る経緯

(2) 罪となるべき事実

第六 トヨタ自動車販売株式会社及びトヨタ自動車工業株式会社に対する犯行

その二(コロナマークⅡ乗用自動車関係の事件)

(1) 犯行に至る経緯

(2) 罪となるべき事実

第二節 証拠の標目〈略〉

第三節 法令の適用

第四節 弁護人の主張に対する判断

(1) 社会適合行為(犯罪構成要件不該当)の主張について

(2) 権利行使行為ないし弁護士の正当業務行為(違法性阻却)の主張について

第五節 被告人両名の情状

主文

被告人安倍治夫を懲役三年に処する。

被告人松田文雄を懲役二年に処する。

訴訟費用は、全部被告人安倍治夫及び同松田文雄の連帯負担とする。

理由

第一節  認定した事実

第一款 犯行前の一般的な事情

(1)  被告人両名の経歴

(被告人安倍の経歴)

被告人安倍治夫は、大正九年四月二日北海道で出生し、昭和一八年九月東京帝国大学法学部法律学科を卒業して海軍経理学校に入校し、海軍主計大尉となつたが、同二〇年終戦により復員し、翌二一年三月同大学法学部政治学科に学士入学し、同二四年三月卒業した。同年四月司法修習生となり、二年間の修習を経て、同二六年四月検事に任命され、その後各地の地方検察庁の検事、法務事務官、法務総合研究所教官などを歴任して、同四一年三月福岡地方検察庁総務部長となつたが、翌四二年一月末日退職した。

検事在任中、米国ハーバード大学に留学し、各種の国際会議にも数回出席し、あるいは米国ミシガン大学の招聘講師となり、また、刑事訴訟法その他刑事法等に関する研究論文及び著作を多数発表し、さらには吉田石松の再審申立事件に力を貸すなど、多彩な活動をした。

昭和四二年三月に第二東京弁護士会所属の弁護士となり、以来今日まで弁護士の業務に従事している。その間同四四年五月から本件起訴後まで東京都千代田区飯田橋四丁目四番八号東京中央ビル四〇五号に安倍法律事務所(以下、「安倍法律事務所」というときは、この事務所を指す。)を設けていた。昭和四六年一一月二日本件の被疑事件により逮捕されるに至るまで、日本弁護士連合会の人権擁護委員会委員及び公害対策委員会委員等をし、さらに後記のとおり、昭和四五年四月被告人松田とともに「日本自動車ユーザーユニオン(以下、「ユーザーユニオン」又は「ユニオン」という。)を設立し、その監事兼顧問弁護士となつた。

(被告人松田の経歴)

被告人松田文雄は、大正一五年一二月一日福井県で出生し、昭和二二年三月彦根工業専門学校機械科を卒業し、その後約一年間同校機械科研究生として自動車工学を学んだ後、さらに約一年間滋賀大学経済学部の特別聴講生となり、同二四年四月上京して日進印刷工業株式会社に入社し、同二五年七月からは極東米軍司令部東京輸送部に車両関係の技術員として勤務した後、同二九年一〇月同司令部を退職して防衛庁技官となり、航空自衛隊の術科学校における自動車工学、車両の整備及び管理技術の教育等の職務に従事したが、同三六年三月に退職した。同年四月日産自動車株式会社(以下、「日産自動車」というときは、同会社を指す。)に技術員として入社し、サービス部技術課に勤務し、その後同四二年六月からはサービス部品質情報課品質情報総括班の班長となり、車両のクレーム処理関係等の業務を担当していたが、同四三年八月末日同社を退職した。その後、同四四年三月ごろまで日刊自動車新聞社に勤務し、同新聞に掲載する技術記事の企画、監修等に従事した。被告人松田は、日産自動車を退職するころから、自動車保有者の団体を結成して、自動車に関するクレーム処理等の一種の消費者運動を推進することを意図していたが、後記の経緯により同四五年四月被告人安倍とともにユーザーユニオンを設立し、その専務理事兼事務局長となつて現在に至つた。

(2)  いわゆる欠陥車問題の発生と推移

昭和四四年五月二八日付朝日新聞、毎日新聞、産経新聞の各紙上に、ニユーヨークタイムズ紙の報道として、米国内で販売されている日産自動車製造の乗用車ブルーバード及びトヨタ自動車工業株式会社(以下、「トヨタ自工」というときは、同会社を指す。)製造の乗用車コロナに欠陥があるのに、両社がこれを公表しないで秘密裡に回収している旨の記事が掲載された。

当事右記事を見た朝日新聞東京本社社会部次長竹内宏は、当時同本社首都部に所属して交通事故関係の取材を担当していた記者伊藤正孝に対し、右報道にかかる問題につきさらに掘り下げて取材するように命じ、その取材に基づいて、同年六月一日付の朝日新聞紙上に「欠陥車なぜ隠す、国内でも極秘の修理」、「日産、トヨタを米紙が批判、安全性より営業優先」などの見出しのもとに、昭和四三年型ブルーバードには燃料パイプからのガソリン漏れ、同年型コロナにはブレーキパイプの腐蝕、マスターシリンダーの液漏れの欠陥があること、日産自動車及びトヨタ自動車販売株式会社(以下、「トヨタ自販」というときは、同会社を指す。)は、これを公表せずに秘密裡に回収していることなどを内容とする批判的記事が大々的に掲載された。

このようなことが発端となつて、いわゆる欠陥車問題が広く世人の関心と注目を集めることになつた。そして、昭和四四年六月六日には、運輸省自動車局長から社団法人日本自動車工業会会長及び日本自動車輸入組合理事長あてに、型式指定自動車その他の自動車について、その構造もしくは装置の不良に基づく事故が発生し、又は発生するおそれがある場合には、その種の事故の発生を防止するため、早急に自動車使用者に対し「自動車の構造又は装置の欠陥及びその改善措置」についての「周知徹底を図るための適切な措置を講」ずるよう通達され、また、そのころから国会の衆議院及び参議院の各運輸委員会においても、各自動車製造会社の責任者等を参考人として喚問するなどして、欠陥車問題について活発な審議が行われたが、これらのことが大々的に報道され、世人の関心をいっそう高めた。

ところで、わが国では、自動車の欠陥(自動車の使用上事故が発生し、もしくは発生するおそれのある構造又は装置の((不良材質の不良を含む。))で、その原因が設計又は製造過程にあるものをいう。以下同じ。ただし、法令の用語については、この限りでない。)に対する方策として米国において行われているようないわゆるリコール制度はなく、新車の発売発表前に運輸省によつて型式審査が行われ、さらに販売後に法定の車両検査が忠実に実施される以上、車両の使用方法に適正さを欠くことがないかぎり、自動車の欠陥による事故が発生するおそれはないとの建て前のもとに、各自動車製造、販売会社(ここにいう「販売会社」とは、いわゆる元売り業者を指す。以下同じ。)では、新車発売後に重要保安部品等に欠陥ないし不具合(自動車の使用上事故が発生するおそれがあるに至らない構造又は装置の不良をいう。以下同じ。必ずしも原因の所在を問わない。)があると判明した場合でも、これを公表せず、いわゆるアフターサービスとしてその回収、修理を行うにとどまつていた。しかし、その後前記のとおり欠陥車問題が社会的に大きく取り上げられ、運輸省から前記通達が発せられるに及んで、各自動車製造、販売会社でも、昭和四四年六月中旬ごろからようやく自己の製造、販売車両の重要保安部品等の欠陥ないし不具合があるときは新聞等を通じてこれを公表し、その回収、修理を行うようになつた。

そして、昭和四四年八月三〇日に至り、運輸省は、道路運送車両法に基づく同省令の型式指定規則を一部改正して、「設計又は生産過程に起因する欠陥に対する措置」として、指定自動車の製作者に対し、当該指定自動車の構造、装置又は性能が道路運送車両法の保安基準に適合しないことが判明した場合、又は適合しなくなるおそれがある場合において、その原因が設計又は生産過程にあると認めたときは、すみやかに、当該指定自動車について生じた欠陥の状況及びその原因、当該欠陥及びその原因に対する改善方策、右の事項を当該指定自動車の使用者及び自動車分解整備事業者に周知させるための措置を運輸大臣に届け出るとともに、届出があつた場合には、毎月その改善方策の実施状況について同大臣に報告すべきものとされ、同省令は同年九月一〇日から施行されることによつて、ここにいわゆるリコール制度が実現した。

このような経過で欠陥車問題が社会的に広く取り上げられるにつれて、新聞等の報道機関は、いつせいに欠陥車問題の取材、報道に力を入れ、以後長期間にわたり自動車製造、販売会社に対する活発な批判、攻撃(以下、「欠陥車キヤンペーン」というときは、この批判攻撃を指す。)を行うようになつた。

この間にあつて、被告人松田は、前記昭和四四年六月一日付朝日新聞の記事の発表された直後、みずから連絡をとつて同新聞社の前記伊藤記者及び同記者とともに欠陥車問題の取材を担当していた記者鈴木孝雄と接触し、同人らに対し、同被告人が日産自動車在職当時に知得していた同社製造にかかるマイクロバス・ニツサンエコーのプロペラシヤフト脱落による事故の情報をひそかに提供したが、同記者らが同情報に基づいて取材した結果が同月六日付の朝日新聞紙上に「こつそり欠陥車回収、日産のマイクロバス設計ミスの見方も」との見出しのもとに大々的に報道され、これが以後各新聞等によつて長期間繰り返して行われることとなるニツサンエコーないし日産自動車・批判の発端となつた。

一方、本田技研工業株式会社(以下、「本田技研」というときは、同会社を指す。)が昭和四二年に軽四輪乗用車ホンダN三六〇(以下、「ホンダN三六〇」又は「N三六〇」という。)の発売を始めたころ、同社の販売代理店に対する営業政策の変更に意見が合わず、これに反発して、同社の販売代理店から、同社と営業上対立競争関係にある鈴木自動車工業株式会社(以下、「鈴木自工」という。)の販売代理店に転向した自動車販売店のうち、十数社の経営者は、「旧全国本田会」を結成し、しばしば会合を開いて、相互の親睦、結束を図るとともに、右販売店のうちの数社から本田技研に対して提起していた営業権侵害等を理由とする民事訴訟についての情報の交換と対策の検討、本田技研に対抗して自己らの営業実績を拡充するための方策の検討などを行い、また、自動車の業界新聞の記者佐藤哲男と緊密な連絡をとつて本田技研に対する批判攻撃記事の情報をひそかに提供するなどして来たが、昭和四四年春ごろ名称を「SS研究会」と改め、そのころには会員は一七名になつていた(そのうち若干名の経営する販売店では本田技研の製造車両をも販売していた。)。

このようなSS研究会会員の中にあつて、福岡市にある九州スズキ販売株式会社の社長内野庄八及び大阪市にあるスズキ販売株式会社の社長長尾豊の両名は、ともに旧全国本田会結成の当初から同会の中心的人物として行動していたが、朝日新聞の前記伊藤記者は、昭和四〇年ごろ同新聞社福岡総局に勤務していた当時取材を通じて内野と面識があつたところから、同記者は、欠陥車問題の取材を始めた昭和四四年六月初めごろ内野に連絡し、本田技研関係資料の提供方を依頼した。内野はSS研究会の会員に働きかけて、本田技研が販売代理店に配布していた「四輪ニユース」等の資料を発見してこれを伊藤記者に知らせ、伊藤記者は、このようにして入手した資料により、N三六〇のステアリング系統に整備すべき箇所があつてその回収、修理がなされた事実等を探知し、この事実を同月一四日付朝日新聞紙上に「運転者まるで試験台、ホンダNシリーズ、発売を急いだ花形車、二八万台に欠陥」との見出しのもとに報道し、以後各新聞等によつて長期間繰り返し、かつ大々的に行われることとなるN三六〇ないし本田技研批判の発端を作つた。

また、SS研究会では、欠陥車問題が社会問題として大きく取り上げられて来たことを契機に、本田技研を批判、攻撃するための手段として、N三六〇の不良箇所を公表することを決め、あらかじめ内野を通じて前記伊藤記者の助力を得て、同月一六日東京都内のホテル・ニユーオータニで記者会見をし、本田技研整備専門工場(略称「ホンダSF」)から入手した同社品質管理課作成の緊急クレームの指示書に基づき、N三六〇にはさきに同社が公表したリコール箇所以外に三七箇所の欠陥がある旨発表し、各新聞は翌一七日これをいつせいに報道した。また、そのころ、SS研究会では、自動車製造、販売会社に対抗するため、米国の自動車誠実法にならつて日本でも同種の立法を促進する運動を起こそうと企図して、「自動車デイラーの地位強化、自動車事故多発の防止、健全な自動車ユーザーの団体の育成強化、大自動車メーカーの独占的政策による横暴の抑制」を要綱に掲げて自動車誠実法期成同盟を結成し、同年七月一一日には東京都内をデモ行進し、運輸省に陳情するなどの行動に出たが、このこともまた各新聞紙上に報道された。

その後、後述のとおり、SS研究会の長尾及び内野の両名は、前記伊藤記者を通じて被告人安倍と知り合つて緊密な間柄となり、自動車製造会社、特に本田技研を批判、攻撃するという点で被告人両名と共通の利害関係を有していたところから、被告人両名の欠陥車問題に関する後記の活動を、資金の援助、情報の提供等の方法により裏面から積極的に支援する役割を果たすことになつた。

(3)  被告人両名の出会いと欠陥車問題に関係するに至つた経緯

被告人松田は、前記のとおり、昭和四四年六月初め、欠陥車問題の新聞発表を契機にいちはやく朝日新聞の前記伊藤、鈴木両記者らと接触し、同人らに自動車に関する各種の情報を提供するとともに、かねてから自己が企図していた自動車に関する消費者運動の構想を説明し、これを実現するための助言、協力方を同人らに依頼したりしていた。

ところで、大阪府岸和田市に住む道済信幸は、昭和四三年二月二日、同府貝塚市南方の国道二六号線道路において、ホンダN三六〇(購入後一〇日目の新車)を指定最高速度を約三〇キロメートル超過する時速約八〇キロメートルで運転中、操縦の自由を失い、横転滑走して同乗者一名を死亡させ、他の同乗者二名を負傷させる事故(以下、「道済事故」という。)を起こし、そして、同事故につき速度超過及びこれに伴うハンドル操作の過誤があつたとして業務上過失致死傷罪に問われ、みずからもその罪責を認めて同年一二月二四日大阪地方裁判所岸和田支部において禁錮一年、三年間執行猶予の有罪判決を受け、同判決は同四四年一月八日確定したが、同年六月以降、前述のとおり、欠陥車問題が社会的な問題として取り上げられ、ひいてN三六〇の欠陥を報ずる新聞記事を見るに及んで、自己の起こした前記事故も車両の欠陥に基因するものではなかつたかとの強い疑念を抱くようになり、自己の雇主林善三(セーター製造卸業者。後述のとおり、後にユーザーユニオン岸和田支部長、ホンダN三六〇全国被害者同盟委員長となる。)に相談して、同人とともに右有罪判決に対する再審申立の能否を検討し、事故車両のN三六〇の購入先である岸和田市所在の自動車販売業車政モーターズ(経営者中谷政信。同社はサブデイーラーとして、前記長尾豊の経営するスズキ販売株式会社とも取引があつた。)に対しても善後策を講ずるよう申し入れるなどしていた。林は、同年七月初めごろ、朝日新聞大阪本社を通じて前記伊藤、鈴木両記者らに連絡をとり、同記者らに道済事故の情報を提供し、前記再審申立の能否及びその方策について相談した。

伊藤記者は、以前同新聞社福岡総局在勤中に当時福岡地方検察庁に勤務していた被告人安倍と知り合い、その後も同被告人と交際があつたが、右のように林から相談を受けるや、すぐさま道済の前記業務上過失致死傷被告事件の裁判記録の写しを入手したうえ、再審事件の取扱いに詳しい被告人安倍に同記録写しを渡して、道済の再審申立の能否につき意見を求めるとともに、再審申立をする場合に弁護人を引き受けるように依頼した。

被告人安倍は、検討の結果、再審申立が認容される可能性もあるとの意見を有するにいたつたものの、当初その申立の弁護人を引き受けることを躊躇した。しかし、伊藤記者から林の強い希望を伝え聞き、また、同記者自身の強い要請を受けたことから、同記者に対し、自動車の欠陥の有無について鑑定する能力のある自動者技術者の協力を得られること、並びに鑑定に供するための車両として道済事故のN三六〇と同時期に製造された、車体番号の近接する車両を入手することの二つの条件が充たされるならば、再審申立の弁護人を引き受けてもよいとの意向を表明した。

伊藤記者は、右第一の条件を充たす自動車技術者として被告人松田が適当であると判断し、その承諾を得て昭和四四年七月中、下旬ごろ、安倍法律事務所において被告人安倍に被告人松田を引き合せた。また、同記者は、右第二の条件を充たすため、すでに欠陥車問題の取材等を通じて接触していたSS研究会の中心人物前記長尾豊に、被告人安倍の希望に沿うN三六〇車両の入手手配方を依頼してその承諾を得た。そして、同年七月末から八月初めにかけて、伊藤記者の手引きにより、右長尾及び同人とともにSS研究会の中心人物であつた前記内野庄八が被告人安倍と知り合うようになつたが、両名は、被告人安倍に対し、前記再審申立その他同被告人の行う欠陥車摘発の活動に援助協力することを約束した。そのころ、被告人安倍の紹介により被告人松田も長尾と知り合うようになつていた。

このようにして、被告人両名は、相協力して道済事故についての再審申立の準備にとりかかることになつたが、被告人安倍において道済事故の現場を調査する一方、被告人松田において、N三六〇の発売開始当時自動車雑誌「モーター・フアン」に掲載された同車のロードテストの結果に関する自動者工学者や、本田技研のN三六〇の設計担当者らによる座談会記事等の文献を資料として、N三六〇に操縦性(走行中の自動車が操舵に対応して動く性質をいう。以下同じ。)及び安定性(走行中の自動車の運動が外乱や多少の操舵などによつては乱され難い性質をいう。以下同じ。)不良の欠陥があるとする内容の「初期ホンダN三六〇の高速域における安定性能についての批判的考察」と題する鑑定的意見書の原稿を作成し、被告人安倍もこれに筆を添えたうえ、朝日新聞の前記鈴木記者の紹介により自動工学を専攻する東京芝浦工業大学助教授小口泰平の閲読を経て、被告人松田名義で同意見書を完成させた。そこで被告人安倍は、同意見書を新たな証拠として、同年九月二七日、みずから道済信幸の弁護人となつて大阪地方裁判所岸和田支部に再審の申立をし、翌二八日の朝日新聞紙上にこのことが大々的に報道された(ちなみに、同事件は、その後大阪地方裁判所本庁に回付され、昭和五〇年四月同裁判所において、申立の理由がないとして、棄却の決定がなされた。)。

なお、右再審申立に先立ち、あらかじめ、道済信幸と同人にN三六〇を販売した前記車政モーターズの経営者中谷政信との間で、林善三を立会保証人として、「中谷の要請による合意のある場合のほかは、道済において一方的に訴訟の取下げをしない。」との条件のもとに、「再審並びに民事訴訟の勝訴、敗訴にかかわらず、中谷が訴訟費用並びに弁護士に要する一切の費用を負担し、道済は金銭的な負担は負わない。」旨の契約書が作成され、同契約に基づき中谷から道済に対し、昭和四四年一〇月から一二月にかけて数回にわたり合計百万円余が支払われ、同金員は、後記テスト車両の購入資金、被告人安倍の交通費、後記「道済君を援ける会」の費用等に用いられたが、同資金は、もともと前記長尾の経営するスズキ販売株式会社から中谷を通じて支払われたものであつた。

被告人安倍は、右再審申立事件の証拠としてN三六〇の走行テストによる実験資料を得るため、前記のとおり伊藤記者を通じて長尾に依頼して道済の使用していたN三六〇と車体番号の近接したN三六〇二台を入手し、被告人松田にそのテストを求めた。被告人松田は、前記小口泰平助教授に依頼して、昭和四四年一一月下旬ごろ東京都東村山市所在通商産業省工業技術院機械試験場村山分室試験場において、さらに同年一二月下旬ごろ茨城県筑波郡谷田部町所在財団法人日本自動車研究所のテストコースにおいて、それぞれ右N三六〇二台を使用し、他社の製造にかかる軽四輪乗用車数種と比較しつつ、その操縦性及び安定性に関する走行テストを実施し、その結果、N三六〇には、他車種に比べてロール率(0.5Gの求心加速度で定常円旋回した時の車体の傾き角度をいう。以下同じ。)の大きいこと、手放し方向安定性テスト(直進走行時にハンドルを急操舵したあと、手放してその後の自動車の運動の収まり方を見る試験をいう。以下同じ。)におけるヨーイング(自動車の進行中車体が左右に頭を振る現象をいう。以下同じ。)の収斂度が悪いこと、旋回の際にパワーオフした時の巻込み現象が過大であること等が判明したが、右テストによつては、同車両に事故を発生させるに至るほどの操縦性、安定性不良の欠陥があるとするだけの結果は得られなかつた。

(4)  ユーザーユニオンの設立とその活動

被告人松田は、前述のとおり、日産自動車退職当時から自動車保有者の団体を結成して自動車に関するクレームの処理、欠陥その他自動車の品質についての情報の公表等を行う、一種の消費者運動を進めたいと意図し、朝日新聞の前記伊藤記者らにその実現のための援助、協力方を求めたりしていたが、前記のような経緯で被告人安倍と知り合い、同人とともに欠陥車問題に直接関係を持つに至り、折から欠陥車問題が社会的に広く取り上げられ、一般の自動車保有者も欠陥車問題に深い関心を示し始めた情勢を見るに及んで、この機会を捉えて、かねての意図を是非とも実現したいと念願するに至つた。

一方、長尾豊らを中心とする前記SS研究会においても、前記のとおり、自動車誠実法期成同盟を結成し、自動車保有者の団体の育成強化をその運動要綱の一つに掲げていたが、長尾は、前記の経緯で被告人両名を知るに及んで、両名、特に被告人安倍を中心に自動車保有者の団体が結成され、自動車に関する消費者運動が行われることになれば、SS研究会ないし期成同盟の目的にも合致すると考え、被告人安倍にその旨働きかけ、昭和四四年秋ごろには、大阪府選出の国会議員塩川正十郎を会長、被告人安倍を副会長、被告人松田を事務局長、前記小口助教授を技術顧問等とする「日本自動車ユーザー連盟結成案」を作成して被告人安倍に示したりしている。

このようなことがあつて、被告人両名は、そのころ、相協力して、自動車製造、販売会社に対抗して自動車の欠陥摘発、クレーム処理等を行うことにより自動車保有者の利益を擁護することを目的とする自動車の消費者団体を設立することを決意し、その資金は被告人安倍において調達することにし、とりあえず昭和四四年一二月下旬東京都渋谷区恵比寿西一丁目二番一号所在エビスマンシヨン三〇一号室を借り受けて事務所とし、同団体設立の準備を始めた。当時欠陥車キヤンペーンの取材を通じて被告人両名と深く接触していた朝日新聞の前記伊藤、鈴木の両記者も、右団体の設立について種々の助言や意見を被告人両名に述べていた。

そして、翌昭和四五年二月ごろ、被告人両名は、伊藤記者が提案した「日本自動車ユーザーユニオン」の呼称を右団体の正式名称として採用し、被告人松田は、そのころ雇い入れた二名の従業員とともに、ユーザーユニオンの機関誌となる「ジヤツクフ」の編集を進め、同年四月初めごろ大日本印刷株式会社(以下、大日本印刷という。)にその創刊号九万五、〇〇〇部の印刷を注文した(なお、「ジヤツクフ」は、その後、号によつては「ジヤツク」と題されたこともある。)。他方、被告人安倍はユーザーユニオンの設立、運営のための資金調達に奔走する一方、かねて面識のあつた衆議院議員で当時通商産業省政務次官であつた小宮山重四郎にユーザーユニオンの会長を就任方を、また知人の弁護士赤鹿勇に理事長、参議院議員山高しげり及び元最高裁判事下飯坂潤夫に各理事就任方をそれぞれ要請し、その了承を得た。そして、被告人松田が専務理事兼事務局長、被告人安倍が監事兼顧問弁護士に就任して、同年四月二〇日、機関誌「ジヤツクフ」の創刊号発行と同時にユーザーユニオンを正式に発足させることにし、芝プリンスホテルに報道関係者を集め、会長小宮山重四郎も出席のうえ、被告人松田において設立を発表し、そのことが各新聞等により報道された。

ユーザーユニオンは、いわゆる任意団体(権利能力なき社団)であるが、その役員は、被告人両名を除いて、いずれも名目のみであり(なお、小宮山重四郎はユニオン発足約一か月後に会長を辞任し、その後任は補充されないままになつていた。)、ユーザーユニオンの運営はすべて被告人両名によつて行われていた。ユーザーユニオンの従業員としては、そのころは七名ないし五名の者が雇われ、被告人松田の指揮監督のもとに機関誌の編集、クレーム相談、共済物資の販売及び経理事務等に当たつていた。

そして、ユーザーユニオンに入会申込書を提出して会費一年分三千六百円又は三年分一万円を納入した者(個人及び団体)はその会員とされ、会員には機関誌が毎月郵送されるほか、ユーザーユニオンの斡旋でガソリン、自動車部品等のいわゆる共済物資を廉価で購入できる特典が与えられ、その保有する車について苦情があるときはユーザーユニオン職員にクレームについて相談してその処理を委任することができることになつていた。会員数は、漸次増加し、被告人両名が逮捕される直前には千七百数十名に達していた。会員のほか、書店において機関誌「ジヤツクフ」を一年分以上継続購読する旨の証明を得た者は、ユニオンの準会員とされ、ガソリンを除く共済物資購入の特典を与えられていたが、その数は前記同時期において約二〇〇〇名近くになつていた。

ユーザーユニオンには、その発足と同時に岸和田支部(前記林善三が支部長となつた。)、昭和四五年六月ごろ京都支部(後記のとおりニツサンエコーの事故につき日産自動車の社長らを告訴した小林一樹が支部長となつた。)、同四六年六月ごろ横須賀支部(後記のとおりトヨタDA一一〇トラツクのクレームによる損害賠償金の名目下にトヨタ自工から多額の金員を取得した北原義胤が支部長となつた。)などがそれぞれ結成されたが、これらの支部は、会員の獲得、事故の調査、ユーザーユニオン本部に対する情報の提供などを行つていた。

ユーザーユニオンは、定款上自動車に関する調査研究、公正な情報の提供及び啓蒙教育などを通じて自動車ユーザーの利益を擁護することを目的とするとされたが、実際上は機関誌「ジヤツクフ」の発行、会員及び準会員に対する自動車部品等の共済物資の販売、会員等からのクレーム相談の処理等を主たる事業として行つていた。

機関誌「ジヤツクフ」は、月刊で、ユーザーユニオンにおいて行つた自動車の走行テストの結果その他自動車の品質に関する各種の情報等が掲載され、被告人松田のほか、被告人安倍も「クレーム相談」の等の表題で毎号記事を執筆し、朝日新聞の前記鈴木、伊藤の両記者も、寄稿、あるいは座談会の司会等の形で同誌の製作に協力していた。同誌は毎月会員に郵送配布されるほか、取次店を介して全国の各書店で定価一冊三百円で販売された。創刊号は九万五、〇〇〇部を印刷したものの多数が売れ残り、また、ユーザーユニオンの資金事情もあつて、漸次発行部数を減らし、昭和四五年一〇月以後は、発行部数も毎月一万部前後となつたが、毎月の販売実績は、売行きが良好であつた場合でも、会員郵送分を含めて約五、〇〇〇部程度であつた。

共済物資の販売は、東京丸善実業株式会社、小池商店等から、ガソリン、ワツクス、不凍液、タイヤ等の自動車の用品や部品を仕入れ、市価より廉価で会員及び準会員(ただし、ガソリンは会員のみ)に販売していた。

会員からその保有車両に関するクレームの相談があつた場合には、原則として、その会員から、車両に関する紛争解決について一切の権限をユーザーユニオンに委任する旨のクレーム委任状を徴し、被告人松田ないし従業員の田永真人らにおいて、申し出のあつた各クレームについて技術的判断を加えたうえ、その内容に応じ、自動車製造、販売会社あるいは販売代理店等にクレームの解決処理方を交渉して、部品の交換、修理等の措置をとらせる等の処理をしたが、会員からは交通費、電話料等の実費を徴収するなどにとどまつた。しかし、クレームの事案が法律的紛争に発展し、あるいは金銭的要求を伴う場合には、弁護士法違反に問われることを懸念して、被告人松田から被告人安倍にクレームの内容を通報し、同被告人が被告人松田と協力して自動車製造、販売会社ないし販売代理店との交渉に当たり、解決案件については、依頼者から、その取得した金額の一割ないし二割を、弁護士報酬の名目で、実質はユーザーユニオンの資金として、受領していた。会員以外の者からクレームの相談があつた場合には、入会の手続をさせたうえ、右同様に取り扱つていた。

このようにして処理、解決されたクレーム案件は多数にのぼり、そのうち、自動車製造、販売会社ないし販売代理店等から自動車保有者に金銭を支払うことにより解決されることになつた案件は、本件犯行分を除くと、本田技研、東洋工業株式会社、富士重工株式会社「以下、「富士重工」という。)、トヨタ自販等六社を相手方とし、ホンダN三六〇など一一車種、二十数件に及び、一件当たりの支払金額は十万円から五十万円のものが多かつたが、負傷事故を伴つた案件については一件五百万円とか九百万円のものもあり、解決金として相手方から支払われた金額は総額で二千三百万円を上回つていた。特に本田技研とは、同社の関連会社である株式会社本田技術研究所取締役森潔らを相手として、昭和西六年初めから同年九月までの間クレーム連絡会議と称して前後二二回の折衝が行われ、同年三月以後一〇件の案件が解決され、これにより本田技研が支払うこととなつた金額は、負傷事故を伴つた一案件についての五百万円を含めて合計八百万円余に及んでいた。そして、これらの案件の解決にあたつて作成される示談契約書には、示談内容及び当該車両の性能等について双方秘密を守る旨の条項が設けられるのが常となつていた。

(5)  ユーザーユニオンの運営資金の状況

被告人両名は、右のようにしてユーザーユニオンを設立して事業を行つたが、もともと設立、運営に当てるべき格別の自己資金は準備していなかつた。当初、被告人両名の間で、同資金は当分の間被告人安倍がすべて調達することにし、被告人松田としては、その所有の鎌倉市稲ケ崎所在の宅地約七二坪を被告人安倍において別途右資金を調達する際の担保物件として利用することを承諾して、あらかじめその権利証を同被告人に渡しておいたのみであつた(右土地には株式会社三和銀行のため極度額三百万円の根抵当権が設定されており、被告人安倍において、後記株式会社平和相互銀行の関連会社から受領した金員の中から三百二十万円を三和銀行に支払つてその根抵当権を抹消したが、結局、右土地は、ユーザーユニオンの資金調達のための担保物件としては利用されることなく終わつた。)。

被告人安倍は、平和相互銀行社長小宮山英蔵とかねてから親しい間柄であつたことから、ユーザーユニオンの設立にあたり、その運営資金の援助方を依頼し、昭和四四年一二月から翌四五年八月までの間、前後四回にわたり、同銀行の関連会社である日本保証マンシヨン株式会社等三社から、総額約六百七十五万円を寄付金等の名目で受領した。

さらに、被告人安倍は、ユーザーユニオンの運営資金に当てるため、昭和四五年四月、自己の取引銀行である株式会社富士銀行桜上水支店から自己の名義で五百万円を借り受けた。

また、前記長尾豊及び内野庄八は、前述のとおり、それぞれ鈴木自工の販売代理店の経営者として、自動車製造、販売会社、特に本田技研を攻撃するという点で被告人両名と共通の利害関係を有していたが、朝日新聞の前記伊藤記者から要請されたこともあつて、ユーザーユニオンが設立される以前から、被告人安倍に対して資金援助を約束していたところ、被告人安倍からの要請がある都度同人に資金を送り、被告人安倍は、右両名から昭和四四年一二月から昭和四六年七月に至るまでの間前後二十数回にわたり、名目は「ジヤツクフ」の購入代金等として、実質は走行テストの費用やユーザーユニオンの設立準備資金、ユーザーユニオンの運営資金として、総額約千八百万円もの金員を受領していた。

被告人松田は、当初このように鈴木自工の販売代理店から資金の提供を受けていることを知らなかつたが、後にこれを知るに及んで、消費者運動の純粋性を害し、又はその純粋性につき誤解を受けるおそれがあるとして被告人安倍を咎めたところ、被告人安倍は、かつて国家改造という高い理想を抱いた北一輝が三井財閥から提供された資金を「忍辱の鎧」として受け取り、自己の活動のために使用したとの例を挙げて、前記資金が必ずしも清らかな資金でないとしても、被告人らの目指す目的を達成するために使用することは同様に許されるのだと説明して、被告人松田を説得していた。

また、被告人両名は、被告人両名の前記のような活動に理解を示していた有限会社片倉技術研究所の社長片倉孝明が、その研究にかかるツーサイクルエンジンの噴射ポンプに関する技術の売込み先を探していたことから、これを鈴木自工に売り込むことを考え、前記長尾にその斡旋方を依頼し、被告人両名も鈴木自工の常務取締役丸山善九に面接して交渉した結果、昭和四五年一二月下旬、鈴木自工と片倉技術研究所の間に右ポンプの開発契約が締結され、鈴木自工から片倉技術研究所に研究費として三百万円が提供されることになり、同月より昭和四六年九月までの間、一一回に分割して被告人安倍あてに同金員が送金されたが、被告人両名は片倉の了解を得て、右金員のうち百二十九万円をユーザーユニオンの資金として取得した。

また、被告人松田は、昭和四五年一一月初旬ごろ、富士重工スバル営業本部長山本弘らに対し、ユーザーユニオンの実施する自動車の走行テスト費用の賛助方を依頼した。山本らは「ジヤツクフ」の同年八月号に同社製造の軽四輪乗用車スバルR2が欠陥車であるとしてこれを攻撃する記事が掲載されたことがあつたことから、賛助金を支出する以上同誌掲載記事について有利な取扱いを得たい旨申し入れたところ、被告人松田は、テスト結果を掲載する場合は事前にその内容を知らせる旨及びスバルのクレーム等について掲載する場合も事前に相談する旨約したので、同社は同年一一月中旬ごろ合計三十五万円の賛助金を被告人松田に提供した。

さらに、ユーザーニオンの発足後の事業活動による収入の状況は、以下のとおりであつた。すなわち、昭和四四年四月から同四六年一〇月までの間における会員からの会費収入の合計は約六百二十万円、書店を通じて販売した機関誌「ジヤツクフ」の売上金の合計は約九百七十万円、共済物資の販売利益の合計は約百六十万円であり、これらの事業収入の昭和四六年に入つてからの毎月の合計はおおむね百万円前後であつた。

また、被告人両名は、多量に売れ残つた機関誌「ジヤツクフ」を自動車製造、販売会社に廉売して資金を調達しようと企て、被告人両名が各自で、又は他人を介して各社と交渉した結果、昭和四五年六月ごろ三菱自動車工業株式会社から創刊号五、〇〇〇冊の買入代金として五十万円、同年八月ごろ三菱自動車販売株式会社から創刊号一万冊の買入代金として百万円(ただし、そのうち二十五万円は、売込みの仲介をした業界新聞記者前記佐藤哲男が手数料として取得した。)、同年九月ごろトヨタ自販から九月号一万冊の買入代金として二百四十万円、それぞれ支払いを受けて取得した。これらの各社は、いずれも、被告人らの要求に応ずることにより、その後同誌に不利な記事を掲載されないようにしたいとの営業上の配慮から購入要求に応じたものであつた。

また、被告人両名は、前述のとおり、ユーザーユニオンの事業であるクレーム処理として、自動車製造、販売会社ないし販売代理店と折衝し、昭和四六年三月から九月までに二十数件の案件につき総額二千三百万円以上に達する金員の支払いを内容とする示談契約を成立させたが、ユニオンの資金に当てるべき手数料として、そのうち合計四百五十五万円を取得した。

以上のとおり取得した金員は、すべてユーザーユニオンの運営資金に当てられるものとして取得されたものであり、その総額は五千数百万円に及んでいたが、そのうち平和相互銀行関連会社から取得した資金、富士銀行からの借入金、長尾及び内野から送付を受けた資金のほとんど全部、被告人安倍がみずから機関誌「ジヤツクフ」を自動車製造、販売会社に売り込んで取得した金員、クレーム処理により取得した資金など四千万円以上の金員は、同被告人の個人名義の貯金口座に入金されて、同被告人が管理し、その余の金員は、被告人松田において別途口座を設定して、これに入金するなどの方法により管理していた。

被告人松田は、みずからの管理する資金の中から必要に応じてユーザーユニオンの経常費等を支出していたが、不足を生じた場合は、被告人安倍に要求し、その都度同被告人名義の右預金口座から引き出して、ユーザーユニオンの運営資金に当てていた。

前記の資金は、昭和四四年末に行つたN三六〇の走行テストの費用、ユーザーユニオンの設立準備費用、ユーザーユニオンの経常費(機関誌の印刷代、用紙代その他の製作費、人件費等)などに支出されたが、被告人両名が本件被疑事件により逮捕される直前の昭和四六年一〇月末日までに、ほとんどその全額が支出されていた(なお、この間、後述のおり、本件犯行による取得金の一部がユーザーユニオンの資金として入金されたが、この金員は、以上の認定からは除外してある。)。

以上のとおり、昭和四六年一〇月末までのユーザーユニオンの運営費用は、その正規の事業活動による収入だけではとうていこれを賄うに足りず、事業活動以外の方面から得た多額の資金が当てられて来た。被告人両名は、ユーザーユニオン発足の当初しばらくはこのような赤字が続くことを予期していたものの、機関誌「ジヤツクフ」の書店における売行きが不振で、会員数も予想外に増加せず、他からの資金調達も容易でなかつたことから、機関誌の発行部数を当初の九万五、〇〇〇部から漸次減らして昭和四五年一〇月号からは一万部程度とし、さらに同四六年一月号からは頁数も三〇頁程度削減したりしたが、なお、赤字がかさみ、同誌の印刷所である大日本印刷に対する印刷代金の未払分が累積し、ユーザーユニオンは、昭和四六年三月以後同年九月末日に至るまで、右印刷代金を中心として常時二千万円前後の未払債務を抱える状態となり、被告人両名は、大日本印刷から未払代金の履行を繰り返して強く迫られ、昭和四六年四月及び一〇月の二回にわたり、同社に対し累積未払金の分割支払いを確約する被告人両名の債務弁済差入書を提出して凌いだような有様であつた。

このようにして被告人両名は、常時ユーザーユニオンの運営資金の不足に苦慮し、前述のとおり、被告人安倍は、いくたびか前記長尾及び内野の両名に資金の援助方を要請し、その都度、資金の送付を受けてその場を切り抜けて来たが、長尾は昭和四六年七月二日の、内野は同月一二日の各送金を最後に、いずれも自己の会社の経営状態が悪化したことを理由として、以後被告人安倍からの資金援助の要請を拒絶するに至つていた。

被告人両名が、前述のとおり、昭和四六年三月ごろから、自動車製造、販売会社等に対し、集中的かつ積極的に金銭要求を伴うクレーム交渉を行うようになつたのは、これによつて依頼者であるユーザーの要求を応えるとともに、そのクレーム交渉を成功させ、手数料名下に少しでもユーザーユニオンの運営資金を獲得してその財政難を打開したいと意図したことによるものであつた。そして、後記の本件各犯行もまた、同様の意図から出たものであつた。

(6)  被告人両名の活動と自動車製造、販売会社に対する影響

被告人両名は、前述のようにして設立したユーザーユニオンを本拠として、欠陥車追放、被害者救済の旗印を掲げて、すでに述べた活動のほかに、以下に述べるような活動を精力的に行つた。

(ニツサンエコーの事故に関する告訴、告発、民事訴訟の提起)

昭和四三年六月二一日永田郁二が日産観光サービス株式会社(以下、「日産観光サービス」という。)京都支社からレンタカーとしてマイクロバス・ニツサンエコーを借り受けて運転中、滋賀県蒲生郡蒲生町所在の名神高速道路栗原インターチエンジ付近で同車のプロペラシヤフトが脱落して横転し、乗つていた者一九名中一名が死亡し、他の多数者が重軽傷を負う事故(以下、「滋賀事故」という。)が発生し、また、昭和四四年三月一一日孫正吉が京都市所在の有限会社鎰広(かぎひろ)産建(以下、「鎰広産建」という。)からレンタカーとして、ニツサンエコーを借り受けて運転中、京都市伏見区深草瓦町所在の名神高速道路深草インターチエンジ付近で同車のプロペラシヤフトが脱落して横転し、乗つていた者二三名が重軽傷を負う事故(以下、「京都事故」という。)が発生した。

被告人松田は、日産自動車在職中ニツサンエコーのプロペラシヤフトが走行中脱落するという事故についての情報を知つていて、その後同会社内において検討の結果、同車両のプロペラシヤフトの最高回転速度に設計、構造上改善措置を必要とする点があると判断され、一部の車両について改善策として最終減速化(差動歯車の比率)を変更するための措置がとられていることを知得していた。そこで、前述のとおり、欠陥車問題が新聞紙上に取り上げられた昭和四四年六月初めにみずから連絡をとつて朝日新聞の伊藤、鈴木両記者にこれらの情報を提供し、そのことが同月六日付の同新聞紙上に大々的に報道されたのであつた。そして、同月中ごろ、各自動車製造、販売会社が自己の会社の一部車両に関してリコールの措置をとつた際、日産自動車でも、ニツサンエコーのプロペラシヤフトに関して、他車種の重要保安部品と併せてリコールの措置をとつたが、同会社では、調査の結果、前記滋賀事故は、整備不良に起因するトランスミツシヨンオイルの不足が原因であり、また京都事故は、使用過程における何らかの原因によるプロペラシヤフトの異常なアンバランスの発生、ないしは分離帯に乗り上げた際の衝撃によつてプロペラシヤフトが脱落したものとの立場をとつていた。

京都事故に関しては負傷者二三名(いわゆる朝鮮総連の関係者であつた。)については、それらの者が直接日産自動車に対し損害賠償を要求して交渉したすえ、昭和四四年一二月に日産自動車が合計五千万円を支払うことで示談が成立したが(もつとも、日産自動車では必ずしも同社自身の過失を認めたものではなく、特殊な営業上の配慮もあつてそのような高額の示談をしたものであつた。)、同事故の車両所有者については、別に前記鎰広産建の役員小林一樹から、被告人安倍に対し、同事故につき日産自動車の責任を追及されたい旨の依頼があつたので、同被告人は被告人松田とも協議し、昭和四四年一二月下旬ごろ、被告人両名において、日産自動車取締役総務部長久志本隆に対し、面談又は電話により、前記鎰広産建の件について新聞に発表されることによつて同社が被る不利益を示唆して、隠密裡に示談により解決することを要求した。久志本は、社内で検討した結果、もし被告人らの要求に応じて示談をすれば、同社が京都事故がニツサンエコーの欠陥に基づく事故であることを認めたとして喧伝されるおそれがあるとの見地から、そのころ被告人安倍に対し要求を拒絶する旨返答した。

そうすると、被告人安倍は、昭和四五年四月六日、前記小林一樹の代理人として、東京地方検察庁に対し、滋賀事故につき日産自動車代表取締役社長川又克二ら七名の役職員を業務上過失致死傷罪により告発するとともに、同日、京都事故につき、前記鎰広産建の代理人として、日産自動車に対し総額千八百六十万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁判所に提起した(なお、同告発事件は、昭和四六年八月不起訴処分とされ、また、同民事訴訟事件は、昭和四九年一一月日産自動車が鎰広産建に千五百万円を支払う旨の訴訟上の和解が成立して終了した。)。

滋賀事故については、昭和四四年一二月、前記日産観光サービスが、同事故の死亡者一名の遺族に二千三百万円を支払い、他の負傷者のうち一四名に対し一人当り十万円を支払つてそれぞれ示談をしたが、残る四名の負傷者については示談解決が未了であつたところ、被告人安倍は、その四名から依頼を受けて、昭和四五年七月中旬ごろ、前記久志本に対し、それらの者から告訴がなされることを示唆して、日産自動車との示談解決を要求した。しかし、久志本が日産観光サービスとの間で交渉すべきであるとして直ちにその要求を拒絶すると、被告人安倍は、即日右依頼者四名中の三名の代理人として、警視庁に対し、滋賀事故につき前記川又社長ら七名の役職員を殺人、同未遂罪(予備的に業務上過失致死傷罪)により告訴した(なお、同告訴事件は、その後被告人両名においてユーザーユニオンの行うクレーム案件の処理として日産観光サービスとの間に示談交渉を行い、昭和四六年四月に示談が成立し、右告訴を取り下げたため、捜査も打ち切られて終結した。)。

さらに、被告人安倍は、滋賀事故についての前記告発事件が昭和四六年八月七日不起訴処分とされるや、同月二七日、前記小林一樹及び鎰広政幸の代理人として、京都地方検察庁に対し、京都事故につき前記川又社長ら四名の役職員を殺人、同未遂罪(予備的に業務上過失致死傷害)により告訴した(なお、同告訴事件は、昭和四九年一一月に不起訴処分とされた。)。

(ホンダN三六〇の事故に関する告訴等)

被告人両名は、前述のとおり、道済事件の再審申立を契機に、ホンダN三六〇には設計構造上の原因に基づく操縦性、安定性不良の欠陥があると主張し、N三六〇による事故のうち事故直前に横揺れ、蛇行などの形跡があるとされたものはすべて右欠陥に基づいて生じた事故であると主張していた。本田技研では、各事故を調査した結果等に基づき、N三六〇には被告人ら主張のような欠陥は存在しないとの見解をとつていた。

ところで、昭和四五年七月一日、藤倉文雄がN三六〇を運転中、京都市東山区山科上花山花ノ岡町先国道一号線バイパスで中央分離帯を越えて対向車と衝突し、藤倉及び同乗者一名が死亡し、同乗者二名が負傷する事故(以下、「藤倉事故」という。)が発生したが、被告人両名は、同事故も被告人ら主張の前記欠陥によつて生じたものであるとして、同事故を聞知するや、すぐさまユーザーユニオン岸和田支部長の前記林善三をして藤倉文雄の父藤倉利雄から事故車を買い取らせる一方、被告人安倍において同人を説得して同人から告訴の委任を受けたうえ、同年八月一八日同人の代理人として東京地方検察庁に対し、藤倉事故につき本田技研の代表取締役社長本田宗一郎を殺人、同未遂罪(予備的に業務上過失致死傷罪)により告訴した(なお、同告訴事件は、昭和四六年八月七月不起訴処分とされた。)。また、昭和四四年一月四日子安邦夫がN三六〇を運転中、東京都八王子市石川町字西野先の中央高速自動車道を時速約九〇キロメートルで走行中、車両が路上で転覆、滑走して同乗者一名が死亡したほか、子安邦夫及び同乗者二名が負傷する事故(以下、「子安事故」という。)を起こし、子安邦夫は、右事故につきハンドル及びブレーキ操作を誤つたとして業務上過失致死傷罪に問われて起訴され、同事件は東京地方裁判所八王市支部に係属していたが、被告人安倍は、同事件の弁護人となり、同事故は同被告人ら主張の前記欠陥によつて生じたものであり、子安邦夫に過失はないと主張して活発な弁護活動を行つていた(なお、同事件については、昭和四九年九月一二日同支部において有罪の判決があり、弁護人の主張は認められなかつた。)。

(運輸省など行政官庁に対する働きかけ)

被告人両名は、昭和四五年七月九日、ユーザーユニオン名をもつて、運輸省自動車局長に対し、N三六〇及び富士重工製造のスバルR2を欠陥車であるとして、型式承認の取消、全車の総点検、回収及び高速道路における使用禁止などの指示、並びに今後の型式承認については高速域における走行安定性、操縦性についての運行試験を実施することなどを申し入れた。また、同日、警察庁交通局長に対し、N三六〇の事故について捜査を行い、本田技研の責任を追及するよう申し入れた。さらに、同日、公正取引委員会に対し、日産自動車の製造にかかる普通乗用車ニツサングロリアについて販売資料に表示された最高速度を下回る速度しか出ないのは不当表示防止法に違反するとして、その取締方を要請し、かつ、運輸省に対し、同車の公開テストの実施及び回収方等を申し入れた。

(国会に対する陳情と資料の提供)

また、被告人両名は、衆議院運輸委員会あての、国政調査権を発動して運輸省がN三六〇の型式承認の取消及び高速走行の禁止をしない理由等九項目について徹底的に調査されたい旨の陳情書、並びにN三六〇による事故例九一件の一覧表を作成し、昭和四五年九月初め、これを同委員会理事らに手交した。この陳情の結果ユーザーユニオンを訪れた国会議員の秘書らに対し、被告人松田においてN三六〇による事故に関する資料を提供するとともに、同車両が欠陥車であることを強調して、これについて国会での審議が行われるように要請した。

そして、同月九日の衆議院交通安全対策特別委員会、同月一〇日及び二二日の同院運輸委員会、さらに同月一一日の衆議院交通安全特別対策委員会等において、欠陥車問題が取り上げられ、前記のとおり被告人らから入手した資料等に基づき、政府に対し、N三六〇に欠陥の疑いがあるとして、運輸省によるその型式指定の取消等の行政措置を促し、あるいは警察によるN三六〇の事故原因の捜査を求め、さらには参考人として各自動車製造、販売会社の責任者らを喚問するなど、活発な審議が行われた。その後昭和四六年二月一九日の衆議院交通安全対策特別委員会においても、N三六〇の欠陥問題が再度取り上げられ、委員から、ユーザーユニオンにより入手した資料によるとN三六〇の事故例が一五一例(前記事故一覧表の九一件に追加があつたもの)に達するなどとして、運輸省、本田技研の責任を追求する質疑が行われた。

(本田技研に関する二重登録問題の告訴)

また、被告人両名は、昭和四五年九月ごろ、前記SS研究会の長尾豊から、軽自助車の販売会社が営業政策上の見地から販売台数を水増しして、所轄の陸運局長に届出(いわゆる二重登録)しており、特に本田技研にその例が多いとの情報を入手したことから、この二重登録を公正証書原本不実記載罪に当たるものとして同社の責任者の刑事責任を追求することにより同社を攻撃しようと考え、長尾に依頼して、資料を入手するとともに、久保寿三(前記SS研究会の内野庄八が経営する九州スズキ販売株式会社専務取締役久保源悟の実兄)の名義で新たに本田技研の株式を購入させるなどしたうえ、久保寿三を告訴人とし、被告人安倍がその代理人となつて、同年一〇月二八日、東京地方検察庁に対し、本田技研社長本田宗一郎及び同社副社長藤沢武夫の両名を、右二重登録の事実があるとして公正証書原本不実記載等の罪名で告訴した(なお、同告訴事件は、昭和四六年八月不起訴処分とされた。)。

(ラルフ・ネーダーとの情報交換等)

被告人両名は、かねて米国における欠陥車追放運動の領袖ラルフ・ネーダーと連絡をとり、特に昭和四六年一月同人が来日した際には親しく同人と接触し、同人から米国内における日本からの輸出車両についての欠陥情報の資料を入手し、これを新聞等報道機関に公表し、また、同人をして、日本国内でも自動車回収制度を強化し、保安基準を引き上げるべきである旨の内閣総理大臣あての公開質問状を提出させたりした。さらに、被告人松田は、同年二月初め二週間にわたり渡米してネーダー・グループの会議に出席し、併せて米国運輸省などを訪れて欠陥車に関する行政を視察した。その後も、被告人両名は、ネーダーから米国における欠陥車についての情報を入手するとともに、当時ネーダー・グループの一員として日本に滞在していたトーマス・B・リフソンを通じてネーダーに日本からの輸出車両に関する欠陥情報を提供するなどしていた。

(「ジヤツクフ」による自動車メーカーの攻撃)

被告人両名は、ユーザーユニオンの機関誌「ジヤツクフ」に、前記N三六〇、ニツサンエコー等各種の車両の「欠陥」に関する記事など自動車製造、販売会社を批判、攻撃する記事をみずから執筆し、あるいは他に依頼して執筆させて掲載していた。その批判攻撃の対象とされた自動車製造、販売会社は多数に及んだが、とりわけ本田技研に関するものが多く、発刊直後から毎号のようにN三六〇の「欠陥」追及に関連して同社を厳しく批判攻撃する内容の記事を掲載した。被告人安倍は、毎号のように同誌において「クレーム相談」の表題で事故車両の「欠陥」を摘発し、自動車製造、販売会社に責任がある旨の記事を執筆して掲載していたが、後記の本件各示談交渉(犯行)の進行中も、その交渉対象とされている事故例のいくつかについて、相手方会社の責任を断定する記事を執筆、掲載した。

(新聞等報道機関への働きかけ)

被告人両名は、前述のように、ユーザーユニオン設立以前から朝日新聞社の伊藤及び鈴木両記者と極めて親密な間柄にあり、その他の新聞社の二、三の記者とも密接な接触を保ち、それらの記者に、随時、被告人両名ないしユーザーユニオンの活動や入手した欠陥車情報等を提供し、その記事の紙上への掲載方を働きかけていた。さらに、ユーザーユニオン設立や前記の告訴、告発、民事訴訟の提起にあたつては必ず記者会見をし、また、国会等への陳情にあたつてもその陳情書を報道機関の関係者に配布するなどして、みずからの主張や運動の正当性を巧みに強調するとともに、このような方法によつても自動車製造、販売会社を批判、攻撃していた。

当時、欠陥車問題が社会問題として各方面において大きな関心を呼んでおり、各報道機関は、この問題については、ほとんど一様に自動車製造、販売会社の責任を追及し、被害者保護の必要性を強調する論調をとつていたことから、各報道機関は、被告人両名の活動を積極的に評価し、被告人らの側から提供される右のような情報をこぞつて取り上げ、これをその新聞紙等に大々的に報道し、さらに、新聞記者等報道関係者の側からも、被告人両名を欠陥車問題に関する重要な取材源として利用し、被告人らから積極的に情報を収集し、あるいはその意見を聴取して、これを報道していた。

前述のとおり昭和四四年六月初め欠陥車問題が社会に登場して以来、被告人両名が昭和四六年一一月初めに逮捕される直前ごろに至るまで、各新聞紙上には、継続的に欠陥車問題に関する各種の記事が掲載されたが、それらの記事の論調とするところは、終始、ほとんど自動車製造、販売会社の責任や行政官庁の責任を追及する傾向のものばかりであり、その中には、被告人両名ないしユーザーユニオンの前記活動に関するもの、被告人両名ないしユーザーユニオンから情報を取材したものなど、被告人両名ないしユーザーユニオンがその記事の内容について何らかのかかわり合いを持つものが多数含まれていた。

このような新聞記事により批判の対象とされた自動車製造、販売会社及び車両の種類は広範囲に及んでいたが、特に本田技研に対するN三六〇の欠陥に関するものと日産自動車に対するニツサンエコーの欠陥に関するものが多く、右車両の「欠陥性」は長期間にわたり繰り返して追及の対象とされていた。

(自動車製造、販売会社に対する影響)

本田技研は、昭和四二年三月のN三六〇の発売以来その売上げを急速に伸ばし、昭和四三年、同四四年ごろには、軽四輪乗用車の製造販売の分野において、他社に比して圧倒的な生産台数、市場占有率及び売上実績を有していたが、前述のとおり、被告人両名やSS研究会のメンバー等によりN三六〇をもつて欠陥車であるとして同社を批判、攻撃する運動が長期間にわたり続けられ、そのことが報道機関によつて大々的に報道されたことなどから、同社の信用とN三六〇に対する評価が著しく損なわれ、昭和四四年八月ないし一〇月ごろをピークとして、以後次第にその売上げが低下し、特に昭和四五年八月に前記藤倉事故に関する同社の社長に対する告訴が新聞に報道されてからはその低下が著しく、昭和四六年初めには、軽四輪乗用車の販売実績において、同社と競争関係にあつた鈴木自工についに首位の座を奪われるに至つた。

また、日産自動車においても、前述のとおり、昭和四五年四月ごろ以降、被告人らから、ニツサンエコーが欠陥車であるとして同社の社長らの刑事責任を追及する告訴、告発がなされるなど長期間にわたり批判、攻撃を受け、そのことが報道機関によつて大々的に報道されたことなどから、同社の信用とニツサンエコーに対する評価が著しく損なわれ、その売上げが著しく低下して、同社の業績にかなりの影響を受けていた。

このようにして、本田技研及び日産自動車の関係者はもとより、両社以外の各自動車製造、販売会社の関係者も、競争の激しい自動車製造、販売業界の中にあつて、右に詳述した欠陥車問題に関する当時の動向、特に新聞等の報道機関の、欠陥車の摘発と追放に強く傾いた報道姿勢に囲まれて、ユーザーユニオンを本拠として自動車に関する消費者運動家としての評判を高め、報道機関にも大きな影響力を有するに至つた被告人両名が、ひとたび自己の会社の製造、販売にかかる車両を欠陥車として取り上げ、批判、攻撃の対象とすれば、たちまちそれが社会的に広く喧伝され、自己の会社の信用及び販売業績に大きな打撃を受け、経営上甚大な損害を被ることになることを十分に認識し、被告人両名のユーザーユニオンを背景にした各方面の活動に多大の関心を有する一方、その攻撃が自己の会社に向けられることを極度に警戒し、これを恐れていた。

以下に述べる被告人両名の各犯行は、このような情勢を素地として行われたものにほかならない。

第二款 犯行

第一本田技研工業株式会社に対する犯行

(1)  犯行に至る経緯

(ホンダN三六〇全国被害者同盟の結成とその活動)

前款「犯行前の一般的な事情」の中で述べたとおり、道済事件の再審申立、ユーザーユニオンの結成、さらには藤倉事故についての本田技研社長に対する告訴等を通じて、被告人両名の活動が新聞等により広く報道され、それと同時にホンダN三六〇に運転事故が多発し、同車の操縦性、安定性に欠陥があるとの報道が相次ぐにつれて、被告人両名及びユーザーユニオンのもとに、全国各地からN三六〇に欠陥ないし不具合があり、これにより損害を被つたとする者、あるいはその主張に同調する者からの、来訪、書簡等による連絡や相談が多数集まるようになつた。特に前記藤倉事故の告訴に関する新聞報道があつてからは、それが急増した。

一方、道済事件の再審申立を当初より積極的に支援していた前記林善三は、その再審問題を契機に、被告人両名と深く接触しつつ、みずから発起人となつて右再審申立の裁判支援及び欠陥車追放の目的を掲げて「道済君を援ける会」を結成し、また、ユーザーユニオン発足後はその岸和田支部長となつて活動していたが、同人のもとにも、右「道済君を援ける会」及びユーザーユニオン岸和田支部の会員等を通じて、N三六〇の運転事故ないし不具合発生例に関する情報が相当数寄せられていた。

林善三は、前記藤倉事故についての告訴があつて間もない昭和四五年八月末ごろ、被告人松田と相談のうえ、前記のようなN三六〇の欠陥ないし不具合によつて損害を被つたと主張する者及びその同調者が全国に多数存在する状勢を捉えて、これらの者を「ホンダN三六〇全国被害者同盟」(以下、「被害者同盟」又は「同盟」という。)の名のもとに全国的な組織に結集させてN三六〇の欠陥性を追及する運動を高め、さらには本田技研に対する損害賠償要求の運動を起こそうと考え、同被告人に対し、ユーザーユニオンの事務局内に被害者同盟設立本部を置き、被告人松田においてその設立準備に当たるように要請した。

被告人松田は、これを了承し、同年九月中旬、ユーザーユニオンの職員を使つて、当時ユーザーユニオンに集まつて来ていた前記情報に基づき、N三六〇の欠陥、不具合を主張する者及びその同調者として氏名及び住所の判明している者らに対し、「ユーザーユニオンホンダN三六〇全国被害者同盟設立本部、発起人道済信幸、林善三ほか一同」の名義で同盟への入会を勧誘する往復葉書を発送し、あるいは情報、資料を整理してN三六〇の運転事故ないし不具合発生例のリストを作成するなど、その設立準備にかかつた。そして、同年暮ごろ、林善三、及びその友人で同人とともに道済の再審申立を当初から積極的に支援していた津崎利夫の両名が、前記のとおりユーザーユニオンにおいて作成し、又は収集した資料とともに設立準備の事務を引き継ぎ、昭和四六年二月初旬に被害者同盟が結成された。

被害者同盟は、その規約において、「N三六〇の欠陥により事故を起した者及びそれによつて死亡した者の遺族又はそれに準じた被害者の刑事責任を明確にして損害賠償要求を貫徹させ、あわせてN三六〇の欠陥車追放により事故防止とユーザーの人権保障を図る」ことを目的に掲げ、事務所をユニオン岸和田支部のある同支部長林善三方に置き、同人が委員長に、津崎利夫が事務局長(会計、書記)になり、委員には道済信幸ら数名が名を連ねた。会員については、前記のとおり設立準備の際昭和四五年九月に往復葉書により入会申込みの勧誘をした段階では、約一五〇通の発送に対し七三通の入会申込書の返信があり、これにより合計一一四名の入会申込みがあつたが、同盟発足の段階では、規約上、会員は、(イ)被害者(対向車の夫示談者を含む。)及び死亡運転者の遺族(同乗者の未示談者を含む。)、(ロ)被害者で示談解決済みの者(同乗者、対向車の乗員を含む。)、(ハ)N三六〇の欠陥を体験した者、N三六〇のクレーム車を保有し又は保有した者、それに準ずる者、(ニ)右(イ)(ロ)(ハ)を正義的、道義的に支援賛同する者と定められていた。会員は年間一口二百円の会費を納入することとされたが、発足後の昭和四六年七月当時会費を納入していた会員数は全部で約五〇名(うち被害者たる会員は四〇名弱)にすぎなかつた。

同盟では、会員相互の情報の交換、連絡などを目的とした会報「こころ」を毎月一回発行し、これを配布するとともに、林及び津崎の両名が中心となり、他の委員もこれに協力して、N三六〇に関する事故や不具合例について、関係者から直接口頭で、又は電話、郵便で事情を聴取し、場合により事故現場に赴いてその写真を撮影したりするなどの調査を行い、さらには同盟に加入していない者に対して加入を勧誘したりしていた。また、本田技研が安全運転普及本部を設置してN三六〇等の点検整備体制の拡充強化、安全運転講習会の開催等の方策を実施することが昭和四六年三月の新聞に発表されるや、林及び津崎は、直ちに「かかる施策は、欠陥による事故が発生した場合の法的責任を回避するための隠れ蓑であり、ユーザーを欺くものである。」との被害者同盟名義の公開詰問状を作成し、これを本田技研、運輸大臣に、衆議院運輸委員会の委員、各新聞社等に送付し、これに対して、本田技研から各種資料を添えて、安全運転普及活動の趣旨を懇切に説明した回答があつたが、これにも満足せず、さらに繰り返し本田技研に対して抗議、追及の手紙を送るなどしたりしていた。

林及び津崎の両名は、同盟の中心人物として、被告人両名とつねに緊密な連絡をとつて相互に情報を交換するとともに、同盟の運営や活動につき被告人両名に意見を求め、その指示を受けて行動し、被告人両名は、林、津崎ら同盟関係者に対して、N三六〇には操縦性、安定性不良等の欠陥があることをかねてから力説していた。

ところで、昭和四五年六月二日、奈良県桜井市の県道上において、西村巌(当時三〇歳。大阪府交通局勤務の地下鉄運転手)がN三六〇(同年五月中旬に同人が代金十三万円で購入した昭和四二年型中古車)を運転中道路中央線を越えて転倒し、対向車がこれに衝突して西村車が炎上し、同人のほか同乗の妻及び長男が車内で焼死した事故(以下、「西村事故」という。)が発生したが、死亡した西村巌の父西村卓二も被害者同盟の委員となつていた。

同盟では、林、津崎を中心に本田技研に対する賠償要求を推進するため、昭和四六年七月七日「賠償交渉委員会」(以下、「賠交委」という。)を設けることを決め、その委員として林、津崎、前記道済信幸、西村卓二ら七名を選出した。そして、賠交委の委員ら九名は、同月二八日上京して、ユーザーユニオンの職員の案内で本田技研本社を訪れ、「N三六〇の事故による被害者の救済を図るための運動を強固にし、本田技研の責任を追及する。」旨の同社社長あての声明書を同社の職員に手交して、本田技研の態度について回答を要求するとともに、各新聞社を回つて運動の趣旨を説明して協力方を要請し、さらに東京地方検察庁を訪れて陳情書を提出するなどした。なお、林は、右上京に先立ち、あらかじめ被告人両名と連絡をとり、右声明書、陳情書の案文、当日の行動などについて指示を求め、その了承を得ていた。

右上京の際、西村卓二は、林、津崎とともに安倍法律事務所を訪れ、被告人安倍に対し、西村事故に関して本田技研の責任者を告訴することを委任し、同被告人に対するその委任状を作成して交付するとともに、本田技研に対する損害賠償請求をも委任したが、請求金額については格別の希望を述べることなく一切を同被告人に一任した。

(本田技研の対策)

他方、本田技研では、西村事故を含めて同社が把握し得た多数のN三六〇の運転事故例についてその事故状況や原因等を調査検討した結果等に基づき、N三六〇には被告人両名や被害者同盟が指摘するような欠陥は何ら存在せず、それらの運転事故は、同車の取扱いについての運転者の知識の不足や未熟、点検整備の不良等に基づくものであるとし、その見地から、対策として、専務取締役西田通弘を本部長とする「安全運転普及本部」を設け、同車の点検整備体制の拡充強化、安全運転のための講習会の開催等安全運転普及のための方策を企画して実施していた。同時に本田技研では、指摘された各事故については、その原因が右のとおりである以上、損害賠償の要求に応ずる法的義務はないとの立場をとつていたが、新聞等によるN三六〇に対する批判、攻撃が相次ぎ、同社の信用失墜と販売業績の低下が著しくなつていた当時の状況、及び従来N三六〇のような軽四輪自動車にはいわゆる車検制度がなかつたため点検整備が必ずしも十分に行われていなかつた等の事情を考えて、企業の信用回復を図るとの営業政策上の配慮から、これまでのN三六〇に関する運転事故については、運転者やその遺族に対し見舞金や弔慰金、援助金として相当程度の金員を贈呈したいと考え、当時同社が把握していた二一件の人身事故による死亡者二〇名、負傷者四〇名の事例をもとに、かねてから西田専務取締役のもとでその具体的方法を検討していた。そして、同社では、おりから前述のとおり同盟賠交委から要求を受けて回答を求められており、また、藤倉事故についての前記告訴が東京地方検察庁によよる捜査の結果不起訴処分となつたことが発表されたこともあつて、昭和四六年八月一一日専務取締役会において正式に前記見舞金等贈呈の実施を決め、ついで社長もこれを了承した。

そこで、同月一三日西田専務取締役は、林善三方を訪れ、同人及び津崎の両名に対し、賠交委の要求に対する回答として、右のような本田技研の考え方を説明して被害者救済に協力する旨約したうえ、贈呈すべき見舞金等の額を個別に算定する必要上被害者の氏名、各事故の具体的内容等を知らせてもらいたいと希望を述べた。林及び津崎は、西田専務の申入れを基本的に諒としながらも、各委員にはかつたうえで解答したいとして即答を避けた。

(被害者同盟からの被告人両名に対する交渉依頼)

その後、林は、被告人両名に西田専務来訪の状況を報告してその意見を求めたところ、被告人両名は、ともに、本田技研は同盟の切り崩しを狙つているとして、被害者のリストの提示及び同盟と本田技研との直接交渉に反対する旨の意見を述べた。同盟では、賠交委を発足させた当初は、被告人両名の指導と協力を受けつつみずから本田技研と直接交渉することも考えていたが、八月一六日賠交委において、被告人両名の右意見書をも考慮して、今後本田技研に対する賠償要求については同盟が本田技研と直接に接触することを避け、すべてユーザーユニオン及び被告人両名に一任することを決定し、そのころその旨を林から被告人両名に連絡し、本田技研との間に賠償要求の交渉を開始するよう依頼してその承諾を得、以後同盟は本田技研との交渉には直接関与しないことになつた。

被告人両名に対する右依頼は、将来交渉途中において加入を見込まれる者を含めて同盟に加入している者(前記西村卓二を含む。)全体についてその損害を要求交渉の対象としてほしいとの趣旨であつたが、その者全体の氏名、人数、損害額ないし請求見込額等は何ら明示されておらず、被告人らが現実に本田技研と交渉する際に請求の対象として持ち出すべき事故ないし損害の判定、請求金額その他交渉の範囲、方法ばかりでなく、交渉が成立した場合の賠償金の分配方法も、すべて被告人両名に一任するという内容のものであつた。

当時、同盟では、ユニオンから送付を受けた資料及び同盟が収集した情報等により合計約一七〇例に及ぶN三六〇の事故及び不具合例(人身事故約百例、うち死亡を伴うもの三十数例、物的損害のみの事故二十数例、他は不具合例)を知つており、これによる死亡者は四十数名、負傷者は約二〇〇名に及ぶと推定していたが、その中には運転者の氏名や事故発生の場所、年年月日、事故態様等の判明していない事例も相当数あり、右の資料及び情報のみでは、事故全体についてそれらの各態様、死亡者、負傷者の数及び負傷の程度等を正確に把握することはできないことであつた。しかも、それらの被害者の中には同盟に未加入の者も多数あり、したがつて、その中で本田技研に対する賠償要求を現実に希望する者の数及びその要求希望額等は全くわからない状況であつた。

そこでそのころ、同盟では、本田技研に対する賠償要求を希望する者の氏名及び数、要求を希望する損害の費目及び金額を把握するため、当時同盟でN三六〇の被害者として氏名と住所のわかつていた者のうちすでに同盟に加入して会員となつている者を含む約一三〇名に対し、かねて準備していたガリ版刷りの賠交委宛の委任状用紙(N三六〇による被害に関する賠償請求の一切の交渉権を賠交委に一任するとの文言と慰藉料を含む損害賠償請求希望金額欄のあるもの)を送付して同委任状の記入返送方、並びに同盟未加入の者に対しては併せて同盟への加入方を、それぞれ呼びかけた。その結果、八月末日までに六一名から六七通の委任状の返送を受けた(そのうち賠償請求希望金額欄に希望金額を記入した者は四七名で、その合計金額は三億数千万円となつていた。その中で西村卓二が作成、送付した委任状三通には三名死亡による損害金として慰藉料を含めて総額一億二千八百四十四万六千六十五円と記入されていた。)。

林及び津崎は、被告人両名に対し、右委任状の返送状況につき、N三六〇に関する運転事故の死亡者は約四〇名、負傷者は約二〇〇名であるが、対向者の乗員やクレーム、物損の関係を含めるとさらに多数に上る予定であり、この時点で委任状を送付して来ない者でも早晩委任をして来ることが見込まれるので、それらの分を含めると、本田技研に対する要求金額は二十億円を上回ることになろうと報告していた。

なお、被告人両名が後記本田技研に対する交渉を開始した後である昭和四六年九月下旬、被告人安倍は、その名入りの訴訟委任状の用紙三〇〇枚を同盟の林あてに送付し、林及び津崎の両名は、同年一〇月一日ころ、当時同盟においてN三六〇の被害者として氏名、住所を把握していた一四八名に対し、「同盟としてあなたの権利を守る最後の便りとなる。この機会を過ぎてからの責任は一切負えない。」旨の被害者同盟名義の文書を添えて右訴訟委任状用紙を送付し、その提出方を呼びかけた。そして、同月末日までに五七名の者が右委任状を作成して同盟あてに送付して来ていたが、委任状送付のあつた事故及び不具合の件数は、死亡を伴う事故一三件、負傷事故二四件、クレーム五件にすぎなかつた。また、委任状用紙の送付を受けた者の中で二〇名近くの者は、委任の意思がないとして同盟に用紙を返送して来ていた。林及び津崎は、右委任状提出の状況を折に触れて被告人安倍に報告していたが、委任状そのものはみずから保管して、被告人らに渡していなかつた。

(2)  罪となるべき事実

(一)  共謀

前記道済事故、藤倉事故、子安事故、西村事故をはじめとして、被告人両名がみずから又はユーザーユニオン、被害者同盟等を通じて得たN三六〇に関する運転事故の情報の中には、中高速でのパワーオフ等により横揺れ蛇行が始まり、これが収束できなくなつて衝突、転倒したと見られる類型のものが多数含まれていた。被告人両名は、かねて、道済事件の再審申立、子安事件の刑事弁護、藤倉事故についての告訴等についての必要上、N三六〇に関し、その新車発売直後に行われた走行テストの結果やそれについての専門家、本田技研の設計担当者らによる座談会の内容を掲載した雑誌記事、その他の各種文献、部品の設計変更や修理の状況を示す各種の資料などを入手して検討し、またみずからも走行テストを実施し、さらには自動車工学の専門家の意見を徴するなどして、前記事故に関する情報資料とも併せ、同車の性能、欠陥や不具合の有無等について調査、検討していた。その結果、同車には、他社の軽四輪自動車に比べてロール率が大きいこと、手放し方向安定性テストにおけるヨーイングの収斂度が悪く、とくに時速八〇ないし九〇キロ以上の高速においては収斂しない場合のあること、FF車(エンジンが車体の前部にあり、かつ、前輪駆動である車)であることもあって、施回の際パワーオフした時の巻込み現象が過大であることなどの性質があり、また、同車には車体各部の剛性の不足ないし不均衡、部品の早期異常摩耗、トレツド(左右タイヤの間隔)の不足、重量配分及びホイルアラインメント(車輪と車体又は路面との角度的関係などの車輪の整列具合)の不完全等があり、これらが相まつて、同車の中高速域における操縦性、安定性の不良をもたらし、これが前記のような態様の事故を誘発する原因となつており、かかる不良は、四輪車の設計製造に経験の浅い本田技研が、同車の居住性、価格の低廉性等のセールスポイントを最優先として、きわめて短いリードタイム(先行開発期間)の中で十分な走行テストをしないまま発売を急いで製造したことによつて生じたものであるとの見解を持つに至つていた。被告人らの見解によると、N三六〇に前記のような不良があるため、中高速で走行中わずかな外乱や操舵によつてたやすく横揺れを生じ、またハンドル操作中のパワーオフにより急激な巻込み現象を起こし、ひとたびこれが生ずると、ロール率の大きいことなどと相まつて運転者に心理的な恐慌状態をもたらし、これを修正しようとハンドルの過剰操作を必然ならしめ、これがさらに反対側への巻込みを増幅させる結果となり、平均的な運転者の運転技術をもつてしてはこれを克服して安定走行に戻すことが至難となり、遂には路線逸脱、衝突、転覆に至るというものであつたが、この見解による事故発生の過程それ自体に、運転者の心理状態とか、運転技術というような、個々の運転者の具体的な状況によつて大きく左右される不確実な要素が介在していたこともあつて、当時被告人らは、その見解を客観的に実証するだけの確たる証拠を欠いていた。

被告人両名に信頼されて昭和四四年末以来、その依頼によりN三六〇をはじめとする軽四輪乗用車の操縦性、安定性等に関するテストを実施し、被告人らの活動に協力していた前記芝浦工業大学助教授小口泰平も、当時、そのテスト結果等に基づき、N三六〇に被告人ら指摘の前記のような特性のあることを認めつつも、これをもつて直ちに被告人ら主張のような事故を発生させる要因(欠陥)とはなし難いとの見解を被告人両名に示し、同車に操縦性、安定性不良の欠陥があると速断することを戒めていた。

なお、被告人両名は、昭和四六年七月ごろ、朝日新聞の前記鈴木孝雄記者から、東京大学生産技術研究所教授亘理厚が東京地方検察庁検察官の嘱託により、藤倉事故に関して行つたN三六〇の鑑定の結果、同車は時速八〇キロを越すと危険であり、大衆車としては不向きであるとの判断に到達したが、そのことと事故との因果関係は不明である旨を同記者が同教授から漏れ聞いたとのことを聞かされた。

また、被告人両名がみずから又はユーザーユニオンもしくは被害者同盟等を通じて得ていたN三六〇に関する運転事故及び不具合発生例についての情報は、多数に及んでいたが、被告人らみずから車両の運転者や事故の目撃者等の事故関係者に直接面接して事情を聴取し、あるいは事故現場を見分するなどして、事故ないし不具合の状況や被害の程度について直接調査した事例は、前記道済、子安、藤倉事故その他の数例に限られ、西村事故については、事故発生直後に事故現場を目撃した前記西村卓二、事故現場及びその付近の道路状況を調査し、あるいは事故の目撃者から事情を聴取する等した前記林善三及び津崎利夫らから説明を受け、同人らが撮影した事故現場及び付近の道路状況の写真を入手したにすぎず、その他の大多数については、ユーザーユニオン及び被害者同盟に寄せられた運転者ないしその親族、知人等からの一方的な手紙や葉書、あるいはこれらをユーザーユニオンの職員又は同盟の関係者が補充して整理した結果に目を通し、又はそれらの職員等から口頭で簡単にその概略の報告を受けたにとどまるものであつて、これらの資料や報告によつては、個々の事例について、その事故や不具合の具体的な内容、車両の運転状況、ことに運転操作や車両整備についての過失の有無や程度が明らかにされておらず、したがつて、これらの事例については被告人らの主張する欠陥と結果(事故等)との因果関係が不明であり、また、死傷者の数、負傷の程度その他の発生したとする損害の状況も不明で、損害額を算定することもできない状況であつた。

被告人両名は、右のようにして得た情報により、N三六〇の運転事故で死亡したという者が約四〇名程度、負傷したという者が約二〇〇名程度は存在するほか、物損や不具合による損害を主張する者が相当数存在し、これらの死傷者等についての何らかの資料をユーザーユニオン及び被害者同盟において把握しているものと考えていた。そして、同盟に対し本田技研に対する賠償要求交渉を明示的に希望している者は、その中の一部にすぎないことは知つていたが、その余の者も早晩本田技研に対する賠償要求を希望して同盟を通じ被告人両名にこれを依頼して来る可能性があるものと見込んでいた。

このようにして、被告人両名は、被害者同盟から本田技研との前記交渉を依頼された当時、N三六〇に、中高速走行時における操縦性、安定性不良に結びつく可能性のある運動特性があることの資料を有していたが、それが欠陥であることを客観的に実証するだけの確たる証拠はなく、また、その欠陥によつて発生したとする事故の件数、その事故の具体的状況(原因を含む。)、被害者の数や損害の程度も極めて漠然としてしか把握しておらず、しかも、現実に本田技研に対し賠償要求を希望して被告人らにその交渉を依頼する者の数も未確定であつて、同盟の求めるままに、本田技研に対し、N三六〇の欠陥により死亡した者約四〇名、負傷した者約二〇〇名もの多数に及ぶものとして、それらの者ないしその遺族に対する賠償金を一括して、しかも後に主張したような総額二十億円、あるいは十六億円もの高額の請求を行うにはあまりにも根拠の乏しいことを十分に認識していた。また、西村事故の原因については、事故の態様等から被告人らの主張する欠陥によるものではないかと考えられたものの、確たる資料はなかつたのであつた。

しかし、被告人両名は、ともども、前述のとおり、道済事件の再審申立や藤倉事故についての告訴等を通じてN三六〇の欠陥性を強く主張し、あるいは二重登録問題について告訴をするなどして、本田技研に対する批判、攻撃を繰り返し、これらが新聞等によつて大々的に報道され、その結果、同社が痛撃を受けて大きな信用失墜と販売業績の著しい低下を被つていたことから、同社においては、この上さらに被告人らによる批判、攻撃が続き、これが新聞等に取り上げられて報道されると、さらに莫大な損害を受けることになるとして、被告人両名やユーザーユニオン、被害者同盟の行動を極度に警戒し、恐れていることも十分に認識しており、この点を衝いてN三六〇の運転事故ないし不具合の件について一括して示談をしようと強く迫り、これに応じない場合に被告人らの行動により同社の被るべき損害を示唆して脅迫すれば、同社もやむなくこれに応じ、示談金の名目下に極めて多額の金員を取得(喝取)することができ、そうすれば、これを同盟を通じて被害者らに分配してその期待に応えることができ、かつ、かかる多数の案件を一挙に解決したとされて被告人両名の名声も上るとともに、示談金の中から弁護士報酬の名目下に相当多額の金員をユーザーユニオンにもたらし得るものと考えた。そして、被告人両名は、昭和四六年八月中、下旬ごろ、本田技研に対する右のような恐喝行為を共同して実行する意思を相通じ、ここに被告人両名の共謀が成立した。

(二)  実行行為

被告人松田は、前述のとおり、かねて本田技研の製造、販売車両に関するクレーム案件の解決処理のため、前記株式会社本田技術研究所取締役森潔らとしばしば会合することがあつたが、昭和四六年八月二四日のその会合の席上、森に対し、被害者同盟の賠償要求に触れ、早急にこれを解決しないと訴訟が提起されること、日産自動車に対しては再告訴をする予定であることなどを告げて、本田技研が早急に被告人らと右要求について示談交渉を開始するように申し入れ、さらに九月一日の会合終了後にも同様の申入れをし、交渉の相手としては本田技研の河島喜好専務取締役が適当である旨述べた。

河島は、森から報告を受け、同月二日他の専務取締役と協議した。本田技研では、前述のとおり、もともとN三六〇に欠陥はなく、被害者同盟の要求には法的には応ずる義務はないとの立場をとつていたが、道済事故の再審の申立、藤倉事故についての告訴等に関する被告人らの活動等を通じて、N三六〇に関するいわゆる欠陥問題がつぎつぎに新聞に報道され、大きな信用失墜と販売実績の著しい低下を来たしていたところ、藤倉事故についての告訴は同年八月七日に不起訴処分となつていたものの、被告人らの従前の行動や、同月二七日日産自動車が被告人松田の予告どおリマイクロバス・ニツサンエコーの運転事故について再度告訴されたことなどから、もし同被告人からの前記申入れを拒絶すれば、被告人らにおいて再度告訴をするなど、本田技研に対する、さらに強い批判、攻撃の行動に出ることが十分に予想され、こうなつては、これが新聞等に報道され、もはや回復し難い損害を被ることになると判断し、このような事態に至ることを避けるため、被告人松田の申入れを容れて、河島専務取締役を責任者として被告人らとの交渉に応ずることを決め、直ちにその旨森から被告人松田に連絡した。

(イ) 被告人松田は、翌九月三日、東京都渋谷区富ケ谷一丁目三二番二七号の料亭「初波奈」において、河島及び森と会い、その席上同人らに対し、被害者同盟結成の経緯と現状を説明し、ユーザーユニオンは実践的な被害者救済を目的としており、メーカーとの共存共栄を考えていることなどを述べたうえ、「被害者同盟では、死亡者四〇人、負傷者二〇〇人、被害者四〇〇人で請求金額は五十億円といつている。私がその全権を委任されているが、安倍は弁護士としてこの交渉に関与することになる。」旨説明した後、「本田は一〇年戦争をするつもりか。西田専務の(N三六〇には全く欠陥はない旨その他の)国会発言で、被害者同盟の人達がいきりた立つており、告訴の準備も完了している。日産の場合も二か月前に予告しておいたのに何も対策をしなかつたから、再告訴となつた。」、「ネーダーからも問合せが来ているけれども抑えている。本田技研として海外にも悪影響が出ないように話をまとめた方がよいのではないか。」旨述べて、本田技研が示談交渉に応じなければ同社の責任者を告訴し、さらに米国の前記ネーダー・グループとも連絡をとり、その結果、同社製造の海外輸出車両についても悪影響を及ぼし兼ねないことを示唆して脅迫した。河島は、被告人らが本田技研の責任者に対し告訴をしないこと、双方秘密を守り、示談交渉が全部解決するまで新聞等に公表することはしないことの条件で、被告人両名との示談交渉を進めることを了承した。

(ロ) ついで、被告人松田は、同月七日、前記「初波奈」において森と会つたが、その際、森は、本田技研側の交渉担当者として新たに加わることになつた同社取締役大久保叡及び同本社労務管理室長中村正義(同人は、前述のクレーム案件解決処理の会合においてすでに被告人両名としばしば接触していた。)を被告人松田に紹介した。その席上、同被告人は、森ら三名に対し「示談交渉の手始めとして西村事故を取り上げるのが良いと思つている。これはクリアーなケースで、こういうケースが解決しなければあとは御破算だ。西村の件が解決すればあとは十把ひとからげでスラスラとゆく。西村事故を最初に取り上げるのは、真つ先に告訴の準備ができているからだ。」、「安倍は西村の件については一億二、三千万円を請求するとかいつているが、私は一億円でいいということを安倍には内緒であなた方に教えてやる。明日会社側の態度を返事するように。」旨述べて、今後の示談交渉の進め方についての考えと、西村事故に関する被告人両名の要求額とを示した。大久保が法外な要求金額に驚いて問い返すと、「今返事しなくてもよい。安倍の訴状に記載されている数字を見たら一億なんていうものではない。それに書類がもう六件でき上つていた。それも出そうと思えば出せるのを私の方で抑えている。そういうことも考えてもらわないと困る。」、「ネーダー・グループのリフソンも来日している。ネーダーからもいろいろ言つて来ているが、本田技研に関しては返事を一か月待つてもらつている。」旨述べて、西村事故に関する本田技研側の回答いかんによつては、告訴をし、民事訴訟を提起し、ネーダーへの通報を行うことを示唆して脅迫した。

(ハ) 同月八日、大久保、中村の両名が安倍法律事務所を訪れ、大久保が被告人安倍に対し、河島の意向として、欠陥の有無については論及しないという条件で合理的な金額ならば話を受けてもよい旨伝えたのに対し、同被告人は、被告人松田同席のもとに、大久保及び中村の両名に対し、「示談というのは信頼関係が大切だ。示談のいいところは、お互いに欠陥車であるとか運転ミスがあつたとかいわないで、実質的な話合いをするところにある。勝ち負けにこだわるべきではない。」、「今度の事件は非常な大戦争であり、お互いとことんまで争えば、一〇年位あとで解決がついたとしても傷がついてしまう。お互いにとつて非常に不利なことだ。お互いといつても私は一介の弁護士、松田も裸で始めたのだから、もとも子もなくなつてももと通りだけれども、本田技研にとつては大変なことであり、話合いに入ることは結構なことである。」旨、示談論を述べつつ、暗に本件示談交渉が決裂した場合被告人らの攻撃と本田技研側の損失を説いて脅迫した。そして、大久保が、被告人松田から提示された西村事故の要求金額が高額過ぎることを指摘して同事故の内容について説明を求めると、被告人安倍は、「西村事故をモデルケースとして取り上げ、これが解決しなければ残りの問題に行かないというやり方が良いと思う。西村の件は争いを止める妙薬だ。」と述べたうえ、西村事故の概要を説明し、「三三歳の運転手西村巌、同乗の妻及び二歳の子供の三名が焼死したという悲惨な事故であり、それらの損害をホフマン方式で計算すると、巌の方が七千万円、子供の方が三千万円、妻は無職だから零、これに巌の父卓二の分を含めた四人の慰藉料を一人分五百万円として、合計二千万円を加えて一億二千万円になる。被害者は一億三千万円を要求して来ている。私は民事訴訟を提起する場合は一億二千万円と思つているが、松田が一億円というならそれでもよい。」旨述べて西村事故についての要求金額と一応の根拠を示した。大久保がその計算の根拠となるホフマン方式について質問すると、被告人安倍は、「ホフマン計算だけを取り上げても駄目だ。計算なんてどうでもなる。かりにホフマン計算で高いというなら、それを減らして慰藉料を上げればつじつまが合う。」、「全体でいくらかということを決めるしかないのであり、これは腹と腹の決断の問題だ。高い次元で判断して政治的に解決するしかない。」旨述べ、さらに大久保が「ばいだい号」の航空機事故に比べても高過ぎる旨述べると、「『ばんだい号』は老人ばかりの事故で本件と違う。」、「死亡者四〇人、負傷者四〇〇人もいる。こういう大戦争を止めるには、そんな小さな次元でものをいうようでは駄目だ。矮小だ。してやられたとか、ふんだくられたなどと思うような人は交渉委員として不適格だ。細かいことを議論せずに一諾するという交渉のやり方がよい。」旨述べて、要求金額の当否、根拠等について討議、折衝を行うことを拒否した。そして、被告人安倍は、大久保及び中村の両名に対し、江戸城明渡しの故事を引用し、あるいはインド哲学の大我の思想を説明するなどして、もつぱらいわゆる大局的見地からの一諾による解決の必要性を力説し、「会社が一諾で承諾するなら八千万円でよい。西村の件が片づけば、あとの話はスラスラ行くだろう。同盟の突き上げもあるので、西村の件はどんなことがあつても九月一杯にまとめなければいけない。」旨述べ、さらに、他の会社に対する折衝の例を挙げ、被告人らの要求金額に当初不満がありながらそのまま承諾し、その後被告人両名から、もしその示談が不調に終つていたとしたら被告人らが行つたであろう事柄を打ち明けられて、要求金額を承諾して妥結したことに感謝したことがあつたとして、「きつとこういうことになる。何をやるかは、まだ交渉が始まつたばかりだから、手の内を全部さらけ出すわけにはいかない。いつ戦闘再開になるかもわからない。」旨述べて、西村事故に関する八千万円の要求について早期に承諾することを迫り、もしこれに応じなければ示談交渉を打ち切り各種の攻撃を行うことを示唆して脅迫した。

なお、右席上、大久保が被告人らに対し、被告人らが示談の対象として考えている事故例ないし不具合例について、その被害者の氏名や事故の内容を明らかにするリストを示すように求めたところ、西村の案件が解決した段階で示すことを検討するといつて、その求めに応じなかつた。また、被告人安倍は、「西村の案件が解決した後は、たとえば総額を一括して支払つてもらい、個々の被害者に対する分配はこちらに任せてもらうという方法も考えられる。その場合の配分は全部自分が行う。同盟の内部から配分について文句が出てもこれを抑える。」旨述べ、西村事故以外の他の案件の解決の方法を示唆した。

本田技研では、同月一五日専務取締役会を開いて対応策を検討した。その結果、被告人らの西村事故に関する要求はまことに不当で理不尽なものであるが、被告人らの主張するように同事故を解決しないと交渉は全く進展せず、そうなつては被告人両名が告訴、民事訴訟の提起等による攻撃を行い、これが新聞等により報道されることが目に見えており、しかも被告人らは西村事故についての要求額を容易に下げないことが予想され、またその余の事故を含めて被告人らとの交渉を妥結するためには、相当多額の金員を支払う用意のあることを示す必要があると判断し、やむを得ず、この際これを一挙に打開するための方策として、前述のとおり、従前から西田専務取締役のもとで検討されていた見舞金等贈呈案に基づいて算出した金額(当時同社が把握していた事故二一件の死亡者二〇名、負傷者四〇名について一応定めた金額を参考として、死者一人平均二百五十万円、負傷者一人平均六十万円とし、これに被告人ら主張の死者の数四〇名、負傷者の数二〇〇名を乗じて算出したもの)二億円余に上乗せして、西村事故を含めて総額三億円で全体を解決することを提案することに意見が一致し、その旨大久保に指示した。

(ニ) 同月二〇日、大久保、中村の両名は安倍法律事務所を訪れ、被告人両名に対し、専務取締役会の決定による前記指示に基づいて、西村事故を含めて総額三億円で全部を解決することにしてほしい旨懇請したが、被告人安倍は、「それは駄目だ。」と一蹴した。大久保がさらに「三億円で、少なくとも大物の大部分は解決してくれ。」旨要請したところ、その範囲を問い返され、「西村事故を含めて、当時本田技研側で把握していた二一例の死傷事故及び被告人側で告訴の準備をしているという六件が全部含まれる。」旨答えると、被告人松田は、「それは虫のいい考えだ。こちらで用意している六件をまず片づけておいて、あとの分が話がつかなくて戦闘開始になつたら、こちらは攻撃の材料がなくなつて骨抜きになつてしまう。」旨述べた。また、大久保が「西村の件を先にやるのも、西村の件を含めて一括でやるのも同じではないか。」旨述べると、被告人安倍は、「今まで大戦争をして来たものが、すぐに手の内をさらけ出すような馬鹿なことはしない。こちらにも作戦がある。」、「総額で二十億円出すというのであれば、私の方はすぐここで承諾するが、三億円ではどだい無理な話だ。西村の件を一諾で承諾してくれれば、同盟内部の説得もしやすく、残りの案件の解決が容易になる。」旨述べ、さらに、大久保が前回同様「ばんだい号」の航空機事故の例を引いてホフマン方式計算でも被告人らの要求が高過ぎることを指摘すると、被告人安倍は「計算なんてどうにでもなる。そういうことをいうのは矮小だ。次元が低い。」、「西村の件は残りの件についての金額的な先例とはしない。」などと述べて、あくまでも西村事故を八千万円で先決することを固執し、その要求を承諾するように迫つた。大久保がその場の一存で西村事故を五千万円で解決するよう要請したのに対しても、被告人安倍は「五千万円と八千万円では、はしごのかからない金額ではないが、ここで二千万や三千万を負けさせたりすると、かえつて恨みが残る。五千万円に値切られたら残りの案件の金額的な基準になつてしまう。八千万円を一諾で呑めば、その信頼に応えてあとは決して悪いようにはしないから。」旨、あくまで八千万円の要求に応ずるように迫つた。この間、被告人松田も口をはさんで「こちらでは刑事事件で五件、民事事件で一五ないし二〇件、もうすでに用意しており、書類を出そうと思えば出せる状態にあるが、それを抑えている。そういうことも考えなくてはならない。」とか「ライフにだつて問題がある。」旨述べ、もし被告人らの要求に応じないときは、N三六〇に関してつぎつぎに告訴をし、あるいは民事訴訟を提起すること、さらには同年五月新発売の、本田技研製造の軽四輪乗用車ライフについても、N三六〇と同様攻撃の対象とするかも知れないことを示唆して脅迫した。

なお、右席上において大久保が再度被害者に関するリストを示すように要求したところ、被告人両名は、「西村の件が解決すればこれを提示する。」旨約束した。また、被告人安倍は、「弁護士に相談するようでは、この話は壊れる。」旨述べたりした。

本田技研では、翌二一日、社長本田宗一郎も出席して専務取締役会を開き、大久保からの報告をもとに対応策を検討した。その結果、被告人らが西村事故につき八千万円の要求を変えることはとうてい見込みがなく、しかもその要求を応諾しなければ残りの案件の話合いもまとまらず、被告人らが被害者同盟加入者らの代理人となつて、つぎつぎに告訴をし、民事訴訟を提起して、これを新聞等に発表する等の攻撃に出ることは必至であり、しかも、当時同社において、N三六〇に代わるものとして販売の拡充を切実に期待していた新発売のライフまでが、N三六〇と同様の攻撃を受けるおそれもあり、こうなつては、同社として極めて甚大な損害を被ることになるものと強く畏怖し、そうなるよりは、被告人らが約束した被害者リストの提示と残件の低額解決とに期待して、ひとまず八千万円の要求に応ずるのが同社の損害を最も少なく食い止める唯一の方法であると判断し、やむなく右要求を応諾することに決定した。

(ホ) 同月二五日、大久保、中村の両名は、安倍法律事務所を訪れ、被告人両名に対し、八千万円の要求を受諾した場合、これを残りの案件を解決する際の金額的な基準とはしないこと、残りの案件を容易にとりまとめて解決してくれることを再確認したうえ、西村事故に関する八千万円の要求に応ずる旨を表明した。

つづいて残りの件の交渉に入つたが、被告人安倍は、第三者による仲裁機関ないし終戦処理機関を設け、解決金総額をこれに預託したうえ、個々の被害者(請求者)に対する賠償金額の査定、配分を行い、配分終了後余剰金が出たときは、これは本田技研に返還するという形の解決方法も考えられること、ただし、その場合でも、個々の賠償金額の査定、配分は実質的には全部被告人安倍が行い、同機関には関与させないこと、解決がついたならば共同声明を発表することなどの話をした後、残りの件の解決金について「同盟の請求は五十億であるが、その半分として二十五億とし、さらに西村の件に一諾で応じてくれたから、二十億円まで落とす。」旨述べた。前述のとおり、被告人安倍は、九月二〇日の交渉の席上では「西村事故を含めて二十億円ならば一諾する。」旨発言し、「西村の件について八千万円で一諾すればあとは悪いようにはしない。」といい、また、その二五日の席上でも西村の件の八千万円はその他の件の解決の金額的基準とはしないことを再確認して、その他の件についての低額解決を約束しておきながら、西村の件の要求をそのとおり応諾しても、なお依然として二十億円を要求するので、不審を抱いた大久保がその点をただすと、被告人安倍は、「そんなことを言つたかどうか覚えていない。言つたとしたらそれは西村の件を承諾してもらうための作戦である。私は考えが日々新たになる。過去のことにとらわれるのは矮小だ。」旨述べ、大久保が交渉経過における話合いの積重ねの大切さを指摘すると、同被告人は「そんな組合交渉みたいな感覚でこの交渉をやつているのなら、この交渉はまとまらない。もつと高い次元で考えなければ駄目だ。」「そんなにいうのなら西村の八千万円を引いて十九億二千万円とする。」旨述べて居直り、中村が「それではこちらの立場がなくなる。」として再考を求めると、同被告人は、「それでは二割減らして十六億円としましようか。」と述べ、被告人松田は、「あれ、先生、同盟の最低線を割つたね。同盟の最低線は二十億円だつたんだよ。」などと口を添えた。

被告人両名は、右のとおり、要求額として当初二十億円を示したが、これは格別の根拠があつて算定した金額ではなく、同盟の林から前述のとおり、二十億円の金額をいわれていたこと、本田技研は欠陥車回収の費用としてその程度の金額の予算を組んでいると見込んでいたこと、被害者一人当り一千万円とすれば二〇〇人でも二十億円になることなどから、二十億円を適当と考えて要求したにすぎないものであつた。

右の席上、大久保は、前回の交渉の際約束されていた被害者リストの提示について再確認を求めたところ、被告人安倍は、「あのあと考えたけれど、やめることにした。」と前言を翻えしてリストの開示を拒否し、リストを開示してもらわなければ、交渉の対象が不明確であり総額の見当もつけようがない旨の大久保の申入れに対しても、「総額が決まつた段階で示談書に当事者の一覧表を添付するという方法もある。その場合もせいぜい当事者の氏名と住所ぐらいしか書けない。」などと答えて、話をはぐらかし、リストの提示には応じなかつた。

そして、前回交渉後の同月二二日朝日新聞の大阪及び中国四国版に「ホンダN三六〇また“欠陥車”と調査」等との見出しのもとに同月一九日京都府下で発生したN三六〇の衝突事故が大々的に報道され、被害者同盟林委員長名の「同盟はメーカーを告発することを考えている。」旨の談話記事が掲載されたが、同月二五日の交渉の冒頭中村がこの件を話題にしたのに対し、被告人松田は、「林からその件について何か言つて来たらしいが、自分の留守の間だつた。」旨弁解するとともに、「今朝も同盟の加川(委員の一人)が上京して来て、その後告訴はどうなつているのだといつて、どなり込んで帰つた。」旨述べて、被害者同盟の中には強硬に本田技研関係者に対する告訴を求める動きのある旨を示唆し、また、大久保が西村の件について被告人らの要求を応諾する意思を表明した際、被告人安倍が、「もし、西村の件を応諾してもらえなかつたら、道済事件、子安事件を足がかりにしてマンモス訴訟を起こす準備があつたのだが、応諾したのでこれはやめにする。」旨述べ、また、被告人松田が「ネーダーから依頼のあつた件はどうする。」旨口を添えたのに対し、被告人安倍は「西村の件で一諾してもらつたのだから、あれは(ネーダーに)諦めてもらうべきだ。」旨述べて、本田技研との以後の示談交渉が決裂した場合の攻撃方法を暗示して脅迫した。

最後に、西村事故についての示談の合意書調印の日を同月二九日とし、当日は被告人安倍の希望で河島も出席することにし、調印する合意書は本田技研において原案を作成し、事前に被告人両名に示すことにして、二五日の交渉を終えた。その際、西村事故の件が八千万円で話合いがついたことと残りの件の処理についても、互いに秘密を守ることが再確認された。

(ヘ) 本田技研では、被告人安倍が、西村事故の件について八千万円の要求に応じた場合には、残余の件について比較的低額で解決することを暗に約束し、また被害者リストを提示することを約束しておきながら、同社が西村事故の件につき八千万円の要求に応ずる意思を示すや、右のとおり同被告人がやすやすと前言を翻えしたことに激しい憤りを覚えながら、上記のような従来の交渉を通じて示された被告人両名の厳しい攻撃的言辞から、この段階で被告人両名の右約束違反を理由に八千万円支払いの応諾を撤回すれば、交渉の決裂を招いて被告人両名から集団訴訟、告訴等の攻撃を受けることは必至であり、これを免れるためには、ひとまず西村事故の件についての右応諾を履行するほかはなく、その余の件を少しでも希望する方向で解決するのはその後の交渉に期待するほかはないと判断した。そして、同月二八日中村及びかねて本田技研の交渉担当者に選ばれていた同社販売事業室長財津永量の両名が合意書案を作成して安倍法律事務所を訪れ、被告人安倍が若干の加筆訂正をして同案を確定したが、途中から同席した被告人松田は、中村らに対し、「いまわれわれが自動車業界に持ち出そうとしている金額は億がコロコロコロだよ。その中に本田が入るかどうかは今後次第だがね。」などと述べて、本件示談交渉における本田技研の態度いかんによつては、今後被告人らが自動車業界に要求しようとしている莫大な金額の中に本田技研に対する分も含まれることもあり得る旨を示唆するという事情もあつた。

(ト) 同月二九日、東京都新宿区西新宿二丁目二番一号所在の「京王プラザホテル」三九一〇号、三九一一号室において、被告人両名、本田技研側河島、大久保、中村の三名が出席し、西村事故の示談解決に伴う合意書の調印を行い、合意書には、西村の代理人として被告人安倍が、本田技研の代表として河島が、また立会人として被告人松田がそれぞれ署名捺印したが、その合意条項の中には、双方は、「本件事故および本件合意書の内容について秘密を厳守し」、また、「本合意書の内容をもつて爾余の案件処理の前例とせず、またこれを宣伝に利用してはなら」ず、さらに、西村卓二において「本合意書の条項に違反したときは本合意書はその効力を失い」、西村は本田技研に解決金を返還しなければならない旨の各項が含まれていた。被告人安倍は、解決金として、大久保から金額八千万円、振出人本田技研の三菱銀行京橋支店あての小切手一通を受け取り、その領収書を交付し、ここに被告人両名は、ひとまず西村事故の解決金の名目下に金員喝取の目的を遂げた(取得した八千万円の処分については、後述(3)参照)。

河島は間もなく退席したが、その後引き続き、その余の件についての交渉に入り、大久保が被告人両名に対し、前回総額として二十億円の要求を受けたことに関し、それがあまりにも高額なので唖然とした旨述べたところ、被告人安倍は、「むしろシヨツクを受けたのはこちらだ。これだけの大戦争を収めるのに二億や三億では零に等しい。」旨反駁し、「要は政治的な腹の問題で決めなくてはならない。企業の力と規模によつて決まることである。将来その金が生きるかどうかの損得勘定だ。」旨述べ、被告人松田も、「本田技研の定期点検キヤンペーンにはいくらかかつているか。私は二十億円はかかつていると踏んでいる。あゝいうキヤンペーンを四十億円でやつたと思えばいい。」旨、口を添え、つづいて被告人安倍が、「こういう大戦争を終結するには十億や二十億は問題ではないはずだ。金にこだわる会社はつぶれてしまう。」、「トヨタはリターンスプリングの問題で六十億円かかる。日産のサニーやUDもいろいろ問題があり、私どもが本腰を入れれば日産はつぶれる。そういう時、本田技研がこの話をまとめて上昇する。その差が大きい。」旨述べて、日産自動車のような大会社に対してさえ被告人らが本格的な攻撃に出れば、壊滅的な打撃を与えることができる旨みずからの力を誇示し、被告人らの要求に応じない場合には本田技研も同様多大の損害を被ることを示唆して脅迫した。

その席上、大久保が重ねて、前記リストの提示を求めたのに対し、被告人松田は、「リストは国会議員を通じてすでに本田技研で入手しているはずである。」、「我々は地検に全部資料を出してあり、事故の内容や件数についてうそをいうはずがない。地検に行つて聞いてごらんなさい。」旨述べ、被告人安倍も「件数や内容がわかつても仕方がない。計算はどうにでもなる。ラウンドナンバーなら教えるが、死者が四〇人、負傷が二〇〇人、事故件数は、蛇行を含めて四〇〇台である。被害者の総人員はわからないが四〇〇人以上になる。それで金額の見当はつけられるはずだ。」旨述べて応ぜず、大久保がさらにリストを提示しない理由をただすと、被告人安倍は「それはユニオンのプリンシプルだ。」と一蹴した。

また、被告人安倍は、前回の交渉時に話題にした第三者機関の件に触れ、「その構想がますます気に入つて来た。第三者による終戦処理機関を設け、これに超一流人物を入れて査定をして、余つたら返すという方法をとつたら面白い。同機関は複数の人物で構成し、うち一名は本田技研側で指名する人を入れることにする。世の中が仰天するような新しい方法でやりたい。」などと述べ、その超一流人物についての具体的な氏名を挙げて話題にする一幕もあり、大久保が「前回九月二五日の交渉の際には、第三者機関は査定配分には実質的に関与させないとのことであつたが。」と聞くと、被告人安倍は、「実際問題として額の査定配分はそういう超一流の人にはできないであろう。世間の人に高い次元で判断していると見せかけられる人を引張り出すことに意味がある。私は政策的に金を余らせるようにする。」旨述べるなどしたが、その構想については、それ以上に具体的な説明をしなかつた。

(チ) 同年一〇月五日、かねての約束に基づき、静岡県浜松市東伊場一丁目三番一号所在の「グランドホテル浜松」九二八号室において、被告人安倍と大久保、中村、財津の三名とが面談した。席上、大久保が「本件交渉では結論のみが先行し、金額の基礎にすべき判断材料が提出されていないので、交渉の進め方としては順序が逆ではないか。」と質問したのに対し、被告人安倍は、「従来の観念ではそのとおりだが、それでは駄目だ。データーを完全に出していろいろ討議するのは組合交渉や予算折衝みたいなものだ。もつと大掴みの線でいかなければならない。予算折衝みたいな形でぶんどつてやれというのであれば双方傷がつく。阿賀野川事件のような計算的なやり方では、結局怨念が残つて駄目だ。次元の低い解決になる。」旨述べて、具体的なケースの件数や内容を詮索することなしに大掴みな政治的な判断に立つて、被告人らの前記要求を応諾することを迫り、大久保が「欠陥を前提としない見舞金というのが会社の立場であり、この前提に立つ限り会社が提案する三億円は十分に妥当な額であつて、これを越えるような金額を応諾すれば、欠陥を会社が認めたと受けとられるおそれがある。」旨述べても、被告人安倍は「金額は問題ではない。要はその出し方である。『面倒くさいから全部お任せする』といえば、決して悪いようにはしない。」、「一番良いのは騙されたつもりでポーンと出すことだ。そうでなければこれだけの大戦争は終結しない。」などと述べ、さらに大久保が「死亡者四〇名として一人五百万円、負傷者二〇〇名として一人五十万円で合計三億円になり、三億円の提案は見舞金として十分に妥当な額である。」旨繰り返して主張しても、「計算ずくでやるということが矮小だ。それでは話が進まない。」として取り合わず、あくまで被告人らの要求を貫徹させようとした。このように、被告人安倍は、この日の席上でも、残りの件を一括してその件数や内容を伏せたまま被告人ら主張の総額で処理解決しようとする態度を堅持し、これを変えようとしなかつたため、大久保は事態を打開するため、「話合いの進め方を変えて、西村事故の場合と同様、二、三の具体例を取り上げて、ひとまずその事案の解決処理を検討してみたらどうか。」と提案したところ、被告人安倍は、「それでは好ましい方向に進まない。それは今や危い。個別交渉をやつていたのでは、武装蜂起が始まる。そんなことをやつている暇はない。憎悪の魂みたいに江戸城に殴り込んで火付けをしようと思つている連中ばかりである。そういう心理を変えるには並大抵な方法では駄目だ。飛躍的なものでなければいけない。」旨述べて、右提案を拒絶し、早急に被告人らの前記要求を応諾しないかぎり、熾烈な手段を用いて本田技研を攻撃する旨示唆して脅迫した。

なお、その席上、財津が、九月二五日の交渉の際にも話題になつた、九月二二日日付の朝日新聞における林同盟委員長の談話記事に触れ、今後ともこのようなことが起こるのかどうかただしたのに対し、被告人安倍は「妥結すればそのようなことはなくなるが、いろいろなことが出て来ると思う。だから早くしなければいけない。」旨述べて、早期に被告人らの要求に応じて交渉を妥結させなければ、今後も同様の新聞報道が出ることを示唆して脅迫した。

また、財津が、被告人安倍がさきに交渉の席上、本田技研が提供した総額のうち被害者に配分した後余つた分を返還する旨発言していたことにつき、余剰が出る見込みの有無をただしたところ、被告人安倍は、「やつてみなければわからない。私は余らせようと思つている。」旨述べ、さらに財津が、現在被告人らが把握しているケース以外に賠償を要求して来る者が出現した場合の処置をただしたところ、被告人安倍は、「それはせいぜい一割か二割で誤差の範囲だ。むしろ、損害を過大に主張している者も多いので、厳密に調査してゆけば、金額を減らすことができると思う。したがつて、総額は極度額と思つてよい。」旨述べた。

(リ) 被告人安倍から右会談の状況を聞いた被告人松田は、同月一一日、前記森潔に電話をし、交渉が進行していない旨をいい、「本田は喧嘩する気なのか。まとめる気なのか。まとめる気がないようだが、国会が近づいている。朝日新聞が運輸省とか地検、国会に働きかけを始めている。全車回収ということになるといけない。」旨述べたので、森はこのことを大久保らの交渉担当者に連絡した。また、そのころ発売されたユニオンの機関誌「ジヤツクフ」一〇月号には、「不起訴でよいのか、ニツサンエコーとホンダN三六〇」との見出しで、朝日新聞伊藤記者の司会でN三六〇は欠陥車である旨の内容の被告人両名の対談記事や、「藤倉の母は訴える」との投書記事等を掲載して、N三六〇に対する批判、攻撃を強めていた。

一方、そのころ、本田技研の依頼による株式会社電通が一般の車両保有者に対して行つた本田技研製造車両を選択しなかつた理由に関するアンケート調査の結果が判明したが、それによると、N三六〇ばかりでなく、ライフを含めて、本田技研製造車両は欠陥東で安全性に不安があるとの理由が多数を占め、しかもそれが新聞報道に基づく判断であることが判明し、本田技研の責任者らは苦悩を深くしていた。

(ヌ) 同月一八日、大久保、中村、財津の三名は、かねての約束に従い、安倍法律事務所を訪れ、被告人両名と面談した。冒頭、被告人松田は、前回の浜松における本田技研の折衝態度には誠意が認められないとして、大久保らに対し「まとめる気があるのか。ユニオンではもう御破算だという結論が出たのだ。」と結め寄り、安倍の取り成しで、渋々交渉を続けるとの態度を示した。

大久保らは、前回同様、まず、二、三の具体例を取り上げて交渉したい旨申入れると、被告人安倍は、「事態は切迫しているから待てない。同盟内部をこれ以上抑えられない。今だから抑えられるが、一一月になつたら駄目だ。」旨述べ、被告人松田も「だらだらした話をやつていられない。地検からも早やれと突つつかれている。ほかにもいろいろあるんだ。そんなに待てない。」旨述べて、こもごも右申入れを拒絶したうえ、さらに被告人松田は、「あまりいうと恐喝になるが」と前置きして、「国会が始まつた。ある国会議員が鑑定書を手に入れて取り上げようとしている。運輸省に全車回収を迫ろうとしている。国会議員は票になればなんでもやる。自分にも出てくれといわれている。そのほかにいろいろな訴訟があるし、西田専務の発言だつて名誉毀損だから、これも取り上げられるし、汎用機(農業用)の問題もある。不実記載もどうなるかわからない。海外からもいろいろな問合せが来ているが、みんな自分が抑えているのだ。」旨述べ、残りの案件を一括して解決しようとする被告人らの前記要求を早急に応諾して解決しなければ、国会議員や運輸省に働きかけて、本田技研によるN三六〇の全車回収に至らせるような行動に出るばかりでなく、同車両の欠陥問題に限らず、西田専務の名誉毀損発言問題、汎用機の欠陥問題、N三六〇の二重登録問題等についても新たに告訴や民事訴訟を提起し、さらには、ネーダー等にも通報して米国でも本田技研製造車両を欠陥車として問題にさせ兼ねない旨示唆して脅迫した。大久保が「国会議員が運輸省に働きかけるのならそれもやむを得ない。」旨発言すると、被告人安倍は「そんなことを言つていいのか。鑑定書を見たのか。本当にやらせる。」旨述べ、さらに「本件のような古い問題は早く忘れさせて、国会に取り上げさせないようにしなければいけない。今がそのチヤンスである。」旨述べて、被告人らの要求に対する回答いかんによつては、再びN三六〇の問題を国会で取り上げさせる旨を示唆して脅迫した。

また、大久保が「総額を定めないで、全部の案件の解決を被告人らに一任するから、個々の事例について全部でいくらになるか計算して、その金額を教えて欲しい。」旨提案したところ、被告人安倍は「それではまとまらない。総額が三倍になるかも知れない。西村の件よりも高い金額が出てくるかもしれない。」などと述べて、右の提案も一蹴し、「こういう大戦争を収めるのに十億、二十億は問題ではない。」といい、あくまでも、被告人ら主張の総額による一括解決の要求を固執した。

そして、被告人安倍は、「総額が合意に達したら示談契約に調印して共同声明を出したい。共同声明は四方円満に解決したという趣旨の内容にし、共同声明では金額に触れず、公正な第三者による仲裁委員会の裁定に任せたとする内容にするのがよい。」、「第三者委員会は、超一流の人物三、四名の複数で構成し、解決金の総額をここに預託してその配分額の査定を行うことにする。」旨述べ、大久保が「第三者の裁定に任すのなら、総額の金額を決める必要も、お金を預託する必要もないではないか。」旨問いただすと、被告人安倍は「それは担保の一種として積んでもらう。」旨答え、大久保が、さきの交渉の席上被告人安倍が預託金を余らせ、その余剰金を返還すると言つていたことの趣旨をただすと、被告人安倍は「余つたら返すが、余すというのはジエスチヤーである。」と述べ、実際は余らせる意図などないことを口にした。

このように本田技研側の提案や申入れをすべて拒絶し、一方的に自己の主張のみを押し通そうとする被告人らのやり方に不満を持つた大久保が、「話合いの場と思つて今までいろいろな方法を提案して来たが、何ひとつ取り上げてもらえない。これは交渉ではなくて要するにいうことを聞けということか。」とただすと、被告人安倍は、「通常の示談交渉と考えてくれてはまとまらない。政治的に解決するしかない。」旨述べ、つづいて中村が「それでは、会社に対してはイエスかノーかを求めているだけであつて、会社としてはそれ以外に選択の道がないのか。」旨ただすと、被告人安倍は、これを肯定し、「一諾で応じてもらうだけだ。」と答え、ひたすら被告人らの要求を応諾することを迫つた。

なお、被告人安倍は、交渉期限について「一〇月一杯で交渉をまとめて調印し、一一月には共同声明を発表することにしなければ、この話は駄目である。」旨述べた。

大久保は検討のうえ応答したい旨述べ、次回交渉の日を一〇月二八日と定めたが、被告人松田は、「今度はだらだらとした話ではなく、イエスかノーかはっきり返事をしてほしい。」旨述べて、次回の会合までに被告人らの要求を応諾するかどうか態度を決めるように迫つた。

(ル) 本田技研では、右一〇月一八日の交渉後、同月一九日と二〇日の両日専務取締役会を開いて、大久保の報告に基づき被告人らの要求について対応策を協議した。出席者の中には、被告人らの要求を応諾するのが同社の損害を最も少なく食い止める方法ではないかとの意見を持つ者もいたが、被告人らの要求するような多額の金員を支払い、しかも共同声明が発表されることになれば、同社がN三六〇の欠陥性を認めたものと世間に誤解される結果となり、かえつて信用失墜と損害の拡大を招来するので、それよりはむしろ被告人らの要求を拒否し、攻撃を受けて立った方がよいとする意見が大勢を占めた。また、被告人らの行為は恐喝罪に当たるので、告訴することを検討すべきだとする意見も出された。結局、この段階での交渉の決裂は極力避ける必要があるとの判断に到達し、一方において告訴の準備をすすめるとともに、次回の交渉では、被告人らの要求に対する諾否の返答を留保し、共同声明発表の取止めを求め、総額による一括解決に代えて、二、三の個々の事例についての個別的解決を図ることを重ねて提案することに決まつた。

一方、被告人松田は、交渉を進展させようとして、同月二一日、前記森潔に連絡をして、東京都港区赤坂の料亭「たか井」において同人と面談した。被告人松田は「本田は三億しか出さないといつているが、それでは絶対駄目だ。二十億でないと話はまとまらない。」と述べ、森が「そのような二十億円もの高額の要求にはとうてい応ずることはできない。せいぜい一桁の億であろう。」との見通しを述べると、同被告人は「二年以上の分割支払いではどうか。」とか、「現金は三億円で、残り十七億円は手形で第三者に預けることにしてもよい。」などと述べ、本田技研がこの支払条件で応諾するかどうかを打診した。そして森が、交渉が決裂した場合の被告人らの態度を尋ねると、同被告人は「国会に働きかけて亘理鑑定書を提出させる。それをやったら会社が一番損するであろう。」、「ネーダーへの通報を止める理由もなくなる。」、「訴状提出の準備ができ上つているので、民事訴訟の提起や、告訴もある。」、「社長、副社長については、背任、横領の罪で告訴することもできる。」、「朝日新聞の記者とも緊密な連絡をとつている。朝日が非常に大きな働きをしているので本田は窮地に追い込められる。」などと述べた。森はこの日の会合の状況を大久保と中村に知らせた。

ついで一〇月二八日に安倍法律事務所で交渉する予定であつたが、当日被告人安倍が所用で出席できなくなつたため、場所を前記料亭「初波奈」に変更し、被告人松田と大久保、中村、財津が出席して交渉を行つた。被告人両名は、本田技研側のこれまでの態度から被告人らの要求するような方法、金額で示談を成立させる可能性が薄いと判断し、あらかじめ打合せをして、当日で交渉を打ち切る決意を固めていた。席上被告人松田は、その日のうちに会社側の最終的な返答をしてほしいと前置きしたうえ、被告人らの要求を明確にして提案するとして、総額は二十億円とし、うち証拠金として三億円を現金で、残り十七億円は手形として、これを実行委員会に預託し、同委員会で配分を決めること、実行委員は中央労働委員会の委員や東京大学教授等三、四名とするが、うち一名は本田技研で推薦する者を入れてよいこと、委員会の査定や配分内容に本田技研側で異論のある事例については、会社側が異議を申し立てることができることにすること、などの考えを示し、「合意に達すれば、合意書の文案を被告人らにおいて作成し、一一月一日にこれを本田技研側に提示し、一一月二日に調印することにしたい。」と述べて返答を求めた。また、大久保の質問に答えて「第三者の委員については、まだ就任を引き受けてもらつていないが、合意が成立すれば直ちに引受けを依頼し、もし引受けを拒絶される等の理由により委員会が構成できないときは、この示談契約自体が効力を発しないことになる。」旨を述べた。

被告人松田は、その場での返答を求めたが、大久保は、さらに会社首脳部と相談する必要があるとして、同被告人に返答を翌日まで延期することを求め、同被告人もこれを了承した。

翌二九日、財津及び大久保は、被告人松田に対し電話で、河島専務の意向として、「被告人らにおいてその提案の内容を文書化して提出してもらい、これを一一月八日の取締役会にはかりたい。」と伝え、それまで回答を待つて欲しい旨求めたが、被告人松田は、これ以上返答を待つても本田技研側が被告人らの要求に応ずることはないと判断し、折返し電話で大久保に対し交渉打切りの意思を表明し、ついに交渉は決裂した。

本田技研の顧問弁護士若林信夫は、本件交渉の開始当時から、随時大久保より相談を受け、同人に対し、被害者リストの提示を被告人らに要求することの必要性を強調し、あるいは西村事故の示談の前記合意書案に目を通し、また、被告人らの主張する方式での一括示談解決案の危険性を進言するなどして来たところ、大久保から一〇月一八日の交渉状況の説明を受け、被告人両名の行為は恐喝罪に当たるものと考え、同月二三日東京地方検察庁に赴いて係官に事情を話した。そして、同月二五日、同庁において西田専務取締役が本件交渉等について事情を聴取された。さらに、同月二九日、本件交渉の決裂を聞いた河島専務取締役らは、被告人両名を恐喝の罪で東京地方検察庁に告訴することを決め、一一月一日同庁に告訴状を提出して、告訴の手続きをとつた。翌二日、被告人両名は、右十六億円の恐喝未遂罪の容疑で逮捕された。

以上(イ)ないし(ヌ)の経過のとおり、被告人両名は、被告人らとの交渉に当たつた大久保らを脅迫し、同人ら及び同人らの報告を受けた本田宗一郎社長らの関係役員を畏怖させ、西村事故の解決金の名目下に金額八千万円の小切手一通を喝取し、さらに大久保らに対し、西村事故以外の残りの案件を一括して解決するための示談金の総額として金十六億円を仲裁委員会(本田技研が被告人らのこの要求に対し応諾の意思を表明した後に、被告人らと本田技研との協議により別途設立する予定のもの。なお、名称も未定であつた。)に交付すべきことを要求し、この要求に応じないときは本田技研に対し右のとおりさまざまな攻撃を加えるべき旨を示唆して脅迫し、大久保らをしてそのむね畏怖させたが、右(ル)のとおり結局同社が応じなかつたため、右金員については喝取の目的を遂げなかつた。

(3)  喝取した金員の処分状況

被告人安倍は、前述のとおり、昭和四六年九月二九日西村事故の解決金として金額八千万円の小切手一通を受領したが、その後間もなく林善三に対し、西村事故につき八千万円で示談が成立したことを知らせるとともに、その旨を西村卓二に伝えること及び同金員の分配について同人と相談することを依頼した。林は、右金員を西村に六割、被告人安倍の弁護士報酬その他ユーザーユニオンの取得分四割とするとの腹案を持つて西村と相談した。西村は、予想もしなかつた高額の示談金に驚いたが、林と話し合つた結果、西村自身は六割の四千八百万円を取得し、残り四割の三千二百万円は被告人安倍に対する弁護士報酬やユーザーユニオン、被害者同盟に対する寄付金等に当てること、その四割の配分については林及び被告人両名に一任することを了承した。

被告人安倍は、九月三〇日、右小切手をひとまず富士銀行桜上水支店の安倍治夫名義の普通預金口座に振り込んだ後、同日同支店に新たにユーザーユニオン名義の通知預金口座を設定し、右八千万円のうち、同日七万円を、同年一〇月二日に七千九百九十三万円を同口座に振り替えた。

ついで被告人安倍は、同月六日、安倍法律事務所において、上京して来た西村及び林に、西村事故に関する本田技研と取り交わした前述の合意書を示し、その内容、特に秘密保持条項を強調して、示談についての秘密厳守方を要請した後、八千万円の配分について、弁護士報酬名義で二割をユーザーユニオンにその活動資金として提供し、一割をユーザーユニオンの法人化基金に当て、残り一割を折半してユーザーユニオン岸和田支部と被害者同盟に各活動資金として提供する案を示して、両名の了承を得た。そして、被告人安倍は、同月八日西村卓二に四千八百万円を送金した。

残りの三千二百万円については、被告人両名が逮捕されまでの間に合計七百十七万円余が支出されたが、その使途は、機関誌「ジヤツクフ」の印刷及び製本の割賦代金、その用紙代金、ユーザーユニオンの用具ジヤイロスコープの購入割賦代金等、主としてユーザーユニオンの債務の支払いであつた。そして、被告人両名が逮捕された当時前記ユーザーユニオン名義の通知預金口座には、金利等を含めて二千四百八十万円余が残されていた。

ちなみに、前記合意書によると、西村卓二は、前記解決金の一部で西村知美(西村巌の妻)の遺族及び第三者に対しても適切な補償の措置を講ずべきものとされていたが、西村卓二は、被告人安倍から前記送金を受けて間もなく、知美の父に対し、前記解決金の金額を伏せたまま、百万円だけを提供し、また、西村事故の際西村車に衝突して車両破損の損害を受けた対向車の所有者に対しては、被告人らの逮捕後に十万円を提供した。

第二日産自動車株式会社に対する犯行

(1)  犯行に至る経緯

松村幸一(昭和一六年二月二七日生)は、新潟県長岡市蔵王町二丁目一番二九号でクリーニング業を営み、洗濯物の集配、集金等のため、昭和四四年三月頃日産サニー薪潟西販売株式会社(以下、「サニー西販売」という。)から代金四十五万六千円で購入した日産サニーバンデラツクスVB一〇型(新車)(以下、「松村車」という。)を運転、使用していた。松村車については、その後同年一二月に後記のとおりガソリンタンクが交換されるまでの間一、〇〇〇キロ、三、〇〇〇キロの各整備、六か月法定検がなされたほか、前後約八回にわたつて長岡市内の自動車整備工場である山田自動車、中沢自動車等でエンジン、ブレーキの各調整、板金塗装等の修理がなされていたが、同月一一月下旬ごろまでの間における点検整備の過程では、ガソリンタンクからのガソリン漏れという事実は全然認められず、また、松村車からその旨が訴えられたことも全くなかつた。

ところで、松村は、昭和四四年五月ごろから頭痛、倦怠感等を覚え始め、同年九月ごろからは頭痛の度合いが高じ、心悸亢進、胸部圧迫感を覚えるに至り、そのころから翌昭和四五年六月ごろにかけて長岡市の中沢医院、吉田医院、中央総合病院、谷口医院、十見外科病院、北長岡診療所並びに新潟大学椿忠雄教授の診察を受けた。その結果、中沢医院では「高血圧症」、吉田医院では「脳循環障害、頸椎及び胸椎変形症」、中央総合病院では「自律神経失調症」、谷口医院では「一種のノイローゼ」、「片頭痛」、十見外科病院では「多発性神経炎」、北長岡診療所では「神経症」等とそれぞれ診断され、さらに新潟大学では、昭和四五年一月九日から同月二五日までの間入院したうえ(入院の経緯は後記参照)、特に鉛中毒の有無について精密検査を受けたが、鉛中毒とは認められず、「緊張性頭痛」と診断された。

ところが、松村は、前記谷口医院で診察を受けた時に医師から症状がガス中毒に似ているといわれたことがあつた。また、同人は、昭和四四年一二月中旬ごろ松村車に乗ろうとして運転座席横のドアを開けた際に車内にガソリン臭を感じたとして、長岡市内の長岡文化整備工場で点検してもらつたところ、車内にガソリン臭がし、また、ガソリンタンクユニツト(車内の左側後部に取り付けられているもの。ただし、その下部は床面下に出ている。)のキャツプ付近及びその下方床面にわずかにガソリンの乾燥した痕跡があることが認められた。同工場では、ガソリンの痕跡付着の原因は明らかではなかつたが、一応そのタンクのユニツトゲージ部の周辺に耐油性の接着剤を塗布してガソリン漏れの防止処置をした。そして松村は、前記のような自己の症状をもつて、同車のガソリンタンクに欠陥があり、そこから漏れて気化したガソリンを運転中吸引した結果、いわゆる鉛中毒に罹患したことによるものと強く信じ込むに至つた。

このようにして、松村は、同月中旬ごろ、サニー西販売に対し、自己の車両のガソリンタンクを取り換えるように強く要求し、同社は、同車のガソリン漏れ及びこれによる鉛中毒罹患の主張を認めたわけではなかつたが、営業政策上の観点から同人の要求を容れてガソリンタンクを交換して取り付けた。しかし、同人は、これだけでは満足せず、さらに同社に対し、執拗に損害賠償を請求してやまなかつたので、同社は、同人に対し、権威ある病院で診断を受けることを勧め、その結果を待つて話し合うことを提案し、同人もこれを了承して、前記谷口医院の医師谷口昇の紹介により前記新潟大学椿教授の診察を受けることになり、四月下旬、同大学病院で同教授の診察を受けたうえ、一応「鉛中毒の疑い」という病名で前記のとおり入院したのであつた。

また、松村は、前記ガソリンタンク交換の際、前記長岡文化整備工場に要求して、点検に当たつた整備工の吉岡勇一、同岸良三連名の、松村車を「昭和四四年一二月一五日点検した結果、燃料タンクユニツト・パツキン部よりガソリン漏れがあり、タンクを伝わつて床部に届いていたことを証明する」旨の証明書を書いてもらつた。しかし、前記のとおり、同工場では前記ガソリン痕跡付着の原因は明らかでなかつたものであり、また、もともとニツサンサニーバンVB一〇型車の構造上ガソリンタンクの取付箇所には床面との間に隙間があり、万一ガソリンタンクのキヤツプ部よりガソリンが漏れたと仮定しても、当然その隙間から下方の車外へ流れ落ちるはずであり、車内の床面に流れてたまる(これは当時松村が現認したというものであつた。)というようなことは、右取付箇所を一見しただけで、およそあり得ないか、少なくとも極めて疑問の多いとわかることであつた。

ところで、松村は、前述のとおり鉛中毒に罹患している旨の医師の診断を得られなかつたものの、これに罹患しているものと一途に信じ込み、そのころから、サニー西販売に対し、みずから、あるいは長岡市内の弁護士山田昇や新潟県会議員目黒吉之助に頼んで、新車との交換ないし損害賠償を請求したが、同社は請求の理由がないとしていずれも拒絶した。ちなみに、松村が昭和四五年四月二九日サニー西販売に請求した賠償金額は、医療費五万千七百十一円、休業費二十万円、慰藉料三十万円、合計五十五万千七百十一円であつた。

その後、松村は、昭和四五年一〇月ごろ、前記目黒議員から新潟県選出の参議院議員松井勝を紹介され、さらに松井議員からユーザーユニオンに相談することを勧められた結果、同月二一日松井議員の秘書に伴われてユーザーユニオン事務所を訪れ、被告人松田と面会し、経過を説明するとともに、販売店に対し五十五万円余の賠償請求をしていることなどを述べたうえ、ユーザーユニオンを通じてサニーバンの製造会社である日産自動車に対し損害賠償を要求して交渉をしてもらいたい旨依頼した。被告人松田は、松村の訴えは確証を欠くと考え、同人に対し、鉛中毒の専門家である名古屋市立大学奥谷博俊教授の診断を受けるように指示するともとに、さしあたり東京都港区の氷川下セツルメント山田信夫医師の診断を受けるように指示した。松村は、早速山田医師の診察と検査を受け、間もなく同医師から「四アルキル鉛中毒症」であるとの診断書の送付を受けたが、その後奥谷教授の診察を受けるには至らなかつた。また、松村は、長岡市の前記谷口医師に頼んで、「鉛中毒症疑」との、同年一〇月三〇日付の診断書を書いてもらつた。

松村は、昭和四六年三月六日、再びユーザーユニオン事務所を訪れ、被告人松田に対し、山田医師、谷口医師の各診断書写し、前記長岡文化整備工場の吉岡勇一及び岸良三連名の前記証明書写し、松村の撮影した交換前のガソリンタンクの写真三枚、サニー西販売に対する損害賠償請求の内容のメモ等を手交して重ねて日産自動車に対する交渉を依頼するとともに、慰藉料の要求額を増して、要求金額は全部で最低五百万円としてほしいと述べた。被告人松田は、松村に対し、この依頼を承諾し、同人をユーザーユニオンに入会させ、被告人安倍に日産自動車との交渉を委ねる旨約束した。

(2)  罪となるべき事実

(一)  共謀

被告人松田は、日産自動車に在職していた当時、昭和四一年ごろ、同社内部において、サニーバンに関しガソリンタンクからのガソリン漏れがあるとの不具合情報に基づき製造過程上ガソリンタンクの検査方法を改めたことがあつたのを覚えていたことから、松村の訴えるガソリン漏れについて深く調査、検討することなくあり得ることであると速断したが、松村の説明と同人から手交された前記資料以上に事実関係の調査を行わず、それゆえ、松村車のガソリン漏れ及び松村の鉛中毒罹患の各事実についてはいずれも確たる証拠はなく、したがつて、それらの事実があり、その間に因果関係があると主張するにはあまりにも根拠に乏しいことを認識していた。

ところで、被告人両名は、前款「犯行前の一般的な事情」の中で述べたとおり、日産自動車に対しては、マイクロバス・ニツサンエコーの運転事故に関して同車に欠陥があるとして、同会社社長等の役職員を告訴、告発し、民事訴訟を提起するなどし、マスコミの報道力を借りて同車の「欠陥性」を社会に訴える行動に出て、同会社の信用と販売業績に大きな打撃を与え、また、本田技研に対しても軽四輪乗用車ホンダN三六〇の「欠陥性」に対する攻撃を通じて同様に大きな被害を与えて来たところ、このような被告人両名の激しい行動を身をもつて体験し、また見聞している日産自動車が、被告人両名がさらに同会社の他の車種についても同じような攻撃を加えて来ることを極度に恐れていることをともに十分に認識していた。

そして被告人松田は、前記のとおり、松村から日産自動車に対する金額五百万円もの損害賠償請求の依頼を受けるや、これをそのまま被告人安倍に取り次ぐならば、被告人安倍が松村の訴えについて事実調関係の十分な調査と検討を加えることなく、確実な根拠のないまま、日産自動車に対し、示談交渉を開始し、その際右のような同社の恐れている所を衝いて多額の金員を請求し、同社を畏怖させて金員を取得する行為(恐喝)に出ることがあるものと予見したが、金員取得の目的を遂げれば、ユーザーユニオンを頼つて来た松村の願いに応え得るとともに、被告人安倍の弁護士報酬として多額の金員をユーザーユニオンにもたらし得るものと考え、被告人安倍と共同して右恐喝を遂行することを意図し、前記のとおり昭和四六年三月六日松村から依頼を受けて間もなく、そのころ、被告人安倍に対し電話で松村の依頼の趣旨と自己の意見を説明するとともに、松村から手交された書類と写真を被告人安倍のもとに回付した。

被告人安倍は、被告人松田から電話で右説明を聞き、松村の書類と写真の回付を受け、被告人松田の右意図を察知したが、さらにみずからそのころ松村に電話をして一応事情を聴取したうえ、被告人松田と同様に、松村車のガソリン漏れ及び同人の鉛中毒罹患の点についてはいずれも確たる証拠はなく、したがつて、それらの事実があつてその間に因果関係があると主張するにはあまりにも根拠に乏しいことを認識していたが、日産自動車に対し、被告人松田と同じ意図のもとに示談交渉を開始し、その際示談金の名目下に金員喝取の行為に出ることを決意し、ここに被告人両名の共謀が成立した。

(二)  実行行為

被告人安倍は、右のように松村に電話してその症状や新潟大学病院における受診の状況等従来の経緯を聴くとともに、その話しぶりから常人と違つたところがあるのを感じたが、それ以上の調査、検討を行うこともなく、日産自動車に対し示談交渉を始めることにした(なお、被告人安倍は、松村に対し、電話により、同人を四アルキル鉛中毒症であるとした前記山田信夫医師の診断書だけでは、同医師は左翼系の人であつて社会的に信用がないから不十分であり、さらに検査する必要がある旨を述べ、検査の材料として同人の頭髪と歯一本を送付するように指示して、これを送付させたが、結局最後まで検査は行われなかつた。)。

(イ) 被告人安倍は、昭和四六年三月一七日、安倍法律事務所から、既述の滋賀事故及び京都事故に関する折衝によりかねて面識のあつた月産自動車(東京都中央区銀座六丁目一七番一号所在)の取締役総務部長長久志本隆に電話をし、「新潟県長岡の松村幸一という人がサニーバンのガソリン漏れで鉛中毒になつたと主張している。丁度鉛公害とか無鉛ガソリンで世間が騒がしい時であるから、この問題はごく内輪で解決したい。本人は鉛のために判断力をほとんどなくして廃人になりかけている。この話は選挙区の社会党のある方から自分の方に持ち込まれたもので、その方は国会に持ち出して云々といつておられるが、自分はこれを抑えており、話合いで解決したい。ユーザーユニオンなどという団体もあるので、事が大きくなるとためにならない。松村さんは労働能力をほとんど失つたので、喧嘩をしたくないといつている。しかし、この問題は急がなければならない。ガタガタしていると、いろんな方面で嗅ぎつけて何かをやり始める。社会党のある方はただでさえ何かやりたがつているが、今のところ自分の方で抑えている。示談ということになると、政治性の問題であり、鉛がどうだとか、ホフマン方式がどうだとかいうような人よりも、話のわかる人を寄こしてもらいたい。決断の問題である。あまりこじれると松村さんも何をいうかわからない。ガソリン、鉛とかなんとかいうことになると世間もアレするから、極秘裡に話をつけたい。明日の昼ごろまでに返事をしてくれないか。それまではいろんな所は抑えておく。」旨を申し向け(なお、社会党の議員が国会に持ち出そうとしているとか、被告人安倍がこれを抑えているとかの事実はなかつた。)、松村に対する賠償金の支払いを要求し、応じなければサニーバンのガソリンタンクに欠陥がある旨を公表し、さらに国会でも取り上げるよう働きかけるなどの行動に出ることを示唆して脅迫した。日産自動車では、対応策を協議し、係員を長岡市に派遣して調査させたが、その結果松村車のガソリン漏れと同人の鉛中毒罹患の事実は、根拠が甚だ薄弱で、確認できないことが判明した。その間、久志本は、被告人安倍に対し、回答期限の猶予とともに、松村の診断書等の資料の提供を求め、同月二十日係員を安倍法律事務所に派遣したが、被告人安倍は、診断書等を渡さず、ただ、松村の住所、氏名、販売店のほか、クレーム状況等につき「燃料タンクのガソリン漏れ」、「鉛中毒(鉛顔貌、血中濃度異常)」とのみ記載した鉛中毒ケースと題するメモを一枚手渡したにすぎなかつた。

(ロ) 同月二四日、久志本が被告人安倍に電話をし、「このような鉛中毒ケースは前例がなく、調査したい。調査完了のうえ回答したい。」と回答期限の猶予を乞うや、被告人安倍は、同人に対し、「報道関係は本日正午で期限としている。示談が成立すれば公表するつもりはないが、示談が成立しなければ、被害者が公表し、報道関係が記事にするのは言論の自由で止めることはできない。日産で調査検討しても見解の相違は最後まで続くだろうから、そうなれば裁判で黒白をつけるしかない。このまま日産側で調査を続行するならば被害者は納得しないだろう。やはり腹芸で解決した方がよい。」旨を申し向け、即座の示談解決を迫り、拒否すれば新聞公表は避けられない旨を告げて脅迫した。

(ハ) 被告人安倍は、右の通話から日産自動車の態度にはかなりの抵抗があるものと判断し、今後の交渉を有利に進め、同社をして要求に屈服させる布石として、同二四日朝日新聞の前記伊藤正孝記者に事案の内容を説明し、これをすみやかに同新聞紙上に公表することを要請した結果、翌三月二五日付朝日新聞紙上に「欠陥車で鉛中毒」との見出しで、松村が近く日産自動車を相手に三千万円の損害賠償請求訴訟を提起するとの記事が掲載された。日産自動車では、被告人安倍らの執拗、強引な要求と巧みな報道機関の利用に苦しめられつつ、さらに今後の攻撃に備えて松村の鉛中毒罹患の有無につき調査を続けた結果、同人が鉛中毒でないとの確信をいよいよ深めた。

なお、被告人安倍は、今後の交渉をさらに有利に運ぼうとして、「ジヤツクフ」同年五月号に「ズバリ、クレーム相談、サニーバンのガソリン漏れでおそろしい鉛中毒に」と題する記事をみずから執筆して掲載した。

(ニ) このようにして、同年五月二五日、久志本が日産自動車総務部文書課員米田樹一とともに安倍法律事務所を訪れ、重ねて診断書等の資料を見せてほしいと要請したところ、被告人安倍は、「話合いがうまく行かないで訴訟にでもなった場合のことを考えると、訴訟技術上診断書を見せるわけにはいかない。しかし、氷川下セツルメントの山田医師からは鉛中毒であるとの診断書をもらつており、また、長岡市の医師からも鉛中毒の疑いがあるとの診断書をもらつている。エコーの場合のように訴訟になつてことごとに新聞に書かれたりしたら、企業として大きな損失ではないか。朝日新聞に出た記事の中に損害額として三千万円とあるのは労働能力を完全に喪失した場合の金額であつて、労働能力の喪失を五〇パーセントとしてホフマン式で計算すれば、千五百万円ぐらいにはなるだろう。しかし、問題は計算で出すものではなく、どんぶり勘定で出すべきだ。腹芸でやるべきだ。要は、相互の信頼と幹部の決断だ。」旨を申し向け、なんら合理的根拠を示すことなく千五百万円を要求し、さらに、被告人安倍は、久志本に対し、「日産が米国に輸出しているダツトサントラツクのデイスクホイールのひび割れの件についてラルフ・ネーダー・グループから再三資料要求が来ている。ユーザーユニオンの松田君が今調べている。」旨、「デイラーや自動車関係の新聞記者からセドリツクの新型についてブレーキのオイル漏れがあるとの情報を得ている。」旨、「プレジデントのトルコンの故障、運動系の故障が沢山ある。」旨、また、「エコーの事件については東京地検に順次資料を出しているが、まだ出していない取つておきの資料もある。」旨申し向け、日産自動車の製造販売にかかる他種についても数々の欠陥情報を入手しており、同社が依然要求に応じないならば、今後これを公表し、あるいはネーダー・グループにも通報して米国でも同社の自動車製品の欠陥を問題にさせるなど、数々の手段で同社を攻撃することを示唆して脅迫した。

(ホ) 前述のとおり、同年八月七日、東京地方検察庁検察官が滋賀事故についての告発事件を不起訴処分に付するや、同月二七日、被告人安倍は、その告発人の代理人として京都事故について、日産自動車の役職員らを京都地方検察庁に告訴した。そこで、その直後、かねてから被告人松田と各種クレーム案件につき事務折衝を行つていて面識のある日産自動車広報部広報課長藤枝嘉郎が被告人松田に電話をして告訴に及んだ真意を問いただしたところ、その際、同被告人は、同人に対し、「被告人安倍から鉛中毒の件の交渉経過の詳細につき逐一連絡を受けているが、日産自動車が賠償金の支払いに応じないことを不満に思つていた。」旨を述べて同社の態度を難詰し、さらに同社の直納部に責任、横領の問題があり、被告人安倍が調査中である旨述べるとともに、日産の幹部との面談を要求した。藤枝は、被告人らのこれまでの言動に徴し、この要求を拒否すれば必ずさらに新らたな手段で攻撃を受けるものと懸念し、久志本に対しこの要求を容れて被告人松田と面会してもらいたいと申し出た。

そこで、久志本は、藤枝とともに、同年九月一三日東京都中央区築地四丁目一番一五号所在のレストラン「スエヒロ」築地店において被告人松田と面談したが、被告人松田は、その席上、久志本に対し、「日産に対するクレームは、従来、いちいち解決方法を示唆して解決させ、また、大部分は不問に付してやつた。もしこれをいちいち追及していたら、日産は莫大なクレーム費を払わされたであろう。日産のためにと思つてそういうふうにしたのであるから、日産としては大いに得をしていたのではないか。鉛中毒の件について日産が示談の姿勢をとらない真意がわからない。松村の毛髪とか歯を左翼系の病院だけでなく、公共施設の病院にも出して鑑定させている。その結果は九月一杯で判明するので、来月以降になれば告訴告発問題に発展するだろう。示談の意向があれば、今月中に申し出なければ間に合わない。日産の直納部に背任、横領問題があり、安倍弁護士はこれを株主総会で問題にするといつている。」旨を申し向けて脅迫した。久志本は、同日、日産自動車副社長岩越忠恕及び専務取締役石原俊に交渉経過を報告したが、三名は、被告人両名の要求は全く理由がないと思いながら、もし被告人両名の要求を拒否するならば、さきにニツサンエコーの事故で欠陥車として告訴、告発され、これが大々的に新聞等に報道されて大きな打撃を被つているのに、さらに主要車種のサニーバンまでが欠陥車として同様の攻撃を受け、さらに他車種も欠陥車として取り上げられ兼ねず、しかも社内に背任横領問題があるとして株主総会で指摘されるようなことになつては、同社の信用及び業績上深刻な打撃を受けるに至ることを恐れ、困惑、畏怖し、その結果、同社の顧問弁護士井本台吉とも相談したうえ、同弁護士に被告人らとの今後の交渉を依頼した。

(ヘ) 井本弁護士は、同年九月二一日第一東京弁護士会館応接室において被告人安倍と会見した。席上、同被告人は、「ニツサンエコーの事故(前述の鎰広産建関係)については約五千万円、サニーバンの鉛中毒については約三千万円、合計、七、八千万円程度の金額で示談に応ずる。話がまとまらなければ、日産にはブルーバード、スカイライン、ローレルその他にも欠陥車問題があつて、つぎつぎと『ジヤツクフ』誌上並びに刑事民事の訴訟で攻撃せざるを得ない。そのようなことになつては企業として大変な損失ではないか。社長ら幹部の勇断を求める。一両日中に決着をつけないとあとでは遅い。」旨申し向け、同弁護士から「筋の通らない金は(日産自動車に)出させるわけには行かない。」と要求を拒否されるや、さらに、日本デイーゼル販売株式会社の販売にかかるトラツク一三台につき同社に対し一億円の損害賠償を要求している旨を述べ(後述の、同会社に対する犯行参照)、同弁護士が一台千万円近い要求の不当性を衝くと、同トラツクは欠陥だらけであると反論したうえ、「同弁護士が仲介し、かつ、一両日限りであれば、同要求については約四千万円で手を打てる。」旨述べた。同弁護士は、同被告人のこれらの要求には応ぜず、同日会見の結果を岩越、久志本らに伝え、「鎰広産建の件は再交渉の余地があるが、その他については被告人安倍の要求は拒否せざるを得ない。民事刑事の訴え提起、『ジヤツクフ』誌上の攻撃があつても受けて立たざるを得ない。」とその意見を述べた。岩越らは、被告人両名の今後の出方に大きな不安を感じつつも、同弁護士の意見を尊重してこれに賛成し、数日後社長川又克二もこれに同意した。

以上(イ)ないし(ホ)の経過のとおり、被告人両名は、久志本らに対し、松村の車両の件につき、示談金額として一応千五百万円を示して示談を迫り、日産自動車においてすみやかに示談に応じ、示談金の名目下に多額の金員を交付するように要求し、もしこの要求に応じないときは、同社に対し以上のとおりさまざま攻撃を加えることを示唆して脅迫し、同人ら並びにその報告を受けた岩越、石原ら同会社幹部をしてその旨畏怖させたが、右(ヘ)のとおり同会社が被告人らの要求に応じなかつたため、金員喝取の目的を遂げなかつた。

第三トヨタ自動車販売株式会社及びトヨタ自動車工業株式会社に対する犯行その一

(トヨタDA貨物自動車関係の事件)

(1)  犯行に至る経緯

北原義胤、横田定夫、赤沢俊衛、早川忠雄、宗泉、山田武司及び山口輝夫は、神奈川県横須賀市、横浜市等に居住し、ダンプトラツクの運転手として土砂等の運搬の業務に従事していたものであるが、北原、赤沢、早川、宗、山田、横田の六名は、昭和四五年二月ないし三月、いずれも横浜トヨタデイーゼル株式会社(以下、「横浜トヨタデイーゼル」という。)から中古車のトヨタDA一一〇―D型(六トン積み)ダンプトラツクを一台ずつ、代金三十二万余円ないし五十二万余円(いずれも割賦支払い)で買い受けて使用し(これら六台の車両は、かつて購入者六名が勤務していた不二開発株式会社が昭和四二年三月ないし昭和四三年六月ごろの間に横浜トヨタデイーゼルから新車で買い入れ、六名に使用させていたところ、不二開発株式会社の倒産により代金未払いの理由で横浜トヨタデイーゼルに引き揚げられたが、六名があらためてこれを横浜トヨタデイーゼルから買い受けたものである。)、また、山口は、勤務先の長島重磯株式会社が昭和四三年五月ごろ横浜トヨタデイーゼルから代金百九十八万円(割賦支払い)で新車で買い入れたトヨタDA一一〇―D型(六トン積み)ダンプトラツク一台を保管し、使用していた。

ところで、北原は、昭和四五年一二月一五日に自己の右車両を運転し、横須賀市追浜本町二丁目の道路を走行中、停車中の上原五郎運転の大型貨物自動車に追突し、同人に治療約一〇日間を要する鞭打ち症の傷害を負わせる事故を起こした。その原因は、その後の調査により、北原が急制動の措置をとつた際に左後輪のリアブレーキのアンカーボルト六本及びバツキングプレートのセツトボルト二本がいずれも折損し、バツキングブレーキが回転してブレーキパイプをねじ切り、油圧漏れによる制動不良を生じたことにあると認められたが、神奈川県警察本部鑑識課が折損した右ボルト八本を鑑定した結果によると、うち二本のボルトは車両の使用状況に徴してその耐久限界を超え、引張疲労のため事故以前にすでに破断しており、他の二本のボルトはトヨタ製の純正部品でないいわゆる純正外部品で、かつ、締めつけ具合が不完全であつたため、残り四本のボルトにかかる荷重が過大となり、ついに折損するに至つたものと判定された。そして、事故後修理を引き受けた神奈川トヨタデイーゼル株式会社(以下、「神奈川トヨタデイーゼル」という。)の係員らが北原の車両を見分したところ、過酷使用の痕跡と整備不良の状況が歴然としていた。なお、北原は、被告人らの本犯行後の昭和四六年六月ごろ上原五郎に休業補償、慰藉料、治療費等合計五万千七十円を支払つて示談解決した。

北原は、右事故以前にも自己の車両の同種ボルトが折損したことがあつたので、右事故の状況を前記同僚の横田らに話したところ、同人らも使用中の同型車両についてかねてボルトの折損を経験していることを述べたので、ボルトの折損はその材質の強度不足に起因するものではないかとの疑いを抱くとともに、当時神奈川トヨタデイーゼル六浦営業所に支払うべき車両の修理費約二十万円の捻出に苦慮していたところから、ボルトの折損が材質の強度不足に起因する旨を主張して修理費用を免除してもらおうと考え、昭和四六年一、二月ごろ同営業所に赴いて申し入れるなど再三その旨交渉したが、同会社では、当時当該折損ボルトにつきまだ捜査当局で調査中であり、その折損の原因が明らかでないとして北原の要求を拒否していた。

北原は自己の要求が容れられないことに強い不満を抱いたが、そのころ新聞によりユーザーユニオンの存在を知るや、同ユニオンの力を借りて直接車両の製造、販売会社に交渉して同社より金銭の補償を獲得しようとの期待のもとに、同年二月二七日同僚の前記早川とともにユーザーユニオン事務所を訪れたのをはじめとして、数回にわたり同事務所に赴き、その間に被告人両名を知るに至つた。そして、北原は、被告人両名に対し、ボルト折損の実情を話すとともに、調査のうえ強度不足等の欠陥がはつきりしたならば製造、販売会社に損害賠償を請求してほしいと要望したところ、被告人安倍は、これを了承し、北原に自己あての訴訟委任状の提出を求め、さらに北原から同様にボルト折損を経験している前記同僚六名がいることを聞き知り、その六名をも誘つて訴訟委任状を作成して提出するよう北原に求めた。

被告人松田は、そのころ、北原から、前記事故を取り扱つている田浦警察署の係官が折損ボルトの中には純正外部品も使用されていると言つているので調べてほしいといわれ、北原から折損ボルト(ただし、北原の車両のものではなく、同僚の車両のもの)及び一般の修理工場で販売されているトヨタ製の純正ボルト各二本の提供を得て、ユーザーユニオンの会員で科学技術庁金属材料技術研究所に勤務している松島忠久に右ボルトの材質、強度等の比較試験を依頼し、同人から、折損ボルトもJIS規格に適合するもので、トヨタ純正ボルトと同一の材質、強度のものである旨の試験報告書を入手した。

北原は、被告人安倍の指示により、前記横田ら六名にも問い合わせて、自己の車両を含む各人の使用車両計七台につき車体番号、故障の部品、回数、休業日数等を調査して取りまとめた一覧表を作成し、各人の訴訟委任状とともに、ユーザーユニオン事務所に提出した。

被告人松田は、右訴訟委任状、試験報告書、一覧表を被告人安倍のもとに届け、右各車両の販売会社であるトヨタ自販ないし製造会社であるトヨタ自工に対する交渉を同被告人に委ねた。

(2)  罪となるべき事実

(一)  共謀

被告人両名は、北原ら七名の右のような依頼を受けたものの、北原の説明と右資料以上に、北原以外の六名から直接事情を聴取し、各車両を実地に見分する等の事実関係の調査をすることもなく、それゆえ、トヨタDA一一〇―D型トラツクの車輪にボルトの強度不足等の欠陥があるとの点については何ら確たる証拠もなく、したがつて、同車にそのような欠陥があり、かつ、北原らの車両の事故ないし故障の原因がその欠陥にあると主張するにはあまりにも根拠の乏しいことをともに認識していた。しかし、被告人両名は、すでに詳述したとおり、これまでユーザーユニオンを本拠として日産自動車及び本田技研の両社に対し、その製造、販売車両に欠陥があるとして、報道機関への情報提供、社長ら役職員の告訴及び告発、民事訴訟の提起、国会及び行政官庁への働きかけ等のさまざまな手段により強烈な批判、攻撃を行い、これらを新聞等のマスコミに大々的に取り上げさせ、両社の販売業績及び信用に大きな打撃を与えて来ており、同じ自動車の製造、販売会社であるトヨタ自工、同自販においても、被告人らから同様の批判、攻撃を受けて日産自動車及び本田技研と同様に販売業績及び信用上の大きな損害を被ることを強く懸念して、被告人らの攻撃が自己らの製造、販売車両に向けられて来るのを極度に恐れていることをともに十分に認識していた。そして、被告人両名は、北原ら七名の委任を受けて間もなく、互いに意思を相通じて、トヨタ自販および自工がこのように恐れている所を衝いて、共同して、北原らから依頼された件について示談に応ずるようにトヨタ自販を、またトヨタ自工も交渉に現れたときは同社をも脅迫し、畏怖させ、同会社らから示談金の名目下に多額の金員を喝取して、北原らの依頼者の期待に応えるとともに、その一部を弁護士報酬としてユーザーユニオンにもたらそうと決意し、ここに被告人の共謀が成立した。

(二)  実行行為

(イ) 被告人松田は、昭和四六年四月一七日、ユーザーユニオン事務所にトヨタ自販販売拡張部広報課長中岡弥典及び同会社サービス部東京サービス課長山越喜久男を呼び寄せ、前記北原、横田、山田、赤沢らをも在席させ、その席上、中岡及び山越に対し、「ここにいる北原さんがDAダンプを運転中左後輪のアンカーボルトが折れ、事故になつた。これはトヨタの欠陥であるから損害を賠償してやれ。このボルト折れについては北原以外にも沢山の人がおり、もしトヨタがちやんとした回答を出さないなら集団訴訟をすると言つている。一週間以内に回答を出せ。」旨申し向け、また、折れたボルトの断面を撮影したという写真と折れたボルトを示し、「われわれはこうやつて材質検査をやつているのだ。設計のミスであり、トヨタの欠陥である。」旨決めつけ、途中入室して来た朝日新聞記者鈴木孝雄を紹介し(鈴木記者は、その際、「このダンプの事故については自分も知つている。神奈川県警でボルトの鑑定中であることも知つている。トヨタ側がちやんとした回答を出さないと、その態度いかんによつてはわれわれも黙つていない。」旨発言した。)、「新聞記者がここにいて事情を知つているのだから、あなた方も早くちやんとした回答をしないとどんなことになるかわからんよ。」旨を申し向け、中岡らがボルトが折れたというユーザーら(被告人松田はその席にいる四名を含めて全部で一〇人ほどいると称した。)を一人一人教えてもらいたいと要請したのを拒否し、自己の主張を一方的に押しつけるとともに、朝日新聞等のマスコミに対する影響力を現実に示して脅迫した。トヨタ自販及び同自工の関係職員らは、中岡らの報告を聞き、これまで本田技研及び日産自動車に向けられていたユーザーユニオンの攻撃の火の手が自己らの会社にも向けられて来たことに驚愕し、成行きを憂慮したが、神奈川トヨタデイーゼルを通じて北原の車両につき一応調査したうえ、対策を協議した結果、ボルトの折損が車両の欠陥によるものとはとうてい考えられないけれども、何分事実関係が不明瞭であるので、ユーザーユニオンからも事情を聞く等さらに調査するとともに、トヨタ自販サービス部地区担当課長有賀道夫を交渉の担当者とすることに決めた。そして、有賀、中岡及び山越の三名は、同月二六日ユーザーユニオン事務所に赴き、被告人松田に対し事実関係の説明を求めると、同被告人はこれに答えず、北原のところへ行つてくれといい、やむなく同日横須賀市の北原の自宅まで行き、同様に説明を求めたのに対し、同人は自分は被告人安倍に白紙委任をしたので同被告のところへ行つて聞いてくれというので、三名は、東京へ引き返し、トヨタ自工調査部法規課桝潟晴夫係長も加わり、四名で同日安倍法律事務所を訪れた。

(ロ) 被告人安倍は、右のような同二六日安倍法律事務所を訪れた有賀、中岡、山越及び桝潟に対し、「この問題は長引くと非常にまずいことになる。情報も漏れてしまうので、早く一発で解決しないといけない。社長か副社長に来てほしかつた。」、「示談というものは欠陥があるかないかということは別にしてお互いに傷がつかないようにまとめるところに妙味がある。」旨申し向け、自己の権限につき北原ら七名から委任状をもらつているといい、有賀が北原の車両のボルト折損は純正外部品の使用と、車両の過酷使用及び整備不良とによると思う等と反論したうえ、北原以外の者については皆目氏名すらわからないので、資料があるなら見せてほしいと要求したが、被告人安倍は、示談が成立せず訴訟となつた場合のことを考えると今ここで見せるわけにはいかないと拒否し、さらに、「示談の場合には腹で金額を決めるのだからあまり関係がない。」、「われわれ要求を呑むか呑まないかは企業に器量人がいるかどうかによつて決まる。器量人のいないような会社はつぶれればよい。日産、本田の例を見なさい。トヨタもわれわれの要求を呑まないと大変なことになる。」、「日産エコーは最初松田が一千万円で示談しないかと持ちかけたが、石原専務が蹴飛ばすものだから、そのあと刑事告訴され、国会で叩かれ、マスコミに叩かれ、企業は大きなイメージダウンを被り、払わなくてもよい馬鹿げた五千五百万円という大金を払わされ、企業も大変な痛手を受けたはずだ。」、「ホンダN三六〇は、西田専務のような男がいて欠陥でないと言い張るものだから、マスコミ、あるいは刑事告訴等で叩かれて、トツプ車種であつたものがこの世から姿を消さざるを得なかつたのだ。要するに器量人のいない会社は滅びてゆく。トヨタさんも、結局われわれの要求を呑んだ方がお得と思う。わたしを信じてわたしに任せてくれるなら、決してトヨタさんの悪いようにはしない。」旨申し向け、早急に示談に応ずるように要求し、もし示談に応じなければ、日産自動車及び本田技研同様、トヨタ自販や同自工も、トヨタDA一一〇型ダンプトラツクが欠陥車であるとされ、告訴や告発を受け、民事訴訟を提起され、それを新聞等により報道されて大きな損害を被ることを示唆して脅迫し、さらに、有賀が要求の内容を質問したのに対し、「まだ資料を整理していないので、次回までに金額を決めて置くが、大体、新車価格、休業補償及び慰藉料であり、こういえはトヨタさんも大体おわかりになると思うので、提示金額を決めて来てくれ。」旨をいい、また、有賀が北原以外の六名の氏名と要求についての資料を教えてほしいと再度要求したのに対し、もしこれを教えるとトヨタ側から一人一人切崩しをされるからできないといつて拒否した。有賀は翌二七日トヨタ自販サービス部長長浦了に対して右の状況を報告するとともに、トヨタ自販及び同自工で対策を協議した結果、被告人安倍の理不尽な要求に憤慨する一方、要求を拒否した場合の結果を懸念しつつ、なお被告人安倍から事実関係を聞き出すことに努めることに決め、そして、同月三〇日中岡及び山越が安倍法律事務所で同被告人に要求の根拠となる事実関係を教えてほしいと要求したが、同被告人から「そんなことをいうのは次元が低い。腹と腹で金額を決めればよい。金額を持つて来ればよい。」と一蹴された。

(ハ) 被告人安倍は、同年五月八日、安倍法律事務所において、有賀、中岡、山越及びトヨタ自工調査部法規課神谷俊之係員に対し、北原以外のユーザーを教えてほしいとの有賀の要求を拒否し、「かりにABCDと名前をつけていうと、Aはボルトの折損何回、リアアクスルシヤフト何回、プルペラシヤフト何回、Bは何回」などと紙片を早口に読み上げ、それまで問題の箇所はリアアンカーボルトだけだと思つていた有賀らをして驚愕させ、有賀がリアアクスルシヤフトが折れるのは重量超過による過酷使用の証拠だ等と説明しても取り合わず、また、有賀が北原のボルトは純正外部品であつたと指摘したのに対し、あれは被告人松田が分析したところ純正品であつたといい、「そんな細かいことをいわずに腹と腹で金額を決めよう。」旨述べ、有賀が全く金額の見当がつかないというと、「新車が五台、一台が二百三十万円、中古車が二台で、うち一台が四十五万円、他の一台が三十五万円、休業補償一日一万円、全体で三〇〇日三百万円、慰藉料は新車一台百万円、中古車一台五十万円、全部で六百万円、北原の事故解決金八十万円、総合計二千二百十万円になるが、ラウンドナンバーで二千二百万円を要求する。トヨタさんにとつては大した金額ではないだろう。ぽんと払つてやるか。北原たちは意気に感じて、トヨタの悪口をいわなくなるよ。」旨申し向けて、具体的な資料も示さず、漠然たる根拠のもとに法外な金員を要求し、さらに、「腹でぽんと呑めないか。遅くなると情報が流れる。今なら私の腹一つに抑えておける。いざとなればマスコミを使つてトヨタDAの欠陥を大きく発表する。新聞記者も書きたくてうずうずしているが、松田がこれを抑えている。また、北原を怒らせるとトヨタには大変なことになる。北原たちは集団訴訟を起こそうとしている。そんなことになれば仲間が沢山集つてくる。刑事告訴も起こすだろうしマスコミもじやんじやん書くだろう。今なら私が抑えてあげる。」旨申し向けて脅迫し、畏怖した有賀らが窮余やむを得ず五百万円でどうかと答えると、あまりにも少額だとしてこれを一蹴し、さらに有賀らがその場で鳩首協議したすえ、七百五十万円で車を引き取らしてもらおうというとこれも拒否し、有賀らが各車両の整備及び七百五十万円提供の案を示すと、被告人安倍も態度をやわらげ、松田と相談してから最終回答をするが、大体大丈夫だろうといい、そのあとで有賀らにはじめて北原以外の依頼者六名の氏名及び各車両の新車中古車別を教えた。有賀は、翌九日前記浦野了及びトヨタ自工取締役山本恵明に報告したが、同人らは理由もなく高額の金員を脅し取られることを憤りつつも、日産自動車や本田技研のように被告人両名の攻撃目標にされ、販売業績及び信用上大きな損害を被ることを畏怖し、これを免れるためには金員を提供することもやむを得ないと考えるに至つた。他方、被告人安倍は、同松田に電話をして示談金額について意向を聞いたところ、同被告人は七百五十万円では少ない旨を答えたので、被告人安倍は七百五十万円の案を撤回することにした。

(ニ) 同月一〇日、有賀が山越、中岡及び神谷とともに安倍法律事務所を訪れると、被告人安倍は「前回述べたことは撤回する。松田に相談したところ、あまりに少額で駄目だといわれた。ユーザーらも駄目だといつている。車を整備するというならば千三百万円を払つてもらいたい。七百五十万円というならば車を四五年以降の新車に代えてほしい。」旨申し向けた。金額についての期待を裏切られた有賀らは、憤慨しつつ浦野に報告したが、浦野は、交渉を決裂させることは得策でないとし、千万円以下で解決するように努力することを有賀に指示した。有賀は、その後調査をして、被告人安倍の主張する車両七台のうち山口のものを除く六台はいずれも中古車として納入されたこと等の事実を知つた。

(ホ) 同月一四日、有賀は、中岡、山越及び神谷とともに安倍法律事務所に赴き、被告人安倍に対し、調査の結果に基づいて、「北原ら六名の車両は中古車であり、また、山口の車両も横浜トヨタデイーゼルが長島重機に売つたものを同人が使つているので中古車である。従つて、最初の案のとおり五百万円で車を引き取らしてもらいたい。」旨提案するや、被告人安倍は、車両ははじめ不二開発が買つたものだが、代金ははじめから北原らが払つているので、中古車ではない等と反論し、ユーザーユニオン事務所で待機していた北原ら約五名を安倍法律事務所に呼び寄せ、代表格の北原が「おれたちは新車の時から天引きで代金を引かれているんだ。おれたちが買つたものだが、引き上げられたものだから、中古車として二度買いさせられたんだ。山口も自分で新車を買つたのだ。」などといい、北原らが去つた後、被告人安倍は、有賀らに対し、「千三百万円から千五百万円が最低の金額だ。」と申し向け、有賀が「企業としては経理上の問題もあり、七百五十万円までしか譲歩できない。それ以上は自分一人で決められない。」と答えるや、厳しい顔付で「あなたは全権大使でないのか。全権大使が決められないのか。あなた方がご覧になつたとおり北原たちは興奮状態にある。早く納得のいく解決をしてやらないと何をするかわからない。ここまで歩み寄つたのだから血みどろの戦いは止めようや。北原は野武士のような男だ。マスコミ記事にしたくてうずうずしている。今なら私の腹一つに収められる。」旨申し向けて脅迫して畏怖させ、窮余有賀は一時話を中断し、浦野に電話をして金額が千万円以上になつても話をまとめるようにとの一任を得たうえ、被告人安倍に対し千万円での解決方を懇請したところ、同被告人は「わたしはいいが、それでは北原たちに怨念が残り、いくらわたしが止めてもトヨタはひどい会社だと言い触らし、そこに便乗組が続々と出て来るだろう。マスコミにも少し流れるかも知れない。もう二、三百万円出したら、北原らも意気に感じてトヨタの悪いことをいわなくなるだろう。」旨申し向けてさらに脅迫し、いよいよ追い詰められた有賀が「千三百万円と千万円の中を取つて千百五十万円ではどうか。」というと、同被告人は千二百万円とするように要求し、有賀も万策尽き、傍らの中岡、山越も仕方がない旨の意見を示したので、「千二百万円でよいと思うが、上司の決裁を得るため二、三日保留させてほしい。」旨を述べ、ようやくにして退席した。

(ヘ) 被告人松田は、そのころ、当時ユーザーユニオン事務所に取材のため出入りしていた東京新聞北本記者に本件交渉の情報を教示し、同月一五日付同新聞朝刊紙上に「ダンプ(トヨタ製)に欠陥(?)事故運転手執念の調査」という見出しで、ユーザーユニオンが明らかにしたところによるとトヨタDA一一〇―D型ダンプトラツクに欠陥車の疑いがある旨の記事が掲載された。同日中岡が被告人両名にそれぞれ本件が新聞記事になつたことにつき電話で約束違反ではないかと抗議すると、被告人安倍は「東京新聞ぐらいならいいじやないか。四十二、三万部しか出ていないローカル新聞だ。」旨、また、被告人松田も、トヨタ側でそのようなことをした事実が全くないのに「あなたのところはうまく朝日やNHKを抑えたね。東京新聞ぐらいなら大したことないよ。」旨それぞれうそぶいた。トヨタ自販等では、東京新聞のこの記事は、トヨタ自販が千二百万円の示談を応諾しない場合に、被告人らがさらに全国紙等に発表して大々的に取り上げさせることを予告し、トヨタ自販等を屈服させようとの意図のもとに掲載させたものと理解し、前記山本、浦野及び有賀らが急ぎ協議した結果、被告人らの悪辣なやり方に畏怖の度を深め、憤りを新たにしつつも、全国紙々上への掲載を食い止めるには速かに千二百万円の要求に応ずるほかはないとの結論に達し、その後一両日全国紙の動静を見たところ、追随して同種の記事が掲載されることもなかつたので、同月一八日に千二百万円を支払うことにした。

(ト) 被告人安倍は、トヨタDA一一〇―D型ダンプトラツクを欠陥車と断定した記事の署名入り原稿をかねて作成していたが、この記事が「ボルトが折れてブレーキがきかないトヨタダンプ」との見出しで「ジヤツクフ」六月号に掲載され、同年五月一八日午前有賀らの読むところとなつたが、有賀は早速これを浦野に報告し、同人らは被告人らの脅迫の執拗さにいつそう憤慨しつつ、被告人らの攻撃を防ぐには予定どおり千二百万円を支払うほかはないとの考えをさらに強くした。

(チ) 有賀は、同月一八日午後、金額千二百万円、トヨタ自販振出し、東海銀行銀座支店あての小切手一通を用意し、山越及び神谷とともに安倍法律事務所を訪れた(有賀はまず被告人安倍に対し東京新聞と「ジヤツクフ」の記事掲載のことにつき抗議するや、同被告人は「東京新聞なら大したことはないじやないか、『ジヤツクフ』の原稿は一か月ぐらい前に出したもので、もう止められなかつたが、これはトヨタ側が早く解決しなかつたからだ。」旨返答した。)。そして、被告人安倍は、示談金名下に、有賀から右小切手一通を受け取り、ここに喝取の目的を遂げた。なお、その時、同被告人は、有賀に領収書と北原ら七名の各委任状の写しを交付した。

(3)  犯行後の状況

被告人安倍は、数日後、トヨタ自販あての念書を有賀に交付したが、その念書は、「北原ほか六名及び代理人は、本件示談はトヨタ自販が本件車両に関する北原らの主張を認めたことを意味するものではないことを了承し、本件示談内容及び本件車両に関する紛争につき一切他人に口外しないことを誓約する。」との一項を含むものであつた。被告人安倍は、右小切手を富士銀行桜上水支店の安倍法律事務所安倍治夫名義の普通預金口座に入金し、北原の了解を得て、千二百万円のうち二百二十万円をユーザーユニオンの運営資金として手もとに保留したうえ、九百八十万円を同人に送金し、同人はこれを自己三百四十万円、横田百五十万円、赤沢、宗、山口各百二十万円、早川七十万円、山田六十万円とそれぞれ配分した(この配分は、被告人安倍が北原の了解を得て定めたものであつた。)。北原ら七名は、いずれも、予期に反してあまりにも高額の示談金を獲得できたことに驚いた。なお、被告人安倍は、その後、北原の前記事故の被害者上原五郎に対する賠償を考慮し、前記本田技研から喝取した八千万円の中から四十万円を北原に送金した。

第四日野自動車販売株式会社に対する犯行

(1)  犯行に至る経緯

中沢祥一は、神奈川県横浜市戸塚区に住み、ダンプトラツクを運転して砂利等の運搬を業務としていたものであるが、同人は、昭和四五年四月に横浜日野販売株式会社(以下、「横浜日野」という。)湘南サービスセンターからKF七〇〇型(10.5トン積み)ダンプトラツク一台(中古車)を代金二百三十万円、頭金三十万円、残金二〇か月の割賦支払いの約定で購入した。この車両は、もともと日野自動車工業株式会社(以下、「日野自工」という。)がシヤーシー車(荷台等の架装がされていない車)として製造し、日野自動車販売株式会社(以下、「日野自販」という。)が販売(元売り)し、昭和四四年二月ごろ横浜日野が買主の豊田勲の注文により専門業者の手で改造、架装を施したうえ、同人に代金四百二十万円で売り渡し、その後昭和四五年二月ごろ横浜日野が契約解除により豊田勲から取り戻したもので、当時自動車検査証(車検)の有効期間が切れていたが、中沢祥一は、横浜日野から、この車を、車検切れで、かつ、現車のままの状態で、すなわち、車検の取得、整備、あるいは故障の修理等はすべて中沢が負担するという条件で、買い入れたものである。中沢は、買入れ後昭和四六年六月までに代金百六十九万九千六百六十円を支払つたにとどまり、残額は未払いのままであつた。

同車は、昭和四五年五月ごろから昭和四六年五月までの一年間に、二回法定の自動車検査を受けて点検整備が実施されたが、その間二十三回にわたつて故障が発生し、その都度東和運輸倉庫株式会社(横須賀市所在。以下、「東和運輸」という。)及び横浜日野等において修理され、その修理等の金額は、自動車検査のための点検整備料金を含めて、東和運輸に対し三十一万千二百九十一円、横浜日野に対し八十四万七百九十六円(値引き分を差し引いたもの)に達したが、中沢は、このうち東和運輸に対し七万二千五百七十円、横浜日野に対し二十万円を支払つただけで、東和運輸に対し二十三万八千七百二十一円、横浜日野に対し六十四万七百九十六円の未払いを残していた。そして、中沢は、同年五月二〇日ごろ、法定の自動車検査を受けるため右車両を横浜日野に預け、同月下旬整備が終了したが、その際同会社が右未回収代金の支払いを中沢に請求したところ、同人がこれを支払わないため、同社は、同年六月二日以降同車につき留置権を行使して中沢への引渡しを拒んだ。なお、この期間二九日間を含めて前記修理等のため同車が右二社の整備工場に入庫した総日数は一〇〇日間であつた。

同車の主な故障(修理)箇所は、その後日野自販が被告人らからの交渉申入れを受けて、日野自工の協力を得て調査したところによると、ブレーキライニング、トルクロツド・アセンブリー、エンジンのオイルパン、リアゲート、マキシブレーキ、チヤンバー、プロペラシヤフトその他であつたが、同社では、これらは、いずれも中沢の、超過積載による高負荷、悪路走行と清掃等の手入れ不良とによる早期摩耗、不整地運行、ブレーキの急激な操作などの無謀かつ過酷な車両使用と整備不良とに基づくものにほかならず、同車自体はもともと何らの欠陥はないと判断していた。

ところで、中沢は 昭和四六年五月下旬ごろ、同業者でかねてトヨタ自販から賠償金として金員を獲得していた横田定夫らからユーザーユニオンに依頼すれば車両の不具合等について製造販売会社等と交渉し、賠償金を取つてもらえる旨を聞き、同年六月上旬ごろ、同業者でユーザーユニオン横須賀支部長であつた北原義胤に相談したうえ、そのころ同人の案内でユーザーユニオン事務所に被告人松田を訪ね、自己の使用車両の故障状況、及び「マキシブレーキ、チヤンバーがフレームと干渉することにより空気漏れを生じ、ブレーキの制動効果が不良となる」旨の自己の意見を説明したうえ、横浜日野等に対する修理費用の未払分及び場合によつては車両割賦残代金の各支払いの免除を得たいので、ユーザーユニオンにおいて調査のうえ、右故障が車両の欠陥によるものと認められたときは右各支払いの免除方を交渉してもらいたいと依頼した。被告人松田は、中沢に対し、これまでの故障と修理状況の詳細を調査して報告することを指示するとともに、直ちに被告人安倍に相談して日重自販等に対する交渉を委任するように勧告し、また、被告人安倍に対しても即時この旨を連絡した。中沢は、即日、安倍法律事務所に被告人安倍を訪ね、自己の車両の故障状況や前記自己の意見を説明したうえ、前記被告人松田に対してしたと同様のことをあらためて依頼したところ、同被告人からも証拠資料の収集方を指示された。中沢は、その後間もなく、自己の故障及び修理状況を記載した報告書を作成してこれを被告人松田に届けるとともに、被告人安倍に対し、自己の車両の修理代金請求書、マキシブレーキ・チヤンバーの破損部品、車両カルテ写し、自動車検査時の作業指示票写し、同種KF七〇〇型ダンプトラツクのマキシブレーキ・チヤンバー等の写真、株式会社二ノ倉石産の事務員に頼んで作成してもらつた超過積載をしていない旨の証明書、中沢自身作成の中井町砂利生産組合あての超過積載をしない旨の誓約書、栃城興業株式会社の事務員に頼んで作成してもらつた、中沢の車両は故障が多いので同車を使用して稼働することは断わる旨の同会社名義の書面等を提出した。

(2)  罪となるべき事実

(一)  共謀

被告人両名は、日野自販に対する後記交渉の前提として、中沢の前記意見を裏づけるため同人をして調査させて右のような資料の提出を受けたが、それ以上に事実関係についての調査を行わず、それゆえ、日野KF七〇〇型トラツクにマキシブレーキ・チヤンバーとフレームとの干渉によるブレーキのエア漏れ等の欠陥があるとの点について確たる証拠はなく、したがつて、そのような欠陥があつて、中沢の車両の故障がそれに基づくと主張するにはあまりにも根拠の乏しいことをともに認識していた。しかし、被告人両名は、すでに詳述したとおり、ユーザーを本拠として、日産自動車、本田技研、さらにはトヨタ自販及び同自工に対し、各社の製造、販売する車両に欠陥があるとして、報道機関への情報提供、社長ら役職員の告訴、告発、民事訴訟の提起、国会及び行政官庁への働きかけ等のさまざまな手段により強烈な批判、攻撃を行い、これを新聞等のマスコミに大々的に取り上げさせ、各社にそれぞれ打撃を与えて来ており、同じ自動車の販売会社である日野自販においても、被告人らから同様の批判、攻撃を受けて日産自動車及び本田技研のように販売業績及び信用上大きな損害を被ることを強く懸念して、被告人らの攻撃が自己の販売車両に向けられて来るのを極度に恐れているのをともに十分に認識しており、そして、前述のとおり、この点を衝いてトヨタ自販から多額の金員を喝取することに成功していたので、中沢から依頼された件についても、同様の方法で日野自販を脅迫すれば、同社も畏怖して要求に応じ、示談金の名目下に多額の金員を喝取することができ、そうすればユーザーユニオンを頼つて来た中沢の期待に応え得るとともに、弁護士報酬としてその一部をユーザーユニオンにもたらし得るものと考え、そのころ、互いにこの旨の意思を相通じ、その目的達成のため日野自販に対する交渉を進めようと決意し、ここに被告人両名の共謀が成立した。

(ニ) 実行行為

(イ) そこで、まず、被告人松田は、昭和四六年六月一二日ごろ、トヨタ自販サービス部東京サービス課長山越喜久男に、「日野のダンプにもブレーキのトラブルがある。日野と交渉したいので、担当者に連絡をとつてもらいたい。」旨電話して仲介を依頼し、そのころ山越から通報を受けた日野自販サービス部業務課長馬場正基が、同会社サービス部長吉田正隆及び同次長榑井潔の了承を得たうえ、同年六月二二日、同会社総合企画部宣伝課長大沢土佐雄を伴つて、ユーザーユニオン事務所に被告人松田を訪ねたところ、同被告人は、「日野の一一トン・ダンプにブレーキを含めて故障が続出している。日野は壊れた車を売つているんじやないか。日野レインジヤーのトランスミツシヨンの故障もある。」旨申し向け、馬場が問題とされているトラツクの所有者名、販売店名、車両のシヤーシー番号、資料、故障状況などを詳しく知らせてほしいと希望すると、同被告人は、「資料は安倍のところに行つているから、そちらに行つて聞いてくれ。」旨答え、被告人安倍の事務所の所在地や電話番号などを教えた。

さらに、被告人松田は、同月二四日、馬場に電話をかけ、「安倍に連絡したか。早く連絡をとらないと日野のためにならない。」旨申し向けた。

日野自販の幹部らは、被告人両名がユーザーユニオンを本拠として前述のように日産自動車や本田技研に対し攻撃を加えて大きな打撃を与えて来たことを熟知しており、さらに昭和四六年五月ごろには新聞記事上トヨタ自販のダンプも攻撃の対象とされたことを知つていて、かねて被告人両名の攻撃の手が日野自販の販売する車両にも及び、競争の激しいトラツクの製造、販売業界の中で大きな打撃を受けることを極度に警戒していたところであつた。そして、馬場は、被告人松田は金銭上の解決を要求して来ているものと察知したが、これに対応して行くためにとりあえずその指示どおり被告人安倍と連絡をとる必要があると考え、前記吉田正隆の了承を得て、同年六月二四日被告人安倍に電話したところ、同被告人は、「横浜のユーザーが買つた中古車のKF七〇〇型にいろいろトラブルがある。資料は来所すればお見せする。」旨述べたので、同月二八日に訪ねることを約束した。そして、馬場は、被告人安倍との面談に先立ち、横浜日野をして被告人安倍のいうトラブルにつき調査させたが、その結果、問題とされている車両は中沢の前記車両であることが判明するとともに、同車の故障は、前述のとおり、すべて使用者の責に帰すべき理由に基づくものであり、製造、販売会社が責任を負うべき事項は何ら存在しないと判断された。

(ロ) そして、同月二八日、馬場が安倍法律事務所を訪ねると、そこには被告人安倍のほかに中沢及び前記北原義胤もおり、その席上、被告人安倍は、馬場に対し、「中沢が横浜日野から買つたKF七〇〇型のダンプのエンジン、トランスミツシヨン、リアアクスル等に故障が続出している。また、マキシブレーキ・チヤンバーがフレームに当たり、そのためチヤンバーからエア漏れを起こしているが、これは車の本質的な欠陥である。中沢はエア漏れによりブレーきが利かないため大きな事故を起こしそうになつた。同車は満身創痍の車である。」旨を申し向け、馬場が、中沢の車の故障は超過積載等の過酷使用と整備不良によるものと思うといい、また、被告人安倍から示されたマキシブレーキ・チヤンバの破損部品を見てこのクリツプバンドのきずではエア漏れを起こすはずはないというと、被告人安倍は「そんなことをいつても、超過積載をしていないという証明ももらつてある。」旨をいい、また、中沢も「おれは超過積載をしていない。故障の都度修理をちやんとしている。」、「新聞記者の前で公開実験をしたいくらいだ。」などと声高にいい、さらに被告人安倍は、「そんなことをいつても、ブレーキ・チヤンバーがフレームに当たるので、フレームを切り欠いて対策しているではないか。」旨をいつたのに対し、馬場が「フレームを切つたのは日野の指示した対策ではなく、中沢さんが横沢日野に頼んでしてもらつたのではないか。」と反論すると、中沢は黙つてしまい、そうすると、被告人安倍は、馬場に「もうそんなことはどうでもいい。ここは示談の場だ。示談というものは、技術的に細かいことをいわずに、掴みで行くものだ。企業にとつて損か得かを考えて腹と腹で決めるべきだ。」旨申し向けたうえ(なお、この間、馬場が被告人安倍に資料を見せてほしいと要求すると、同被告人は、「今は見せる段階ではない。あなたは即決できる人ではないから見せる必要はない。」旨をいつて、前記マキシブレーキ・チヤンパーの破損部品以外の資料を見せることを拒否した。)、中沢の車両を返戻することを条件に金八百二十万円を早期に支払うように要求した。法外な要求に驚いた馬場がその根拠を問うと、「金額については色々な考え方があるが、強いていえば車両代の既払い分百七十万円、修理代百六十九万円、休業補償費一日二万円の一六八日分で三百三十六万円、慰藉料百五十万円である。」旨を答え、馬場が調査検討のため返答まで一〇日間の猶予を乞うや、被告人安倍は、同人に対し、「いまさら調査の必要はないだろう。データも揃つているし、証拠物もある。早く話を決めて金を払うべきだ。新聞記者がユーザーのところに来ているので、早くしないとマスコミが嗅ぎつけるだろう。自動車業界は大変な戦国時代だ。トラツク業界も厳しいだろう。ここでマスコミに叩かれたら再起は難しいのではないか。八百二十一万円くらい払つたつて会社がつぶれることはない。会社にとつて八百万円ぐらい大したことはない。菓子折一つ五百万、ラーメン一杯百万、そんな程度の金ではないか。」旨を申し向けて脅迫し、さらに日産自動車のニツサンエコーや本田技研のホンダN三六〇の例を挙げて、すみやかに応諾しなければ、本件交渉内容がマスコミに大きく取り上げられ、日野自販が大きな打撃を受けることを示唆して応諾を迫り、「七月二日しか都合がつかない。」といい、結局馬場をして同年七月二日に再び安倍法律事務所に来ることにさせた。

日野自販の専務取締役武藤恭二ら幹部は、馬場から右会談の模様について報告を受け、被告人安倍の不当な主張と法外な金員要求には何ら応ずべき理由はないが、しかし、もし要求を拒否するならば、被告人らがこの件を新聞等のマスコミに公表し、マスコミをしてあたかもKF七〇〇型トラツクが欠陥車であるかのように大きく報道させることは必至であり、かくては同車ばかりでなく、日野自販の販売にかかるトラツク一般の信用が甚しく傷つけられ、ただでさえ競争激甚なトラツク業界において日野自販の信用が傷つけられ、販売業績が大きく低下して莫大な財産上の損害を被るものと強く畏怖し、結局、被告人らの主張する事実の有無についてはさらに詳細に調査することにしつつ、全般的見地から会社の利害損失を考慮し、理不尽な要求ではあるが、三五〇万円程度の金員を支払うことで事態の解決を図ることもやむを得ないと判断し、同社顧問弁護士永島啓之介に依頼してその交渉に当たらせることにした。同弁護士も、本来被告人らのこのような不当な要求には何ら応ずべき理由はないと考えたが、結局営業政策上の配慮から出た会社側の意向に沿つて交渉することを引き受けた。なお、同年七月一日、馬場が、事実調査のため日時を必要とすることから、被告人安倍に電話をして期日の延期を乞うや、同被告人は「日野さん、それは判断が甘い。NHK、新聞はもう待てない段階だ。『ジヤツクフ』はもう止められない。」旨答えてこれを拒否した。

(ハ) 同年七月二日、馬場と永島弁護士が安倍法律事務所に被告人安倍を訪ねるや、そこには、被告人松田、中沢、前記北原も在席しており、被告人松田は、馬場らに対し「今日は何をしに来たのか。東京新聞、NHKに出されたメーカーがあるが、そのメーカーは大損害だった。おたくもそうならないようにね。」旨をいい、被告人安倍は、前回の六月二八日の席上に述べたと同様に中沢の車両の欠陥、故障を挙げ、永島、馬場がこれに反論すると、中沢や被告人安倍が反駁し、永島が被告人安倍に対し要求金額八二〇万円の根拠を問うと、同被告人は、六月二八日に述べたと同様の内訳を述べ、「根拠については色々な考え方がある。休業補償が高いから安くしてくれといつても、その分慰藉料が高くなるだけで、結局は同じだ。示談は掴みじやないか。」、「中沢の車の使い方にかりに問題があつたとしても、中沢に怨念の残らない金額で解決すべきだ。」、「日野がぐずぐずしていると、さきほど松田がいつたようにトヨタと同様にマスコミに流れてしまう。新聞記者やNHKが嗅ぎ回つている。NHKのテレビ・シリーズに取り上げられるのが一番影響が大きいだろう。」旨を申し向けて馬場らを脅迫し、被告人松田も、たまたま同事務所にユーザーユニオンからかかつて来た電話を受けて、「朝日の記者が来ているつて。いま日野と話し中だから帰せ、帰せ。」などといい、いかにも新聞記者が交渉を察知してユーザーユニオンを訪ねて来ているかのような素振りをして調子を合わせた。そして、永島がやむなく日野自販の回答として三五〇万円を示すや、被告人安倍は問題にならないと一蹴し、詮方なく永島が四百万円を示したのに対し、「六、七百万円ということであれば考えられなくもないが、半分ではとても駄目だ。一諾で決めたらどうか。」旨をいい、結局、同月五日に話を続けることにしたが、その際永島がマスコミに流すようなことはしないだろうねと問うたのに対し、被告人安倍は、「解決すれば流すようなことはしないが、周囲の情勢でどうなるかわからない。」旨を答えた。

前記武藤専務取締役ら幹部は、永島と馬場の報告を受け、被告人らの不当な要求に憤りを新たにしながら、会談が決裂し、その結果、前記のようなマスコミの報道が行れわて日野自販が重大な打撃を被ることを畏怖し、これだけは何としても避けたいと考え、そのためには結局五百万円程度は出さざるを得ないと判断するに至つた。

(ニ) 同年七月五日、馬場と永島は、安倍法律事務所に被告人安倍を訪ねた。永島が被告人らの今後の出方を憂慮して質問したのに対し、被告人安倍は、「話がまとまればマスコミに流すようなことはしない。自分はユーザーユニオンを九五パーセント、コントロールできるから、自分を信じて解決すれば必ず日野にとつて良かつたと思うようになる。早くこの場で話をつけよう。」旨を述べ、永島が再度四百万円を示すや、被告人安倍は、ユーザーの言い値の八百二十万円と日野の言い値の四百万円の中を取つてラウンドナンバーで六百万円ではどうか。ユーザーユニオンは武装集団であり、松田は蜂須賀小六みたいな人で何をするかわからない。中沢は興奮状態で、新聞記者の前で公開実験をするといつている。これ以上下げることはできない。」旨をいい、永島らが少しでも金額を下げてくれと懇願したすえ、被告人安倍は五百六十万円まで要求額を下げたので、馬場と永島は、その場の状況から同被告人がそれ以上譲歩する見通しはないものと判断し、いつたん席をはずして電話で前記武藤専務取締役の了解を得たうえ、席に戻り、被告人安倍に対し五百五十万円で示談に応ずる旨答え、同被告人もこれを承諾し、同月一五日に示談書を取り交わすとともに、金員の支払いを行うことを決めた。

(ホ) 同年七月一五日馬場は、金額五百五十万円、振出人日野自販、日本勧業銀行本店あての小切手一通を持ち、永島とともに安倍法律事務所を訪れた。被告人安倍は、馬場から永島を介して同小切手一通を受け取り、ここに喝取の目的を遂げた。

(3)  犯行後の状況

被告人安倍は、同日即時領収書を発行し、かつ、馬場らと示談書を取り交わした。同示談書の中には、双方は、「示談内容および本件車両の性能等については秘密を守り、これを他言、公表しないことを誓約する」との一項が含まれていた。結局、日野自販側としては、五百五十万円を支払つたほか、中沢車を引き取る代わりに、車両の割賦残代金及び修理費用未払い分の請求権を放棄させられたのであつた。

そして、被告人安倍は、即日、右小切手を常盤相互銀行飯田橋支店の安倍治夫法律事務所安倍治夫名義の普通預金口座に入金したが、中沢の了解を得て、同月二〇日ユーザーユニオンの運営資金として百十万円を差し引いたうえ、四百四十万円を日本勧業銀行大船支店の中沢祥一名義の普通預金口座に振込み送金した。

第五日産デイーゼル販売株式会社に対する犯行

(1)  犯行に至る経緯

冷泉藤雄は、神奈川県横浜市戸塚区所在の、砂利運搬等を営業目的とする栃城興業株式会社(以下、「栃城興業」という。)にトラツク運転手として勤務していたものであるが、昭和四四年三月、神奈川日産デイーゼル株式会社)以下、「神奈川日産デイーゼル」という。)から、日産デイーゼル工業株式会社(以下、「日産デイーゼル工業」という。)製造、日産デイーゼル販売株式会社(以下、「日産デイーゼル販売」という。)販売(元売り)にかかる日産UD―TC八一S型(八トン積み)ダンプトラツク一台(新車)を代金三百五万七千五百五十二円で購入し、使用していた(代金は昭和四六年四月までに完済した。)。

本多進は、前記栃城興業にトラツク運転手として勤務していたものであるが、昭和四四年三月、神奈川県日産デイーゼルから右と同型(八トン積み)のダンプトラツク一台(新車)を代金三百二十五万円で購入し、使用していた(代金は昭和四六年四月までに完済した。)。

栃城興業(代表取締役久野木清)は、昭和四四年三月ごろから同年九月ごろにかけて神奈川日産デイーゼルから日産デイーゼル工業の製造、日産デイーゼル販売の販売にかかる日産UD―六TW一三S型(11.5トン積み)ダンプトラツク四台及び日産UD―五TWDC一一S型(一一トン積み)ダンプトラツク二台(合計六台、いずれも新車)を代金総計二千八百百九十八万七千五百四十二円で購入し、会社の営業に使用していた(後記昭和四六年八月の本件交渉開始時に代金中約九百二十四万円が未払いであつた。)。

冷泉は、昭和四四年六月二一日、横浜市戸塚区笠間町六一〇番地路上において、前記自己の車両を運転中に物損事故を起こし、道路交通法違反(安全運転義務違反)の罪で罰金一万千円に処せられ、また、その際同所窪地に駐車中の酒井幸所有の乗用者に損傷を与えたので、同人に車両損害賠償金十八万円を支払つて示談をし、さらに費用七十五万三百円で自己の車両の損傷部を修理した。日産デイーゼル販売では、後記本件交渉開始後この事故を調査した結果、冷泉が湿潤道路でブレーキ操作を誤つた結果車両を窪地に横転させたものと判断していた。

本多は、昭和四四年八月一二日ごろ、前記自己の車両を運転して横浜市南区上野庭団地付近の湿潤した舗装道路を進行中、光和興業株式会の大型貨物自動車に自己の車両を衝突させて物損事故を起こし、同会社に車両損害賠償金三万八百円を支払つて示談をし、自己の車両につき費用二万九千五百六十円で車体損傷部を修理した。そして、日産デイーゼル販売では、冷泉車の事故と同様に後に調査した結果、本多が右折時にハンドル及びブレーキ操作を誤つて車両をスリツプさせた結果右事故を起こしたものと判断していた。

栃城興業の前記車両六台のうち一台は、昭和四四年一一月一七日ごろ坂道から民家工場に転落する事故を起こし、栃城興業では、費用六万五百十二円で同車の車体損傷部を修理し、また七十数万円で民家工場を原状に回復し、所有者と示談をした。そして、日産デイーゼル販売では、右と同様、後に調査した結果、右事故は運転者がブレーキロツク装置の操作を誤つたことによるものと判断していた。

そして、右八台の車両については、購入後本件交渉時までにそれぞれ相当回数の故障が発生し、神奈川日産等の修理工場で修理されたが、日産デイーゼル販売で、前記同様後に調査した結果、それらの故障は、車両の過酷な使用(悪路走行、超過積載、塩水の泥濘積載その他)等に伴うものであつて、被告人らが原因として強調したような車両の欠陥は存在しないと確信していた。また、これら八台の車両については、各所有者らから、購入後本件交渉開始までに神奈川日産デイーゼルに車の欠陥を訴えたようなことは一度もなく、現に冷泉と本多は車両代金を完済しており、また、栃城興業が残代金の支払いを拒んだということも全く見られなかつた。

ところで、本多は、昭和四六年六月ごろ、旧知の北原義胤(ユーザーユニオン横須賀支部長)を訪ねた際、同人から同人所有車両の不具合に関しユーザーユニオンに依頼してトヨタ自販に賠償請求をしてもらつた結果、多額の金員を獲得することができたことを聞かされた。そこで、本多も、北原同様、ユーザーユニオンの力を借りて車両の販売会社等に交渉し、いくらかでも金員を獲得したいと考え、当時使用中の前記日産UDトラツクに故障が頻発することを北原に告げたところ、同人から、販売会社に交渉して賠償金を獲得できるようユーザーユニオンの本部に依頼してやろうとの約束を得た。その後、同年八月一三日ごろ、本多は、北原から交渉を進めるについては、ユーザーユニオンの顧問弁護士の被告人安倍に対する委任状が必要であるといわれ、北原が持参した同被告人あての委任状用紙に署名捺印して北原に託し、その後も北原の指示によつて修理費用関係の書類をまとめ、また前記事故のメモ等を作成してこれらを同人に提出した。

また、冷泉は、そのころ本多から右経緯を聞き、自分もユーザーユニオンに対し、賠償金獲得の交渉を依頼しようと考え、同年八月一五日ごろユーザーユニオンへの依頼手続を本多に一任するとともに、同人の指示により被告人安倍に対する委任状を作成して交付した。冷泉としては、ユーザーユニオンで自己の車両のテスト等をしたうえ欠陥があると判明すれば、販売会社に対し無償修理ないし相当価格による車両の引取り方を交渉してくれるものと期待していた。そして、冷泉は、本多の指示により、修理費用関係の書類をまとめ、また、前記事故状況の写真、同事故についての示談の書類、本多がまとめた冷泉の車両の修理内容及び事故状況に関するメモ等を整理して、これらを本多に提出し、同人は冷泉の委任状及び資料等を北原に託し、ユーザーユニオン本部による交渉方を依頼した。

また、前述の中沢祥一は、当時栃城興業に勤務していたが、同社では使用中の日産UDトラツクにしばしば故障が発生していることを承知していたところ、前記のとおり自己の車両の不具合に関し被告人らに交渉を依頼して日野自販から、多額の金員を獲得することができたので、同様の手段で交渉すれば日産デイーゼル販売も相当多額の金員を支払うものと考え、同年七月中、下旬ごろ、被告人松田に対し栃城興業の車両の故障及び修理に関する資料等を託したうえ、日産デイーゼル販売に対し賠償金の獲得方を交渉してもらいたい旨要請した結果、同被告人の承諾を得たので、栃城興業の代表者久野木清にこの旨を話して、同人から委任状(受任者、委任事項欄空白のもの)を取り、これを被告人らに交付した。

なお、同年八、九月ごろ、北原と中沢は横浜市戸塚区所在の有限会社大和組運輸(代表取締役鈴木郷一)に対し、また、中沢は同区所在の有限会社双子商事(代表取締役柴田繁)に対し、同二社がそれぞれ使用中の日産UDトラツクに故障が起きている由であるが、ユーザーユニオンに依頼すれば販売会社から賠償金を獲得してもらえる旨誘つて、同二社からユーザーユニオンへの依頼などを一任された(ただし、いずれも後記本件犯行の金員要求には加えられたものではない。)

(2)  罪となるべき事実

(一)  共謀

被告人松田は、右のとおり、同年七月ごろ、北原と中沢を介し、冷泉、本多、栃城興業からの日産デイーゼルに対する賠償金請求の交渉依頼を受け、これを承諾したうえ、そのころ被告人安倍に対し、日産UDトラツクに故障が頻発している状況を説明し、冷泉らの委任状及び前記収集にかかる資料を同被告人に託した。そして、被告人両名は、北原及び中沢の説明と同人らから入手した右各資料のほかには、冷泉、本多らの車両使用者や運転者に直接面接して事情を聴取することも、それらの各車両を現実に見分することも、さらにその使用状況や各事故の原因を実地に調査することも、何ら行わず、それゆえ、これらの日産UDトラツクに欠陥があるとの確たる証拠もなく、したがつて冷泉らの各車両に欠陥があつて、それが事故や故障の原因であると主張するにはあまりにも根拠に乏しいことをともに認識していた。しかし、被告人両名は、すでに詳述したとおり、ユーザーユニオンを本拠として、日産自動車、本田技研、さらにはトヨタ自販及び同自工に対し、その製造、販売車両に欠陥があるとして、報道機関への情報提供、社長ら役職員の告訴、告発、民事訴訟の提起、国会及び行政官庁への働きかけ等のさまざまな手段により強烈な批判、攻撃を行い、これを新聞等のマスコミに大々的に取り上げさせ、各社にそれぞれ打撃を与えて来ており、同じ自動車販売会社である日産デイーゼル販売においても、被告人らから同様の批判攻撃を受けて日産自動車や本田技研のように信用の失墜と販売業績の低下の大きな損害を被ることを懸念して、被告人らの攻撃が自己の販売車両に向けられて来るのを極度に恐れていることをともに十分に認識しており、そして、前述のとおり、この点を衝いてトヨタ自販から多額の金員を喝取することに成功していたので、冷泉らから依頼された件についても、同様の方法で日産デイーゼル販売を脅追すれば、同社も畏怖して要求に応じ、示談金の名目下に多額の金員を喝取することができ、そうすればユーザーユニオンを頼つて来た冷泉、本多、栃城興業の期待に応えることができるとともに、弁護士報酬としてその一部をユーザーユニオンにもたらすことができるものと考え、そのころ、この旨の意思を相通じ、その目的達成のため日産デイーゼル販売に対する交渉を進めようと決意し、ここに被告人両名の共謀が成立した。

(二)  実行行為

(イ) そこで、まず、被告人松田は、同年八月二〇日、ユーザーユニオン事務所から電話で日産デイーゼル販売(東京都千代田区神田錦町三丁目七番地一所在)の品質保証部部長代理藤田弘明に対し、「日産デイーゼル販売の販売にかかる車両につき、ユーザーから技術的問題に関する損害賠償請求を依頼された。その内容は、ステアリングやブレーキなどすべてリコールすべきもので、メーカー側の弁解の余地のないものである。日産エコーの二の舞にならないようにすみやかに示談に応じた方がよい。詳細は安倍弁護士と打ち合わせてもらいたい。」旨申し向け、被告人安倍の法律事務所の電話番号を教えた。藤田は、これを同会社常務取締役小林孝に報告するとともに、要求の詳細を知るため翌二一日安倍法律事務所にいる被告人安倍に電話したところ、同被告人は、藤田に対し、「お宅の会社の欠陥車が一〇台あるようだ。そのうちの二台のうちユーザーは横浜の冷泉藤雄、本多進という人で、車両はいずれもTG八一S型の八トンダンプ車で、昭和四四年の納入である。私は本人らの委任状を持つている。本人たちは欲があるので、本人たちとデイーラーとが話し合つてもまとまらない。来る二三日の月曜日に自分の事務所に来てくれれば残り八台もわかるだろう。作業の進め方としてはその次が大事で、私のやり方としては代表権のある方に来ていただいて示談金額の方針を聞きたいのだ。」旨申し向けた。藤田は、これを前記小林常務に報告した。小林と藤田は、かねて日産自動車や本田技研等がその製造販売する車両の中に欠陥車があるとして被告人らからマスコミの報道を利用した強烈な攻撃を受け、大きな損害を受けたことを知つていたので、被告人らの要求には慎重に対処しなければ大変なことになると警戒したが、とりあえず神奈川日産デイーゼルに依頼して冷泉と本多の各車両を調査させた。

(ロ) 同月二三日、藤田が安倍法律事務所を訪ねると、被告人安倍は、同人に対し、つぎのように、車両の使用者氏名、事故ないし故障の状況、賠償要求の内容を一方的に述べ立て、総計一億三百五十四万円の賠償を要求した。

「冷泉の車両はTC八一SD型の八トンダンプ車で、昭和四四年七月ごろにハンドルが利かないために二メートル崖下に転落して、乗用車を破損させ、冷泉も二か月の重傷を負つた。故障は一〇回以上で、現在五ないし一〇キロの低速で構内で少量の土砂運搬をしている。車両代金三百四十四万円、休業補償費一日二万円、一二〇日で二百四十万円、右事故による相手車両の修理費百二十万円、自己車両の修理費五十万円、慰藉料二百十六万円合計千万円の賠償金を要求する。」。

また、「本多の車両は、同じくTC八一SD型の八トンダンプ車で、ブレーキ尻振りによつて電柱と乗用車にぶつかる事故を起こした。現在五キロないし一〇キロの低速で静かに使つている。車両代金三百三十五万円、休業補償費一日二万円、二〇〇日で四百万円、右事故の相手車両の修理費四十万円、自己の車両の修理費百万円、慰藉料百二十五万円、合計千万円を要求する。」

さらに、「栃城興業の車両は、六TW一三SD型四台と、五TWDC一一S型二台の合計六台である。いずれもブレーキ、ステアリング、プロペラシヤフトの故障が多くて使いものにならない。そのうち六八八〇号車はブレーキとハンドルが悪いため坂道から転落して民家を壊した。車両価格は一台平均四百二十八万円で総額二千五百六十八万円になるが、そのうち支払済み分千七百五十四万円、休業補償一日三万円、二〇〇日六台分で計三千六百万円、車の修理費が一台二百万円、六台で計千二百万円、慰藉料が一台三百万円、六台で計千八百万円合計八千三百五十四万円を要求する。」と。

そして、藤田がさらに詳細な事情を質問しようとしたのに対し、被告人安倍は、来る二七日に被告人松田をはじめユーザーの代表が来所するので、その際に交渉を継続しようといい、その日の話を打ち切つた。なお、その間藤田がこのような件はユーザーとデイラーとの間で処理されるべきではないかというと、被告人安倍は、両者が話し合つても駄目なのだとして断わり、また、帰り際に藤田に「あと三〇台ある。これは別途連絡する。ユーザーと直接交渉しないように。」といつたりした。

藤田は、以上のことを小林常務に報告すると、同人は、被告人安倍の要求をとうてい正当な根拠のある要求と考えられないと思いながら、藤田に、具体的な話を聞くため二七日に安倍事務所に行くこと、神奈川日産デイーゼルにさらに調査させることを指示した。藤田は、神奈川日産デイーゼルに依頼して調査させ、その結果を聞いたが、それによると、前記八台の各車両について従来各使用者が同会社に対し車両の不具合を訴えて補償を要求した等のトラブルは一回もなく、冷泉、本多の各車両は割賦金も完済されており、栃城興業の各車両については代金の残債があるが使用者に支払い意思があるということであつた。

(ハ) 同年八月二七日、藤田が安倍法律事務所を訪ねると、被告人両名のほか、使用者代表と称する北原及び中沢が同席しており、席上、藤田に対し、まず被告人松田が、車両の不具合箇所を書いた紙を見ながら、不具合箇所を(各車両ごとにではなく)網羅的に一括して述べたうえ、「トラブルの問題はすべてリコールすべき性質のものであり、メーカーは責任を取るべきだ。」旨申し向け、中沢も、「UD車は故障続発で使い物にならない。修理しても無駄だから放置してあるのが現状だ。神奈川日産デイーゼルも無償で修理すべきなのにお金を請求している。」などといつて、不具合箇所を書いた紙を読み上げ、途中藤田が質問をしても被告人松田や中沢から具体的な状況についての説明はなく、そのうち被告人安倍が「技術的な問題は次から次へと出て来るので、この辺で示談の話に進んだ方がよいのではないか。こちらには証拠は十分ある。」といい、これに対し、藤田は、「技術的に調査、究明して納得しなければ示談の話には進めない、」旨反論したものの、かねて被告人らが前記のように本田技研や日産自動車に対する攻撃を繰り返している例にかんがみ、日産デイーゼル販売が被告人らの要求に応じなかつた場合にも同様の攻撃を受けるのではないかと懸念して、そのことを問いただした。被告人安倍は、藤田に対し、「それはいえないけれども想像がつかないか。」といい、藤田が、「ジヤツクフに書くでしようね。新聞に書きますか。また運輸省にリコールのアツピールをしますか。強いて考えればこのようなことではないでしようか。」と述べると、被告人松田は、「まあそんなところでしよう。」といい、被告人安倍は、黙つていて、特にこれを否定せず、このようにして被告人両名は、藤田に対し、被告人らの要求に応じない場合には右のような手段によつて前記各車両を欠陥車であるとして日産デイーゼル販売を攻撃することを暗示して脅迫した。そして、藤田が実情調査のため時間がほしいというと、被告人安倍は、これを認め、次回交渉期日を同年九月二日とした。日産デイーゼル販売の専務取締役石原龍郎及び前記小林常務取締役は、藤田の報告を聞き、被告人らの要求がとうてい正当な根拠のある賠償要求ではないと考えつつも、これを拒否した場合被告人らの攻撃により自己の会社が受ける打撃の重大さを危惧し、対応策を協議したが、とりあえず会社の顧問弁護士川崎友夫に事情を知らせて置くとともに、次回の交渉からは藤田のほかに総務部次長の松井幹雄をも同席させることにした。

(ニ) 同年九月二日、藤田が松井とともに安倍法律事務所を訪ねると、被告人両名のほか、北原、中沢も同席していた。そして、藤田が神奈川日産の調査結果に基づいて被告人らの主張の根拠がないことを指摘すると、被告人らはこれに対して具体的な返答をなし得ず、被告人安倍が「逃げ切れると思つたら裁判をしなさい。ここが政治的判断を要するところだ。」旨をいい、また、被告人松田が「一か月一万キロをやるから出て来なさいと、今日運輸省に言つて来た。」旨述べて、あたかも同被告人が運輸省の係官と打ち合わせて日産デイーゼルの車両につき公開実験計画をしているかのようなことをほのめかし、さらに被告人安倍が前記大和組運輸の車両のリヤシャフト折損、双子商事の車両のステアリング・ギアボツクスの修理を挙げ、両社の車両五台についていずれ車両代、修理費等を請求するといい、藤田が調査したい旨をいうと、被告人安倍は、「欠陥項目にいくら検討を加えても限度があり、この辺で示談に応じた方がよい。ほかに横浜に七台、関西に一四台あるらしい。」、「次回には細部を詰めたいので委任状を持つて来てくれ。」旨をいい、藤田らに対し被告人らの要求に早期に応ずるように威圧を加え、次回交渉の日を同月一〇日と決めた。藤田らから報告を受けた前記小林常務は、被告人らの一方的な要求にあたかも袋小路に追い結められたように感じて畏怖したが、被告人らの指摘する車両につきさらに調査するとともに、前記川崎弁護士にも報告したうえ、交渉を続けることにした。

(ホ) 同月一〇日、安倍法律事務所において、前回と全く同じ顔触れで交渉が始まり、まず藤田が、神奈川日産デイーゼルの調査結果に基づいて大和組運輸と双子商事の各車両には何ら欠陥などはない旨を説明し、本件の紛争については今まで使用者と販売店との間で話合いが行われていないから、いずれの件も両者の間で話合いをさせてほしい旨要求すると、被告人安倍は、これを拒否し、「見解の相違はあろうが、メーカーの製造責任は免れず、また、契約の本旨に沿つた車を販売したかどうかが問題である。要求した一億円の八掛けとか七千万とか五千万とかを提示してもらいたい。それを受けるかどうかは当方が決める。」旨をいい、被告人松田は、「UD車は全面回収すべきだと思うが、あなたがそう思わないならば全面戦争にはいる以外にない。殺人カーを売つているのと同じである。トラブルはすべてリコールすべき性質ものであり、当方には七〇〇台の制動力不足等のデーターがある。」旨を申し向けて脅迫し、すかさず被告人安倍は、「七十億になりますよ。誠意を見せれば、以後こちらとしては全力を挙げてルーテイーン化させる(使用者と販売店との直接の話合い方式にさせるの意)。」旨をいい、これに対し、藤田が本件について使用者と販売店との直接の話合いをさせてほしいと再度要求すると、被告人安倍は、「土方みたいな運転手に聞いても何も出ない。ユーザーに頼らないでデータに聞いてくれ。あなたがいくら頑張つても、五〇項目くらいあるから全部消せるとは思えないだろう。証拠は十分に持つている。次の月曜日(同月一三日)正午までに返事してくれ。返事がなければ全面戦争にはいる。日野の場合は五分の一しか書かなかつたが、今度は全部書く。書くとすれば全身梅毒と書く。長期にやる。一〇年は覚悟している。」旨を申し向けて脅迫した。藤田と松井は、同日前記小林常務取締役に交渉の状況を報告し、小林は同月一三日前記石原専務取締役に報告した。同人らは、被告人らの無法な要求に激しく憤慨しつつも、もし被告人らの要求に応じなければ、被告人らは、日産自動車や本田技研に対してしたと同様に、日産デイーゼル販売に対しても、民事訴訟や告訴、新聞等のマスコミへの公表、「ジヤツクフ」での攻撃等の手段によつて日産UDトラツクが欠陥車である旨を社会に印象づける行動に出ることは必至であり、かくては同社として信用及び販売業績上甚大な損害を受けるものと困惑、畏怖したすえ、社長渡辺珍泰の乙解を得て、前記川崎弁護士に交渉を委ね、この旨被告人安倍に連絡した。

(ヘ) 川島弁護士は、同月一三日小林らから被告人両名との交渉経過の一部始終の説明を聴き、被告人両名の行為は恐喝に当たるものと判断し、告訴するのが本筋ではないだろうかとの意見を表明したが、小林らは、筋論として同弁護士のいうとおりだと思うが、ことが新聞等のマスコミに漏れると、当時のマスコミの流れから見て、欠陥車メーカーが消費者団体を告訴したとして逆に激しく非難され、会社の信用失墜と業績低下を招きかねないいので、話合いによつて妥協点を見出してもらいたいと懇請し、同弁護士も会社側のこの意向を尊重して交渉に当たることにした。そして、川崎弁護士は、同月一六日第一東京弁護士会館応接室で被告人安倍と面談し、会社側の意向に従い見舞金として三百万円支払いたい旨提案したところ、同被告人はこれを一蹴し、「これまで一億円請求して来たが五千万円でよい。せいぜい譲歩しても四千八百万円が限度である。それ以下ならば考えがある。九月二〇日までに返事されたい。」旨述べた。川崎弁護士は、同月二〇日、被告人安倍に電話をして、会社側の意向として、使用者と販売店である神奈川日産デイーゼルとの間の話合いを待つて態度を決めたいのでしばらく猶予を願いたい旨回答したところ、同被告人は、即座にこれを拒否し、「交渉は本日で打ち切り、以後は予定どおり実行させてもらいます。」旨述べ、ここに交渉は決裂した。

以上、(イ)ないし(ホ)の経過のとおり、被告人両名は、藤田、松井に対し、冷泉らの車両計八台の件につき、示談金額として一応一億三百五十四万円を示して示談を迫り、日産デイーゼル販売においてすみやかに示談に応ずるように要求し、この要求に応じないときは、同社に対し右のようにさまざまの攻撃を加えることを示唆して脅迫し、藤田ら並びに同人らから報告を受けた石原専務、小林常務取締役らをしてその旨畏怖させ、もつて示談金の名目下に多額の金員を喝取しようとしたが、右(ヘ)のとおり同社がこれに応じなかつたため、その目的を遂げなかつた。

第六トヨタ自動車販売株式会社及びトヨタ自動車工業株式会社に対する犯行

その二(コロナマークⅡ

乗用自動車関係の事件)

(1)  犯行に至る経緯

妹尾雅行(当時一九歳。学生)は、昭和四五年六月一〇日付で普通第一種運転免許を取得し、父の妹尾芳明が同年一〇月一四日協和トヨペツト株式会社江戸川営業所から代金百三十六万五百八十六円で購人したコロナマークⅡRT七五M型普通乗用自動車一台(新車。以下、「妹尾車」という。)を運転、使用していた。同車については、後記事故直前の昭和四六年五月一二日に右記江戸川営業所において法定の六か月定期点検整備がなされており、その際には異常は認められず(その時、整備をした者は、タイヤが摩耗しているので、妹尾雅行にタイヤの交換を勧めたが、同人は交換しなかつた。)、また、その後事故までの間に走行に支障を来たすような不具合が訴えられたようなこともなかつた。

ところで、妹尾雅行は、昭和四六年五月二三日午前四時五分ごろ、同車に友人の高木良和(当時一八歳。高校生)を乗せて運転し、東京都港区赤坂四丁目八番地一四号地先の警視庁赤坂警察署前国道二四六号線の路上を(青山一丁目交差点方面から赤坂見付方面へ向つて)進行中、横転して中央分離帯を乗り越え、妹尾雅行及び高木良和両名が死亡する事故が発生した(以下、「妹尾事故」という。)。

所轄の赤坂警察署司法警察員は、捜査の結果、妹尾雅行が制限速度毎時五〇キロメートルの同道路を毎時約八〇キロメートルの高速度で同車を運転し、さらに同警察署前交差点の停止信号を無視して通過しようとして、おりから信号待ちのため停止していた車両を避けるため急激なハンドル操作をした過失により横転したものであり、すなわち同人の無謀な運転に起因して発生したものと判断し、この旨の意見を付して事件を東京地方検察庁に送致し、同庁検察官も、同じ意見のもとに被疑者死亡の理由で同年八月三一日事件につき不起訴処分をした。

ところで、妹尾芳明は、赤坂警察署の係官から事故の状況を説明されたが、妹尾車横転の原因について納得せず、あるいは同車両に欠陥でもあるのではないかとの疑いを持ち、同年五月下旬ユーザーユニオンを訪ね、被告人松田に同車両の欠陥の有無について調査方を依頼した。被告人松田は、同人の語る事故直前の車両の運転状況等から、もし同車両に欠陥があるとすればハンドル系統のものであろうが、同車両を分解して調査してみなければ確かなことはわからないと考えたが、その後分解調査をしないまま過ぎていたところ、同年八月下旬ないし九月上旬ごろになつて、被告人安倍に妹尾芳明の依頼のことについて話をした際、「車両を分解してみなければ事故の原因はわからないが、事故の状況からするとハンドル系統の欠陥が原因であるとも考えられる。」旨を語つたのに対し、被告人安倍は、同松田に、「トヨタととことんまでやるのであれば本人から委任状をもらわなければならない。」旨を答えた。そこで、被告人松田は、そのころ、妹尾芳明に対し、車両の製造、販売会社に損害賠償の請求をするのであれば、被告人安倍と相談するようにと勧め、同人は、そのころ、安倍法律事務所を訪ね、被告人安倍に損害賠償請求を委任した。その際、妹尾芳明は、請求額については、一応、高木和宏(良和の父)に支払うべき賠償金(残額)五百六十七万円のほか、車両の物損費その他一切で千万円ないし二千万円の範囲内の程度を考えていたが、被告人安倍には特に希望額を話さず、また、同被告人もこれについて特に尋ねなかつた。妹尾芳明は、またその際、被告人安倍から高木良和の分も併せて請求したい旨を告げられたので、その後間もなくこの旨を高木和宏に伝え、同人も同被告人に請求を委任したが、請求額の希望は示さなかつた。

なお、被告人両名は、前述のとおり、トヨタ自販から北原義胤ら七名のトヨタDA一一〇―D型ダンプトラツクに関する賠償金の名目下に千二百万円を喝取した後も、その他の車両使用者らから個別に相談、依頼を受けた各車種のクレームに関しトヨタ自販等と交渉して、同社から五件について金員の支払いを受けて解決して来ていたがその交渉の際に、被告人両名は、トヨタ自販の者らに、コロナマークⅡの事故があり、原因を調査中である旨かねて話していた。

(2)  罪となるべき事実

(一)  共謀

被告人両名は、このようにして妹尾事故につき賠償交渉の依頼を受けたものの、妹尾車に欠陥が存在し、それが事故の原因であるとの点について何ら確たる証拠のないことをともに認識していた。しかし、被告人両名は、前述のとおり、すでにトヨタDA一一〇―D型ダンプトラツクの件についてトヨタ自販から千二百万円を喝取することに成功して自信を得ており、このコロナマークⅡ乗用車の件についても、その販売会社であるトヨタ自販を、また製造会社であるトヨタ自工が交渉に現れたときは同社をも、さきのダンプトラツクの件の場合と同様の方法で脅迫すれば、同社らも畏怖し、示談金の名目下に多額の金員を喝取することができ、そうすれば、依頼者らの希望に応え得るとともに、弁護士報酬としてその一部をユーザーユニオンにもたらし得るものと考え、同年八月下旬ないし九月上旬ごろ、この旨の意思を相通じ、ここに共謀が成立した。

なお、被告人松田は、横浜市戸塚区所在の大藤自動車整備工場の整備士長浜直一に妹尾車の分解調査を依頼し、同人は、同年九月中旬ごろ、被告人松田立会のうえ、この調査をしたが、その結果、被告人松田の、ハンドル系統に何らかの異常があるのではないかとの当初の予想に反し、ステアリングシヤフトやギアボツクス等のハンドル系統には何らの異常は見受けられず、わずかに左リアシヤフトのベアリングに亀裂が発見されたものの、その亀裂が事故前に生じていて事故原因となつたものか、あるいは事故当時の衝撃により生じたものかは全然明らかではなかつた。被告人松田は、この調査の結果を直ちに被告人安倍に知らせた。

(二)  実行行為

(イ) 被告人安倍は、同年九月一三日、安倍法律事務所において、前記クレーム案件の交渉のため訪ねて来たトヨタ自販サービス部地区担当課長有賀道夫、同会社販売拡張部広報課長中岡弥典、同会社サービス部東京サービス課長山越喜久男及びトヨタ自工調査部法規課係長阿知波安彦に対し、妹尾事故の概要を説明し、「非常に不思議な事故である。松田が二か月かけて調査したが、その結果ステアリング系の問題と、ベアリングの亀裂という問題があるが、それが事故の原因であるか、はつきりしない。しかし、松田のいうにはマークⅡ特有の問題が出て来たようだ。マークⅡにはいろいろの不具合があるようだから、この際それらをひつくるめて政治的に解決しよう。妹尾事故は訴訟になれば二億円訴訟であるが、示談だから一億八千万円でお願いしたい。内訳は、被害者二人は将来有望な学生なので、得べかりし利益一人あたり六千万円、慰藉料一人あたり三千万円である。」旨述べて示談に応ずるように要求した。

有賀らは、唐突かつ法外な金員の要求に驚愕したが、とりあえず事故の状況等について調査することを約してその日は別れた。

有賀は、右要求をトヨタ自販サービス部長浦野了に報告するとともに、赤坂警察署に赴き、事故の状況について係官から前記のような捜査の結果を聴取し、妹尾車の販売店における同車の整備歴を調べ、また、事故後同車を調査した整備工場でその調査結果を聴取するなどして妹尾事故の原因を調べたが、その結果、事故車両に欠陥があつたものとはとうてい認められなかつた。また、同月一六日ごろ山越が被告人松田のもとに赴いて同被告人のいうコロナマークⅡの「不具合」につき質問したところ、同被告人は七項目ほど不具合ないし欠陥箇所名を挙げ、その他決定的なものが二つほどあるがこれは教えられないといい、そのうち妹尾事故に関係あるものとして五項目(いわゆる決定的なもの二つを含む。)を挙げたが、トヨタ自販側では、指摘されたいずれの箇所についても不具合や欠陥があるとは全然考えられず、むしろ被告人松田のこのような話が一般の顧客に伝わつた場合のことを考えて非常に不安を覚えた。

(ロ) 同月二二日、有賀は、山越、中岡、阿知波とともに安倍法律事務所で被告人両名と面談し、「妹尾車に欠陥があつたということであるが、その現物を見ることができないので、どのような欠陥があつて事故の原因になつたといわれるのか、さつぱりわからない。」旨述べて説明を求めた。これに対し、被告人松田は、同被告人の考えているコロナマークⅡに関する不具合ないし欠陥箇所(同月一六日ごろ山越に話したと同じもの)を挙げ、また、被告人安倍は、自己の見方による妹尾車の事故直前の走行状況を説明して事故の原因が同車の欠陥にあるかのようなことを述べた後、結局、金額一億八千万円の示談要求は、妹尾車に欠陥があつたどうかを問題とするものではなく、妹尾事故の解決金を含めて、被告人松田ないしユーザーユニオンの有するコロナマークⅡその他の、トヨタ自工、同自販の製造販売する各種の車両(以下、「トヨタ車」という。)についてのいわゆる欠陥情報が他に漏れないように、トヨタ自販ないし同自工側が適当な金額で話合いをつけるよう政治的判断を求めているものであり、欠陥の有無についてお互いに血みどろになつて争つても双方に何の利益もない旨を述べ、要求金額について必ずしも一億八千万円全額を要求するものではなく、「半分とか三分の一とかまでは地合いの問題である。六割とか、四割とかもあり得る。松田がそれなら仕方がない、泣いて向うに話そうかという金額があり、松田でもおのずからバランスさせる。しかし一千万円とか千五百万では松田は憤慨する。」旨述べ、また、「最後は企業のリーダーの器量である。」「松田はいくらかの手持ち駒を持つていてマークⅡについて一戦交えようかという凄みを持つている。」、「ユーザーユニオンは戦闘集団だから最後はそこに行く。」、「ニツサンエコーも松田ははじめ一千万円といつたが、今は示談するとしたら八千万になりつつある。時機を失したからだ。」「日産は朝連に五千万円出して示談したが、最初松田が行つた時に片づけておればわれわれ一千万、朝連五百万で片づいている。」、「松田があそこで睨んでいるのは『マークⅡは一台ではない』といつているわけだ。」、「一二月にマークⅡのモデルチエンジがあるというのに、双方で関が原みたいに戦つて新聞に旗上げするような愚劣なことをやる暇があるなら、もつと建設的なことがいくらでもあるというのが私の考えである。」、「私は誠意を出してくれた企業を後から斬りつけるようなことはしない。」、「この話合いも延びると駄目だ。情報が漏れて。」旨を申し向け、また、被告人松田も、「朝日新聞の記者が赤坂警察署の次席とやり合つてね。うちへ聞きに来た。」、「亡くなつた二人には申しわけないが、二人に欠陥を背負つてもらつて三途の川に流そうや。」旨を述べて早急に示談に応ずるように迫り、もしこれに応じない場合にはトヨタ車のいわゆる欠陥情報を新聞等に発表するなどの行動に出ることを示唆して脅迫した。トヨタ自販及び同自工では、翌二三日合同で対策会議を開き、関係役職員らが集り、有賀の報告を聞いて被告人両名の理不尽な要求に憤慨したが、被告人らの要求に応じなかつた場合にその攻撃により大きな損害を受けることを危惧し、決裂を避けながらできるかぎり示談金額を少なくするように交渉する等の方針を決めた。

(ハ) 同年一〇月一日、有賀は、山越、中岡、阿知波とともに、名古屋市中村区西柳町二丁目所在の「都ホテル」において、被告人安倍と面談した。席上、被告人安倍は、有賀らに対し、被告人らの要求している金員の性質が九月二二日の会談の際に述べたものであることを繰り返して述べるとともに、妥結金額については示談であるから必ずしも一億八千万円全額にこだわるものではなく、半分の九千万円、あるいは八千万円ということもあり得る旨を述べ、さらに、「松田はこれから年末にかけて原子爆弾(車両欠陥の暴露の意)を何発か上げようと思つているが、流石に松田の力量をもつてしても二つの作戦正面はできない。(そこで、トヨタに対しては)合従連衡みたいなものでね、一つ手を結びませんかと言つているわけだ。原子爆弾の上がる作戦正面になる企業がどこかということはいえないが、大変なことになると思う。」、「(今度は)花型車に向つて正面から切り込む。一種のパニツク現象が起きると思う。」、「松田は原子爆弾を製造している。どうせ原子爆弾を打つんだから、二、三億わたしの方に譲つて下さいよといいたい気持は重々あるけれども、いえないんですね。わたしはそういうことは言つてはいけないと思う。そういうことをいうとヤクザ集団みたいになるからね。しかし、それは賢明な企業であれば当然に分析できることである。」、「原子爆弾を打ち上げるのは、新聞、公取、民事訴訟、刑事訴訟の四本立てである。まともに食つたらたまらない。ガボガボと社会面のトツプに、おそらく一つの車種について一〇回や二〇回出るからね。」、「ユーザーユニオンというのは一つの戦闘集団である。はつきりいえば野武士の群みたいなものだ。松田なんか蜂須賀小六みたいなもので、槍一筋だから、パアーと夜討をかけて火をつけるくらいのことやらなきやね。」、「(金額の話について)松田は二、三億と言つているが、わたしがここで独断で(一億八千万の)半分以下と言つたのは、示談というのは勝ち負けがないから、言い値を丸々いうのは傲慢だと思つているからだ。」旨を申し向け、もつてトヨタ自販ないし自工が被告人らの要求に応じない場合には、トヨタ車の「欠陥情報」を各新聞に発表し、さらにトヨタ車の性能等につき不当表示があるとして公正取引委員会に申告し、トヨタ車の「欠陥」を理由に同車の事故を取り上げて同社らの役職員につき告訴をし、同社らに対し民事訴訟を提起してこれらを新聞等に報道させ、もつて両社に激烈な攻撃を加えるべき旨を告げて脅迫した。トヨタ自販及び同自工では、同月九日関係役職員が集つて対策会議を開き、事態はもはや有賀らの手に負えなくなつており、次回の会談からはトヨタ自販の前記浦野部長、同自工の法規部長反町喬も出席して折衝する等のことを決めた(しかし、反町部長は病気のため、以下の交渉に出席できなかつた。)。

(ニ) 同月二〇日、浦野、有賀は、中岡、山越とともに、前記「都ホテル」において、被告人両名と面談した。席上浦野は、被告人らの要求をトヨタ自販、同自工の会社組織の中でよく検討するために、被告人らの指摘するコロナマークⅡの欠陥と妹尾事故との因果関係、トヨタ車に関するその他の欠陥情報、被告人らの要求を拒否した場合に被告人がとるであろう措置を教えてもらいたいと要請した。

これに対して、被告人両名は、交渉が進展しないことに憤りの色を示しつつ、被告人安倍は、「今回は具体的な金額の提示があると思つて来た。一億前後の金額であれば一時間ぐらいで妥結してほしいほど、(わたしの)事務所の忙しさだ。十億、二十億ということになれば一か月もかかる例もあるが。」、「既存のデーターで即決できない人は器量がないということだ。石田退三さんじやないけれども、商売やる時に翌日に延ばすようじや価値がない。長年経験ある方ならば即決できるはずだ。」、「これが駄目ならば、カローラについてはこれとこれをぶち上げ、『これはアメリカ運輸省に言つて何十万台を回収させる。』というようなことはいえない。脅迫になるから。わたしどもとしては、悪いようにはしないからユーザーを救済していただけませんかということをいうだけだ。この抽象的なことで理解いただくのに一か月も二か月もかかるなら、石田退三さんじやないが、商売人の価値はない。わたしはね、イエスかノーか決めてもらえばいい。一億八千万が多ければ、石田退三さんなら『三千万円でどうやね』というだろう。(これに対し、わたしの方で)『それではしかしユーザーは浮かばれないだろう。』(というだろう。)『それじやこのへんで』ということになる。そこには理屈も何もない。最後はそこで判断するより仕方がない。天下の情勢を見て、ここでトヨタは勝抜けるとか、ここは血みどろになつて戦うところか、それはご判断なさればいい。」、「(西郷隆盛と勝海舟の江戸城明渡しの会談を例に引いたうえ)本件の場合はロジツクスではなく、ポリテイツクスの問題である。」、「われわれは色々掴んでいるが、言える面と言えない面とがある。」、「何べんもいうようにユーザーユニオンは一種の戦闘団体だから、一番重要なポイントは絶えず隠している。日産との戦いの場合もそうであつた。」、「一諾を重んじないないと駄目だ。不信感が残る。一億八千万円がまあ七千万円になつて、ここでこれだけ儲けたといつても、他のところに一千万円くらいのクレームは山のようにある。それを次々に出せば、三か月も経ずにそれ以上のものになる。」、「ユーザー団体はお金をもらつたからといつて鋭鋒をゆるめるわけにはいかない。これはラルフ・ネーダーの最も嫌うところだ。しかし、おのずから、もの凄く先鋭に敵対するところと比較的友好的に共存共栄でいきましようというところでは違うわけだ。」、「(会社が浦野らに任せられないとして、もつと上の人が)わたしが決裁権を持つているというのなら、一億八千万円なんかでは済まない。三億、四億でもまだトヨタさんの方が分が悪い。大変なことになる。」、「(一諾で決めたならば)蓋を開けてみたら『いややつぱりこれでも安かつたな』と必ず思うだろう。」、「(示談が成立すればトヨタ側に必ずそれだけの成果があがり)全自動車業界の情勢を見て、なるほど安倍のいうことが本当かと、聞きしにまさる凄いものだと思うだろう。」、「皆さん方とメンバーが違う人が(交渉相手として)来たら、わたしは大体三倍取る。皆様方だから遠慮しているのだ。」、「(示談が成立すれば)一時は大きな金額をただ払いさせられたと思うかも知れないが、来年の六月頃もう勝負がつく。どういうことになるか、そういうことはいうべきではない。わたしの方が『和平工作で行きましよう』といつたら、『何か知らんけどいいなりに出します』といえばいい。」、「ユーザーユニオンが溜めた情報はもの凄いものだ。それが日本だけでなくアメリカと関連して来るわけだ。」旨などを申し向けた。

そして、浦野が「(交渉をやめた場合)トヨタがこれこれの欠陥を抱えて公表もせずに対策をしているというようなことを新聞に発表され、あるいはわれわれには明らかにされていない問題を訴訟に持ち込むというような方策を考えているのか、大体想像はつくが。」と発言すると、被告人安倍は、「具体的におわかりになつているんだろうから、それでいいじやないか。」旨述べ、さらに、トヨタDA一一〇―D型ダンプカー一七台のクレームがあるといい、「(その欠陥箇所を読み上げるだけでも)新聞どころの騒ぎでないが、今やマークⅡやカローラの問題は、こんな程度のものではない。」、「(交渉が決裂して)戦えば、ふた月、ひと月待たずに首脳部は慌てて、『お前、何で決裂させたか』ということになる」、「(自分のいうことを聞いて示談がまとまれば)経験のある首脳部陣の人は、うまくやられたけれど、損をして得を釣つたというだろう。」、「松田が国会で全種目を発表する時に、パーと最初のころに出るのと、どういう方法を取つたか知らないが、一つ三つ小さいのが出ているけれども怪しいなといわれるのとは、首脳部ならばすぐわかるんやないか。」旨などを申し向けた。

ついで、被告人松田は、「昭和四三年以後の、お宅(トヨタ)の乗用車全車種についてお宅が知つておられ、発表しなければならないもの(いわゆる欠陥情報)のうち五十パーセントまで自信を持つている。ここではこれだけで、あとの詳しいことはいえない。(もつとも、この話は、右の、国会で云々という)安倍先生の話と切り離して下さい。」、「(欠陥は)マークⅡも多かつたけれども、カロはーラも多いな。(日産の)サニーくらべてカローラは多過ぎる。」、「日産はね。一番こわかつたのはエコーの問題ではない。検察庁へ、(わたしが)いわゆるクレーム一覧表を配つたのだ。わたしが指示したものは全部公表された。」「お宅だつて一つ問題を流すと、検察庁が押えますよ。(検察庁は、お宅が)サニーについてどんな処理をしているか知つている。お宅が押えられなくても、デイーラーが押えられる。全部のデイーラーをどうやつて隠すのか。」、「安倍さん、日産の指令書はアメリカへ翻訳しておきましたよ。やむを得んですよ。覚悟しておけと言つたんだから。」「マークⅡについて、あと二件がある。他の弁護士さんから聞いたが、あれは完全に刑事告訴できる。そうなればお宅の書類は押えられるはずだ。」、「(高額の本件示談金の)対価はありますよ。部長(浦野)さんの握つているトヨタ車の欠陥情報の半分だといえばいい。」旨などを申し向け、さらに、被告人安倍は、「アメリカの関係は重視した方がいい。日本と違つて、アメリカでは抽象的な危険性ということでいきなり回収して来るから。」旨申し向け、また、被告人松田が「(DA一一〇―D型ダンプカーについてトヨタ自販が)異議を一切認めないのなら一括してマンモス訴訟をしなければならない。」旨いうと被告人安倍は、「一か月ごとにまとめてやればせいせいする。」、「戦国時代とは難しいものだ。合従連衡というものがある。」旨いい、また、被告人松田は、「中岡さん、ネーダー・グループから日本に来ているリフソンのやつがついて廻りよる。わたしはアメリカへレポートを送らねばいけない。」旨いつた後、被告人安倍は、「一億八千万円の要求金額を、かりに浦野さんが一生懸命努力して五千万円に下げたとしても、前記ダンプカー一七台のクレームに対する解決金額は一台五百万円、合計八千万円以上になるから結局は同じことである。」、「一億八千万円の要求に対しトヨタ側で対抗する値段を出さないのならば、一応ゼロと見なして、半分の九千万円で調印しないか。それが一番簡単だ。」旨を申し向けた。

なお、被告人両名は、前記個別的なクレーム案件の折衝過程で右一七台のダンプトラツクのクレームに関し一台二百万円の賠償金を要求していたが、かねてトヨタ側と、同案件の一つであつた清水昭吾使用のトヨタDA一一〇―D型ダンプトラツクの折衝過程で、これと同種の車両のクレームについては、以後示談交渉の対象とせず、すべて販売店(デイーラー)にもどして処理させる旨確約済みであつたので、有賀は、右のように被告人両名が右ダンプトラツク一七台の賠償要求を持ち出して来たことに異論を述べたが、これに対し、被告人両名は、同ダンプカーのクレーム案件は約五〇台あり、全部ユーザーにつき返したが、どうしても不満を持つ者が現れたものであり、それが右一七台だ旨主張して、受けつけなかつた。

そして、このようにして迫つて来る被告人両名に対し、浦野らは、交渉を決裂させる意志はないとしながら、会社内で被告人らの要求をさらに検討するため、暫期間の猶予を求め、ついに被告人らの要求を応諾しなかつた。

有賀、山越、中岡は、被告人両名と浦野とが対立して、交渉が決裂し兼ねない様子になつたので、被告人両名をなだめて交渉を継続させるため、被告人両名を別室に案内した。別室に入るや、被告人松田は、声荒く「何て話がわからん部長だ。部長の首を切れ。」といい、有賀が交渉に出席すべきトヨタ自工の反町部長の病気回復の期間を考えて、次回交渉日まで一週間か一〇日間の猶予を乞うや、被告人松田は、有賀らに対し、「国会へ提出すべき資料の期限が迫つているので待てない。示談をするかどうかによつてその資料に手心を加えるかどうかを決めなくちやいけない。国会で各社の欠陥車の資料を持ち出す中でトヨタだけゼロにするわけにはいかんから、(もし示談が成立すれば)一つか、二つ、問題にならないものを出す。国会で各社の欠陥問題が取り上げられる中で、トヨタだけが取り上げられないか、あるいは同じように取り上げられるか、その得失を考えてみよ。一〇月二五日が提出の期限だから、トヨタからの回答期限を同日とする。それまでに回答がなければ決裂だ。」旨申し向け、また、被告人安倍は、有賀らに対し、「松田はああいうが、マークⅡの件は億という金額だから、一日、二日延びるのはやむを得ない。しかし、松田を抑えるにはダンプ一台だけでも切り離して一〇月二五日前に回答してもらわなければ困る。」旨申し向け、有賀が「ダンプカーの件は、もう交渉の対象にしない約束であるから、ここでダンプカーの件を入れるわけにはいかない。しかし、もしマークⅡの示談ができたときに、その金でダンプを処理されるのは勝手だ。」旨答えると、被告人安倍は、「マークⅡの方を回答してもらえればいいが、今の様子では回答できないんじやないか。その場合は松田を抑えるためにダンプ一台だけ切り離してもらわないと原子爆弾の一つや二つ落ちますよ。」旨申し向けた。

以上のように、被告人両名は、浦野ら四名に対し、一億八千万円での示談要求につきトヨタ自販及び同自工において少なくともその半額前後の金額で応諾することを迫り、これに応じない場合には、トヨタ車に関するいわゆる欠陥情報を新聞に公表するのはもとより、国会にこれを伝えて調査を促し、あるいはトヨタ車につき欠陥を理由とする民事訴訟を提起してこれを公表し、さらにはアメリカのネーダー・グループにこの情報を伝えてトヨタ車の摘発、回収という事態を招き兼ねない行動に出るべき旨を示して脅迫した。浦野、有賀らは、同月二五日までという短期間内に巨額の要求に対する回答をなし得るかどうかを懸念し、交渉が決裂した場合に予想される被告人らの攻撃を考えて甚だしく畏怖した。

(ホ) 一〇月二五日、有賀は、会社側の協議が整わなかつたことなどから、自宅より安倍法律事務所に電話をかけ、被告人安倍が不在であつたので、同所事務員にしばらく回答の猶予を求める旨同被告人への伝言を依頼した(有賀は同日自宅で休養した。)。被告人安倍は、折返しトヨタ自販春日工場(愛知県西春日井郡春日村所在)に電話をかけ、電話に出た同会社地区担当課員加藤洋に対し、「明日になるか明後日になるかわからないが、トヨタ自動車の欠陥車の件の発表があると思う。これを止めるかどうかという問題がある。さしあたりトヨタの八トンダンプの、プロペラシヤフトが脱落した一七件を詳細に発表しなければならない。有賀さんが止められるということであれば別であるが。」旨などを申し向け、返事を求めた。そして、同日午後四時ごろ、有賀に代つてトヨタ自販サービス部地区担当課長補佐沢入安彦が東京都港区の「ホテル・オークラ」の一室にいる被告人安倍に電話をかけると、同被告人は、沢入に対し、「今日の昼ごろまでに回答がないと話は決裂したものとして自由行動をとつてよいというように解していた。」、「今、松田の所在がわからない。探しているが、松田に何か発表されると具合が悪い。」、「マークⅡの問題はわたしは決裂させたくない。決裂すると、大げさにいえば日本の自動車産業の信用にもかかわる。軽々に新聞記者に発表したり、アメリカの運輸省に通告することは絶対まずいというのがわたしの考え方だが、松田はああいうタイプの人だから、多少そういうふうに突走る傾向もある。」旨などを申し向けたうえ、マークⅡの件についてはしばらく猶予するが、トヨタDA一一〇―D型ダンプカー一七台の件については、今日中にせめて半分ぐらいは示談を承諾してほしい。そうすれば松田を納得させることができる旨申し向け、沢入がいつたん会社内で相談した後、同日午後一一時三〇分ごろ同ホテルにいる被告人安倍に再び電話をかけ、「ダンプカーのクレームの件は、すでに被告人両名との話合いで、すべて販売店に処理させることにして、被告人らとの間では示談交渉の対象としないと約束しているので、これに反する回答はできない。(被告人らが)すぐ行動に出るというのであれば、その行動を見た上でマークⅡの件についても返事する。」旨述べ、さらにトヨタ自工の反町部長の病気回復を待つため、次回の交渉を一一月四日以後にしてほしいと猶予を求めるや、被告人安倍は、「一一月四日でも五日でもわたしの方はよいが、(トヨタ車の欠陥については)少しは発表されることになる。それは前々から言つている。自然発生的に出てくる。」、「(次回の交渉を一一月四日以後にすることは)わたしはいいが、松田はコントロール不可能だ。非常に背信行為があつたと思つて行動を起こすおそれがある。明日早々に直接に松田に連絡をとつて了解を求めなさい。」旨などを申し向けた。このように、被告人安倍は、加藤及び沢入に対し、被告人らの要求を応諾しない場合には、前記一〇月二〇日に述べたと同様の攻撃に出るべき旨を申し向けて脅迫した。

(ヘ) トヨタ自販では、右電話により被告人松田の態度が硬化していると懸念し、直接同被告人と面談して回答延期について了解を得ようと考え、同被告人に連絡したうえ、同月二七日東京都港区赤坂の料亭「福田屋」において有賀、山越、中岡及びトヨタ自工調査部法規課長塚田健雄が同被告人と面談し、話し合つたが、塚田が被告人両名の脅迫じみたこれまでの交渉態度等を指摘すると、同被告人は、塚田を敬遠し、交渉は安倍が担当していることで自分の関知するところではないと尻込みし、途中で退席し、回答延期の話合いはつかなかつた。

以上(イ)ないし(ホ)の経過のとおり、被告人両名は、浦野、有賀、中岡、山越、安知波らのトヨタ自販及び同自工の社員に対し、妹尾事故に関する示談交渉を縁由として、その交渉の場において、被告人松田ないしユーザーユニオンの有しているという各種のトヨタ車に関する欠陥情報を秘密裡にトヨタ自販及び同自工に教えるからとしてその対価(実質的に妹尾事故の解決金をも含むもの)を求め、一応金一億八千万円の金額を示したうえ、その半額の九千万円、ないし八千万円程度に減額する用意のあることを告げながら、かかる取引きを内容とする示談に応ずるように要求し、もしこの要求に応じないときは、両会社に対し右のようにさまざまの攻撃を加えることを明文又は暗示して脅迫し、同人らをしてその旨畏怖させ、もつて示談金の名目下に多額の金員を喝取しようとしたが、右(ヘ)のとおり両会社が要求に応じないうちに、同年一一月二日被告人両名が逮捕されたため、その目的を遂げなかつた。

第二節  証拠の標目〈略〉

第三節  法令の適用

被告人両名の判示(第一節第二款)第一(その記載中「罪となるべき事実」を指す。以下、第二ないし第六についても同じ。)の所為は、包括一罪として刑法二四九条一項、六〇条に、同第二、第五及び第六の各所為は、いずれも同法二五〇条、二四九条一項、六〇条に、第三及び第四の各所為は、いずれも同法二四九条一項、六〇条に該当するところ、これらの各罪は、同法四五条前段により併合罪の関係にあるから、被告人両名につきいずれも同法四七条本文、一〇条により犯情に徴して最も重いと認める第一の罪の刑に加重をし、その刑期範囲内において被告人安倍治夫を懲役三年に、同松田文雄を懲役二年にそれぞれ処し、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告人両名に訴訟費用の全部を連帯して負担させることにする。

なお、判示第一の本田技研に対する犯行中金十六億円を仲裁委員会に交付すべきことを要求した行為について付言すると、同委員会は、被告人安倍の発想、提案にかかるものであるところ、未だ現実には存在せず、本田技研が被告人らのこの要求に対し応諾の意を示した後に被告人らと本田技研との協議により設立される性質のものであるが、ホンダN三六〇全国被害者同盟から被告人らに包括的に本田技研に対する高額の賠償請求交渉の依頼があつたこと等の当時の事情から見れば、全く荒唐無稽なものではなく、本田技研の応答いかんによつては実現可能性のある構想であり、すなわち、それへの金員交付の要求が本田技研を畏怖させるに足りる程度の具体性のあるものであつて、かつ、本田技研が同委員会に金員を交付すれば、その金員の処分権は本田技研から同委員会に移転し、その金員は被告人らの意図のとおりホンダN三六〇の事故等に基づく損害賠償請求者に対する賠償のための基金となるものであるから、このような仲裁委員会に帰属させる思意をもつて金員の交付を要求して脅迫を加えた行為が、財物の受領者を第三者とする恐喝未遂の罪に該当することは明らかである。

第四節  弁護人の主張に対する判断

(1)  社会適合行為(犯罪構成要件不該当)の主張について

(一)  主張の要旨

弁護人は、「被告人両名が、本件の全対象車について、その欠陥性を確認していたこと」、「本件交渉の実体」が「平和的説得を遙に越えるものと見ることはできない」こと等の事実主張を前提として、被告人両名の行為は、「正に典型的な消費者運動であり、社会適合行為であつて、如何なる犯罪行為の構成要件にも該当しない。」と主張し、その理由として、「消費者運動そのものが、メーカーその他の業者に、欠陥商品の弱点を指摘し、圧力を加えるものであり、その具体的被害者が、賠償請求を求める行為は、害悪を告知して、相手方を畏怖困惑させて、金員等財産的給付を要求するもので、個人対個人の市民法的見地からすれば、形式的表見的には恐喝罪の構成要件を充足する観を呈しないではない。しかし乍ら、これを恐喝罪の犯罪類型にあたるものとし評価することは、今日の普遍的法的確信の許さないところであ」り、すなわち、「消費者の権利行使行為は、典型的な社会適合行為(社会的相当性ある行為)であつて、かかる行為は、平等な個人関係のみを眼中においての違法類型である恐喝罪に定型化された構成要件には包含されていないと見るのが、相当である。」、「被告両名が本件で訴追されている行為は、健全な消費者運動としての欠陥車摘発・被害者救済のための示談交渉行為であり、ウエルツエルの社会的にノルマールな“行為の自由”の範囲内の行為即ち構成要件不該当の類型的社会適合行為である。」、「本件は、端的に言えば企業の利益と消費者の利益、産業保護思想と消費者保護思想という異なる価値観の対立する局面における出来事である。経済復興優先の思想が、社会福祉優先思想に席を譲つている今日の歴史的社会において、被告両名の行為は、正にこの歴史的推移に基づく社会倫理に従つた行為に外ならない。」、「経済企画庁内におかれている国民生活審議会の消費者部会の消費者救済特別研究委員会」は、「昭和四九年九月中間覚書を発表」し、「企業の経済的効率優先主義による品質低下・被害者の範囲の拡大大量化・企業者の責任の不明確化・消費者の無智・企業者の企業秘密独占による原因立証困難化を挙げて、消費者被害の公共性化と企業の反公共性とを指摘した上、この消費者被害を『構造的被害』として把握しこの構造的被害こそが、今日の消費者被害の典型であり、この防止救済措置を充実することが緊急の課題であると要請している。この要請に応えるものが正に、被告両名の本件行為であり、右中間覚書は、その社会適合行為である所以を実質的に論証して余りあるものというべきである。」等と述べている(弁論要旨書参照)。

(二)  判断

しかし、右主張は、前記認定事実により明らかなとおり、被告人両名の本件各交渉対象車両に関するいわゆる欠陥性の認識、各交渉の具体的な状況等の点において、当裁判所の認定事実に沿わない事実関係を前提とするものと認められ、その意味において立論の前提を欠くものといわざるを得ない。

なお、付言するに、理論上、消費者運動と一口にいつても、その実体は多様であり、その概念も甚だ不明確であつて、このような漠然とした範疇に一応属すると認められる行為について、その一事をもつて「社会適合行為」、あるいは「社会的相当性のある行為」の理論により一般的に犯罪構成要件の解釈を限定し、構成要件該当性を否定することは正当とは考えられない。消費者運動ないしこれに関連のある行為につき、そのゆえをも斟酌して犯罪の成立を否定する余地があるかどうかは、社会通念上微罪と目すべき例外的場合は別論として、それ以外は、個々の場合に応じて、犯罪構成要件(右のような解釈上の限定を施さないもの)の該当性が肯定された後に、行為の動機、方法、結果等の具体的事情を考慮して正当行為として違法性が阻却されるかどうかの問題として考察されるべきである。

ちなみに、被告人両名の本件各行為と消費者運動との関係については、後に述べるところがある。

(2)  権利行使行為ないし弁護士の正当業務行為(違法性阻却)の主張について

(一)  主張の要旨

弁護人は、被告人両名の本件各行為は、いずれも自動車使用者(ユーザー)から依頼を受けて、自動車製造、販売会社に対する損害賠償請求権の行使として、同会社と示談の交渉をしたものであり、すなわち、それは、権利行使行為であり、また被告人安倍の弁護士としての正当な業務行為であるから、違法性がないと主張し、その理由として、以下のとおり述べている(弁論要旨書参照)。

すなわち、まず、交渉時における被告人両名の言動についていえば、相手方に対する説得と駆け引きの限度を出るものではなく、特に被告人安倍についていえば、「弁護士の正当業務行為の範囲内のもので」あり、「弁護士が、強硬に義務の履行を拒否する示談交渉の相手方に対し『応じなければ、正規の手続を採りますよ』と発言して、民事提訴刑事告訴を予告する事は常道であり、権利行使そのものである。国会での追求、報道機関への資料の提供もまた、公共の利害に関係のある事項である限り、世論に訴えるための手段として表現の自由の範囲内の行為であり、相手方の蒙るべき損害の明示の如きは『応じなければ御損ですよ』という表現によつて常に応酬されているところであり、いずれもそれ自体違法を云為されるいわれはなく、かかる言動が封じられれば、弁護士の正当な業務の遂行は、不能となると言つても過言ではなかろう。」、「その他にも『峰須賀小六の夜討』、『原爆の打ち上げ』、『武装峰起』、『江戸城明渡』、『作戦正面に立つ企業の滅亡』、『合従連衡の計』等々はいずれも、安倍被告が、脳裡に戦と外交を画き、最も下手な外交が戦争であるとのクラウゼヴイツツの言を」参考にして「各種の警喩的表現を用い戦いである訴訟を避け、外交である示談によつて事を解決しようと勧説したものであり、表現に多少の気負いは感ぜられるものの」「脅迫文言とするには足りない」、また『対象車以外の車種の欠陥の示唆』、『社内醜聞乃至犯罪の示唆』、『ダメージを受けた他社の実例の引用』等は、検察官のいわゆる弱点に乗じた発言とするところであるが、相手方の弱点をつく発言が、対立の激しい論争の場合屡々見られるところであり、特に相手方の立場の不利さを明示感得させることによつて、その強硬な態度をくじき譲歩させる必要のある場合の通常の駆け引きであり、特に相手方が本件の如く、術策、陥穽を用意して立ちむかつて来ているような場合、この程度の駈け引きは、何ら違法性を帯びるものではな」い。さらに「手の裡を開示しなかつたことについて、一言すれば、メーカーの交渉担当者は執拗なまでに、ユーザー氏名、車両、事故、欠陥個所等の早期開示を迫つていたが、かかる要求に応じがたいものであることは、メーカー側のユーザー懐柔乃至買収」、「証拠車両の隠匿廃棄」、「等を屡々経験していた安倍被告として相手方に対する不信感の表現であると同時に後日の訴訟提起の際の証拠保全措置であり、何らの非難に値しない。」、要するに、「安倍は弁護士として終始その温和な語調と態度を以て諭すように話しており、結局一諾を以て政治的に決すべき問題である旨を強調したのは、相手方が示談に応ずるか否かは、終局において経理上の些事によつて決すべきものではなく、総体的利害の政治的判断によつて決すべきものであることを説き、戦争は常に当事者双方に重大な犠牲を払わしめるものであるとの観点から示談に応ずる方がメーカーにとつても有利であることを感得せしめようとしたものであつて、」、このことは、「テープ録音」によつてわかるように「全体の雰囲気は常に笑声を交えて平穏裡に交されていることによつても知ることができよう。」

つぎに、請求金額についていえば、被告人安倍が各会社に対して請求した金額は、「従来見舞金程度で糊塗して来たメーカーやデイーラーの目からは、或は、巨額と映るかも知れない」が、米国における自動車事故による賠償金の支払い事例、あるいはわが国における最近のいわゆる公害訴訟等での請求事例などと比較すれば、「安倍被告が本件交渉時に提示した額は絶対額としても必ずしも不当に高額の請求であるとは言い得ないのみならず、元来示談時の提示額には弾力性があり、双方の提示額の中間において和解が妥結するのが極めて通常の事例であり、安倍被告も各交渉時にその態度を相手方に明示しているもので、この弾力性をも考慮するときは寧ろ妥当な提示額であり請求額であ」るということができる。なお、被告人安倍は、本件コロナマークⅡ(妹尾雅行車)の事故に関する請求額については、危険物製造責任者に対する「ピユーニチーブダメジ」の法理を考慮に入れたものである(「ピユーニチーブダメジの考慮については近時、危険物製造の不法行為責任については、法人に刑を科することのできない我国の法制においては、民事賠償については制裁的高額補償が必要でありこれを再検討することが必要とされている。」)。また、被告人らの本田技研に対する要求金額二十億円(あるいは十六億円)は、被害者同盟における被害者数の予測及びその要求金額に従つて、死者四〇名、一名当たり四千万円、合計十六億円、負傷者二〇〇名、一名当たり二百万円、合計四億円(総計二十億円)と計算したものであり、しかも、当時請求に加わつて来る被害者の数が増加することが見込まれており、右金額が予備折衝における第一次預託要求としての提示額で、相手方の出方によつては減額を予測した額であるとともに、請求者の範囲、数、請求原因も確定されていない時期における予測による最高限の預託要求額であることを考えると、決して不当に高額であるということはできない。

ところで判例(最高裁判所昭和三〇年一〇月一四日第二小法廷判決・刑集九巻一一号二一七三頁)上「他人に対して権利を有する者がその権利を実行することは、その権利の範囲内であり且つその方法が社会通念上一般に忍容すべきものと認められる程度を超えない限り、何等違法の問題を生じない」とされているが、本件交渉時における被告人安倍らの発言は、前述のとおり、「権利者の代理人たる弁護士の示談交渉の際の通常の駈け引きの域を超えるものではな」い。「元来、消費者の無知と権利意識の低さによつて、永年不当な利益を享受し、欠陥車という公害商品を製造し社会に害毒を流し続けて来ていたメーカーらが受けるべき社会的非難(欠陥車キヤンペーンの目的)は、その非難を受けるに値する反人道的行為に対して行われているものであつて、メーカーらはこれを受忍すべき社会的義務がある」、「賠償請求権者が、その権利に目醒め非難の鼓をらしてその要求をする場合、本件安倍被告の発言の程度の駈け引きを用いる事が社会倫理秩序を越え刑罰に値するものであるとは到底理解し難いところである。却つて、かかる程度の攻撃を受けることは、積年の反人道的行為によりユーザー等に被害を蒙らしめて来たメーカーらの当然受忍すべき程度のものである。」等と。

(二)  判断

被告人両名の本件行為が恐喝罪又はその未遂罪の構成要件に該当することは、すでに判断したとおりである。そこで、被告人両名の各行為について、弁護人の主張するように違法性の阻却を認めるべき余地があるかどうかの点について判断を示すことにする。

弁護人は、被告人らの各行為をもつて、車両使用者又はその遺族の損害賠償請求権を代理して行使したものである(そして、被告人安倍の弁護士としての正当な業務行為である)旨主張するものである。

当裁判所は、結局、違法性を阻却する事由はないと判断するものであるが、弁護人の援用する判例の点から順次詳しく検討することにする。

(判例の示す恐喝罪成立阻却の要件)

まず、弁護人の援用する判例(最高裁判所昭和三〇年一〇月一四日第二小法廷判決・刑集九巻一一号二一七三頁)は、「他人に対して権利を有する者が、その権利を実行することは、その権利の範囲内であり且つその方法が社会通念上一般に忍容すべきものと認められる程度を超えない限り、何等違法の問題を生じないけれども、右の範囲を逸脱するときは違法となり、恐喝罪の成立があるものと解するを相当とする」と判示している。ここにいう権利とは、相手方に対して一定の財産的給付を求め得る、債権その他の実体法上の権利であることは明らかである(以下、「権利」というときも、同じ意味で用いる。)。そして、右判例に従つて恐喝罪の成立が阻却されるためには、その権利が存在することはもとより、その存在が明確であることを要するものであることもまた、明らかである(同判例は、権利が存在し、かつその存在が明確である事案についてのものである。)。したがつて、たとえば、

(イ) 権利は現在存在しないが、ある者(相手方)に対し、ある契約の締結を要求し、締結を前提として、その契約に基づく権利として一定の財産的給付をも要求する場合(以下、権利が存在しない場合」又は「(イ)の場合」という。)、

(ロ) 権利の発生原因事実が不明確である等により、権利が存在することが不明確である場合(以下、「権利の存在が不明確である場合」又は「(ロ)の場合」という。)、

については、いずれも前記判例は、適切でないといわなければならない。

もつとも、右判例にいう「その方法が社会通念上一般に忍容すべきものと認められる程度を超えない」との要件は、本件についても基準となるべきものと考えられるが、この点については後に触れることにする。

(権利が存在しなかつた場合)

そこで、本件各交渉における金員の要求について、果して、被告人らの主張自体から見て権利が存在するものとして主張されたものかどうかの点を考えると、被告人両名の各行為のうち、まず、判示第一の本田技研に対する、西村事故に関する金八千万円の要求を除く、その余の金員の要求は、仲裁委員会という機関を設け、本田技研側において同委員会に多額の金員を提供し、同委員会がその金額内において個々の被害者又はその遺族からの要求に基づいてそれぞれの補償額を査定して配分するという構想を本田技研に話したうえ、同社に対し金十六億円もの金員を同委員会に交付することを要求したものであるところ、当時被告人安倍の依頼者らに本田技研に対し、十六億円(又はそれ以下にせよ、そのような性質の金員)を仲裁機関に交付することを請求する権利など存在しなかつたものであることは明らかであり、右金員要求は、本田技研との間に右構想を内容とする契約が締結されることを前提とするものであつて、すなわち、前記「(イ)の場合」に当たるものである。

つぎに、判示第六のトヨタ自販及び同自工に対する金員要求については、被告人安倍において、最初は妹尾雅行運転のコロナマークⅡの事故に関する損害賠償として一億八千万円を請求すると主張したが、その後被告人両名において、妹尾車に欠陥があつたかどうかを問題とするものではなく、コロナマークⅡその他の、両会社の製造、販売する各種の車両(トヨタ車)に関して被告人松田ないしユーザーユニオンが有しているという欠陥情報を秘密裡に両会社に教えるから、両会社が政治的判断で、一億八千万円の範囲内で被告人らの納得する金額を提供することを要求するものである旨を主張するに至つたものである。すなわち、この金員要求は、いわば被告人松田ないしユーザーユニオンの有するトヨタ車の欠陥情報を、実質上妹尾車の事故の解決金を含む高額の金員で買うことを要求したもの、いいかえれば、そのような取引き契約の成立を前提として金員を要求したものであつて、これも前記「(イ)の場合」に当たるものである。

(権利の存在が明確でなかつた場合)

つぎに、右二つの場合を除いて、被告人らが各交渉において主張の基礎とした各損害賠償請求権の存在が果して明確であつたかどうか、いいかえれば、その発生原因事実について当時どの程度の証明があつたかとの点について見てみると、各行為についてそれぞれ判示したとおり、そのいずれをとつてみても、被告人両名が各交渉開始前(ないし交渉中)に得ていた資料ないし情報では、各車両に単に不具合、あるいは欠陥の疑いがあるという程度であつて、各車両に被告人らが当時主張した欠陥があるとの点について、したがつてまた(あるいは、事案によつては、欠陥があると仮定しても)、各損害がその欠陥から生じたものであるとの点について、確たる証拠は何もなかつたものである。その中でホンダN三六〇について見ても、被告人ら主張の、中高速走行時における操縦性、安定性不良と結びつく可能性のみる運動特性があつて、それが同車の欠陥であるとの点について、被告人両名は、当時、そのような運動特性があることの一応の資料を有していたことは認められるが、それが欠陥であることを客観的に実証するだけの確たる証拠はなく、また、西村事故の原因については、事故の態様等から被告人ら主張の欠陥によるものではないかと考えられたものの、確たる証拠はなかつたものである。

要するに、右各金員要求の基礎として主張された各損害賠償請求権の発生原因事実についての、各交渉当時における証明の程度は、右のようなものであつて、少なくとも民事訴訟において勝訴を期待し得る程度の、損害賠償請求権の存在についての証明はなかつたものであり(なお、近時、民事訴訟において、消費者が企業に対しその生産商品の欠陥を理由に損害賠償を請求するような場合には、消費者側の請求原因事実についての立証の負担を可及的に軽減しようとする法理を唱える見解があるが、その見解に従つてみても、右の結論に変更を来たすことはない。)、いずれもとうてい権利の存在が明確であつたということはできず、したがつて、前記「(ロ)の場合」に当たるものである。

なお、念のため付言すると、判示第一の金十六億円の金員要求の犯行におけるホンダN三六〇、及び判示第六の犯行におけるコロナマークⅡの各欠陥の主張、並びにそれらと損害との因果関係についても、右と同様である。

(本件各車両の欠陥の有無についての審理の限度)

ところで、本件訴訟において被告人らは、本件各示談交渉の対象とした各車両については、それぞれたしかに欠陥が存在した旨を述べ、また弁護人もその旨主張しているところ、当裁判所は、(それらの欠陥を理由とする損害賠償請求などの訴訟を審理する民事裁判所と異なり)それらの欠陥の有無を窮極的に審理したものではなく、本件各犯罪の成否の判断に必要な限度で審理し、その結果欠陥の証明の点について右に述べたような結果を得たものである。

ただ、ここで一歩下つて、かりに各交渉当時の被告人両名の立場から見たとしても、当時における被告人両名の入手していた証拠及び相手方各会社の見解等からすれば、当時各「欠陥」の存在を証明しようとすれば、その手段として民事裁判における詳しい審理が必要であるような状況であつたことは明らかであり、いいかえれば欠陥の存在が明瞭であつたということはできず、また、欠陥と損害との因果関係等の、損害賠償請求権のその他の発生原因事実の存在も明瞭ではなく、要するに、権利の存在が明確であるとはいえなかつたものであり、この「権利の存在が明確でなかつた」という事実は明白であつて、動かし得ないところである。そして、当裁判所は、以下に行うように、(権利が存在しない場合及び)権利の存在が明確でない場合における示談交渉の在り方という見地から違法性について検討を加える(そして、以下に述べるような結論に達する)ものである以上、各車両の欠陥の有無については、もはやこれ以上審理する必要はないものである(いいかえれば、各車両に被告人らが当時主張したような欠陥が客観的、窮極的に存在したかどうかによつて、本件各行為の違法性を否定すべきかどうか、ひいて有罪、無罪が決まるものではないのである。)。本論から逸れるが、念のため一言しておくものである。

(権利が不存在又は明確でない場合の示談交渉)

さて、被告人らの本件各行為は、以上のとおり、いずれも前記判例と事案を異にするものである。しかし、さらに進んで権利が存在しない場合、又はその存在が明確でない場合における示談交渉の方法はいかにあるべきかとの見地から、本件各行為を考察することにする。

思うに、いわゆる示談は、民事的紛争の解決手段の一つとして社会で広く行われているが、裁判ではなく一種の和解であるから、関係当事者の納得さえあれば、実体的権利の存在が客観的に明確である場合ばかりでなく、必ずしもこれが明確でない場合(前記(ロ)の場合)にも成立し得るものであり、たとえば、今日の社会に見られる、ある企業の生産する商品に欠陥があつて被害を受けたと主張する消費者とその企業との間の紛争などについても(それが民事訴訟に持ち込まれた場合の時間的、経済的負担を考えれば明らかであるように)、簡明な解決手段として有用性を発揮するものである。

また、権利は存在しないが、相手方に対しある契約の締結を求め、締結を前提としてその契約に基づく権利として一定の給付を求めることが示談交渉の名のもとに行われることも(前記「(イ)の場合」)、あり得ることである。

しかし、このように、権利が存在せず、あるいは権利の存在が明確でないのに、一定の財産上の給付を要求して示談の交渉(ある要求に基づく折衝といつた方が適切であろうが、ここでは用語にはこだわらない。)を行おうとする場合には、相手方に反対の意見のあることが当然考えられるのであるから、特に相手方の言い分に謙虚に耳を傾けるべきことはいうまでもないところである。すなわち、このような場合に示談交渉を行おうとすれば、請求する側で、自己の信ずるその請求の正当性を基礎づける事実上及び法律上の理由を開陳し、相手方の要求があれば資料を開示するなど相手方の納得に手を尽くし、また、相手方の反論に対してはその言い分を十分に聞き、その上で自己の請求について再検討を加えて、譲るべきところは譲るようにしなければならず、その結果、場合によつては、最終的に合意が得られず、自己の要求がとうてい通りそうにないと考えて、全面的な譲歩、すなわち請求の撤回ということも、もとよりあり得るところでなければならないのである。もし請求者としてこのような方法をあまりにもなまぬるいとして望まないのであれば、訴訟提起の方法を選ぶほかはなく、要するに権利が存在せず、又は不明確であるのに、示談交渉の名のもとに自己の要求だけを一方的に正しいものとして押しつけ、相手方の言い分もよく聞かずに、要求を応諾させようとして何らかの事柄に仮託して相手方の意思決定を強いることは、示談交渉の方法として明らかに相当でないといわなければならない。

そして、以上の理は、企業製品の欠陥の有無に関する消費者対企業の紛争の場合についても、損害原因の立証その他の点において一般的に消費者側に困難が多いからといつて異なるものではなく、また、節度と良識のある行動が期待されている法律家たる弁護士が中心となつて行う示談交渉については、いつそう強くあてはまるものである(なお、弁護士が示談交渉をするのはその業務としてするものであるからといつて、一般人がこれをする場合以上に、右のように相手方の意思決定を強いることが許されるものでないことはいうまでもない。)。

(本件各示談交渉の状況)

そこで、さきに認定した本件示談の状況を振り返つて見てみるのに、そのいずれにおいても、被告人両名は、当時における欠陥車問題に関する社会の動向ないし風潮、特に新聞等の報道機関の、欠陥車の摘発と追放を志向した強い姿勢、昭和四四年以来のニツサンエコーやホンダN三六〇関係の各事故についての告訴、告発、民事訴訟の提起その他数々の活動(第一節第一款(6)参照)に示した自己らないしユーザーユニオンの果敢な行動力、並びに右のような報道機関に対する自己らの強い影響力を背景に、激しい競争関係の中でみずからの製品が社会的に欠陥車として報道されることはもとより、欠陥車であるかのような印象を与える報道が行われることを強く恐れている自動車製造、販売会社の弱味を衝いて要求の実現を図つたものであるが、交渉にあたつては、いずれも常識的にも相手方が容易に、あるいはとうてい承諾することができないような法外な金額を請求し(弁護人は、被告人らの請求金額はいずれも不当に高額ではないと主張するが、各事案から見れば、各金額はいずれも請求額としても高額に過ぎることは明らかである。)、しかも、相手方に対し、その請求権の正当性を基礎づける事実上及び法律上の理由を十分に説明せず、これを曖昧にしたまま相手方から釈明を求められてもこれを拒絶し(弁護人は、被告人らがこのような態度をとつたのは、もし相手方の求めに応ずれば相手方が依頼者の懐柔や買収を図るおそれがあつたからであり、また、将来の訴訟提起に備えて証拠を保全しようとしたからである等と主張するが、被告人らの右のような態度を正当化する理由があつたとは認められない。)、あるいはおざなりな対応をし、また相手方がまじめに反論を提出し、又は新たな解決条件を提示しようとしても、「矮小だ」、「次元が低い」、「それは駄目だ」などと一蹴し、その言い分に全く耳を貸そうとせず、請求金額については当初の要求額から若干減額したり、あるいは若干減額の余地のあることを言つて、互譲の体裁をとつたものの、根本的には自己の主張に誤りはないと独断し、請求の当否自体、あるいは相手方の提案する別の解決方法(車両使用者と車両販売店との交渉など)についての検討を拒否し、相手方が被告人らの要求に応じない場合については、各行為についてそれぞれ認定したように、新聞等のマスコミに発表するなどのさまざまな手段で相手方を攻撃することを明示又は暗示し、もつぱら相手方の前記のような弱味を衝いて、相手方が被告人らの要求を拒否してその攻撃を受けた場合に被る損害と、被告人らの要求を応諾してその攻撃を免れ、交渉内容も秘匿される場合の損害の回避とを比較すれば、後者の方が有利なことは容易にわかるはずだと説き、もつて利害を打算して被告人らの要求に応ずるように迫つたものである。

もとより被告人らが各交渉において攻撃手段として明示又は暗示した、報道機関に情報を提供し、民事訴訟を提起し、刑事事件として告訴、告発をし、あるいは国会や行政官庁に調査を促すなどの行動は、それ自体としては自由であるとともに(誣告罪、信用毀損罪のような犯罪を構成する行動は別論である。)、示談交渉にあたつて、もし交渉が決裂したときには民事訴訟を提起すると予告することは、通常それ自体当然のことであり、また、報道機関への情報の提供、告訴、告発、国会や行政官庁に調査を促すこと等の行動を予告し、あるいは示唆して相手方をして利害を打算させ、交渉を有利に進めようとすることも、それが常に相当でないというものではないであろう。しかし、本件において被告人らが相手方に対し右のような行動に出ることを予告し、あるいは示唆したのは、前記認定事実によれば、単なる説得方法や交渉上の駈け引きではなく、もつぱら相手方の弱味を衝いて強引に自己の要求を通そうとして、相手方の意思決定を強制する手段としてしたものであることは明らかであつて、その通そうとした要求が、前述のとおり権利がなく、又は権利が不明確で、相手方にも大いに反論の余地のある事項についての、相手方が容易に、又はとうてい納得し得ないような高額の金員要求であつたことをも考慮すれば、方法として明かに相当ではないといわなければならない。

なお、被告人らは、本件交渉中若干の場合においては、アメリカにおけるネーダー・グループとの連繋ぶりを示し、相手方会社が要求に応じないときはその輸出車両にも欠陥車摘発の名のもと被害を及ぼし兼ねないような行動に出る旨を、さらには相手方会社の、交渉対象車両以外の別の主要製品をも攻撃する旨を示唆し(本田技研、日産自動車、日野自販、判示第六のトヨタ自販及び同自工に対する各犯行等)、あるいはそのような事実がないのに「ある国会議員がこの問題を国会ち出そうとしているが、自分がこれを抑えている」等の虚言を弄し(日産自動車に対する犯行等)、時には相手方会社に背任、横領事件があり、株主総会で問題にする旨のことをいい(日産自動車に対する犯行)、また時には交渉途中において交渉内容の情報を新聞記者に提供し、新聞記事にさせて相手方に圧力をかけているが(日産自動車、判示第三のトヨタ自販及び同自工に対する各犯行)、これらはいずれも相手方の意思決定を強いる手段としてしたものであることは明らかであつて、その相当でないことは右と同様である。

また、本件各交渉の際の被告人安倍の話しぶりが、その口調において激越したものではなく、時に笑声を誘うようなものであつたとしても、その内容において極めて厳しいものであり、優に相手方を畏怖させるに足りるものであつたことは、前記認定事実の示すところである。

(各行為の動機と結果)

被告人両名の本件各行為の動機は、すでにそれぞれの行為について認定したとおりであつて、概括的にいえば、示談交渉を成功させて多額の金員を取得し、依頼者らの期待に応えるとともに、その一部を弁護士報酬としてユーザーユニオンにもたらして利得とし、同ユニオンの財政難打開を図る一方法としようとしたものである。

また、各行為の結果も、それぞれ認定したとおりであつて、既遂の各件の喝取金額はいずれも甚だ高額であり、さらに、既遂、未遂を問わず、脅迫の状況は甚だ激しいものであつたため、相手方関係者らに与えた心労もまた大きいものがあつたのである。

(消費者運動との関係)

弁護人は、被告人両名の本件各行為は、今日の社会における消費者運動の一典型であり、社会的に価値を認められるべき行為である旨述べている。

思うに、今日の社会における消費者運動を明快に定義することは困難であるが、企業の大量生産商品を使用する一般消費者が、それらの商品に欠陥があることを指摘し、企業に対しその改善措置を要求することが消費者運動の重要な一分野であることは明らかであり、それがそれ自体として社会的に有意義な活動であることは疑いのないところである。また、企業に対し、改善措置要求と並んで、その商品の欠陥により受けた損害につき賠償措置を要求することも、消費者運動の観念の中に入れて考えられてよい場合もあるであろう。しかし、いずれにしても、消費者運動として特に社会的に価値が承認されるためには、その運動ないし活動が、多数の消費者の中の特定の一部の者の利益だけを目指すものではなく、それを超えて、他の多くの一般消費者の利益にも向けられていることが、一つの必要条件であろう。

ところが、この観点から被告人両名の本件各行為を見ると、前記認定のとおり、被告人らは、本件各示談交渉のいずれにおいても、もし相手方会社が被告人らの要求に応じなければ交渉対象車両の欠陥が社会に報道されることになるのに反し、もし被告人らの要求に応じて示談をすれば、車両の欠陥の指摘その他の交渉ないし示談の内容が報道されることのないように秘密を守る旨を申し向け、それを前提として要求に応ずるように相手方に迫り、そして成立させた三件の示談の中にはいずれもその旨の条項が見られ、中には合意は会社が当該車両に関する相手当事者の主張を認めたことを意味しない旨の条項までが設けられた(判示第三のトヨタ自販及び同自工に対する犯行)というものであつた。しかし、もしも被告人両各が各交渉当時主張したように、車両に欠陥があるのに、それが秘密にされ、一般に報道されないならば、多数の欠陥車がそのまま社会に放置されることになる。

この点について、被告人安倍は、当公判廷で、このような方法は理想的なものではないが、強大な自動車製造、販売企業に対しては訴訟一本槍の戦闘手段では目前の被害者を短期間に救済することはできず、やむを得ず妥協的にこのような方法を選んだものであり、その車両の同型車については、爾後は、相手方会社の自主的な回収措置に期待するとともに、損害を受けた車両使用者に対する補償措置は各車両使用者と各車両販売店(デイーラー)との間の個別的な交渉に委ねられ、「ルーテイーン」化され、それによつて他の一般の車両使用者の保護、救済が図られることになると考えたと弁解している。

しかし、本件において、相手方各会社は、(たとい不承不承にせよ)車両の欠陥を認めたから被告人らとの交渉に応じ、そのうち三件について示談をしたものではなく、むしろ欠陥を強く否定しつつ、被告人らの要求を拒否した場合にその攻撃を受けて大きな損害を被ることを恐れてやむを得ずそのようにしたものであり(被告人らと示談をした各会社にとつては、示談は、いわば当面の厄介払いのようなものであつたといえよう。)、しかも、その上に、示談の中に前述の秘密を守る旨の条項や、さらには欠陥を認めない旨の条項まで設けられるのであれば、爾後の、その自主的な回収措置や補償交渉の「ルーテイーン」化などの期待できないことは、あまりにも明らかであるといわなければならない。

もしもこの社会に欠陥車だと信ずる車両が存在し、それが横行しているというのであれば、それを放置するのは甚だ危険なことであるから、消費者運動家でなくても、誰でもまずもつて適当な手段で社会に警告し、製造、販売会社に対策を講ずるように要求するはずである。もつとも、被告人らも、ホンダN三六〇の「欠陥」については、その意見を運輸省や国会に訴える等して社会に警告するとともに対策がとられるように努力したことは認められるが、場面が本田技研との示談交渉に移るや、この努力は後退し、西村事故についての合意(示談)の中には守秘条項があり、その他の件の交渉においても被害者同盟所属の賠償請求者らに対する金銭的利益(賠償措置)は考慮されたとしても、それ以外の一般車両使用者の保護、救済ということがどこまで被告人らの念頭にあつたかについては疑問を免れない(なお、本田技研がN三六〇の「欠陥」を認めることになるような、示談成立後の共同声明の発表に反対していたことは、さきに認定したとおりである。)。本件各示談交渉ないし示談における被告人らの右のような態度は、被告人両名の車両「欠陥」ないしその危険性の程度についての認識がどのようなものであつたのかと疑わせると同時に、本件各行為の目標が、欠陥車を速やかに追放して大衆の危険を救うということにはなく、示談を成立させることそのことにあつたと認められてもやむを得ないであろう(このことを示す被告人両名の言動は、前記認定事実の中に見られるとおり数多いが、とりわけ判示第六のトヨタ自販及び同自工に対する交渉における被告人安倍の「私は誠意を出してくれた企業を後から斬りつけるようなことはしない」との発言、また、被告人松田の「亡くなつた二人には申しわけないが、二人に欠陥を背負つてもらつて三途の川に流そうや」との発言は、その場の折衝の勢いから思わず漏らしたものであろうが、甚だ印象的である。)。たまたま被告人らの依頼者となつた車両使用者だけが(高額の)賠償を受け、また被告人らも弁護士報酬等として多額の金員をユーザーユニオンにもたらすことができるが、その車両の「欠陥」は結局は隠蔽され、ないしは放置されて、一般の車両使用者大衆はその「欠陥」にさらされたままであるという結果となるような示談ないしそれを目的とした行動は、単なる賠償獲得行為ないしはその要求行為にすぎず、たといそれがみずからを消費者運動と名づけようとも、本来消費者運動の理念に沿わないもの、ないしは、前述の、消費者運動として特に社会に価値が承認される部類には入らないものといわなければならない。そして、被告人安倍の行為は、この面に関していうかぎり、依頼者のためにその利益を目指して相手方と折衝する弁護士の普通の業務以上のものではなかつたのである。

(結論)

以上のとおり、被告人両名の本件各行為における要求の内容、要求の具体的方法、動機、結果、消費者運動との関係等を総合して考察すれば、各行為が権利の行使、弁護士の業務行為、又は社会的相当性のある行為であるとしてその違法性を否定すべき理由を見出し得ないのである。

なお、前述の判例も、権利の行使を理由に恐喝罪の成立が阻却されるための一要件として、行使の方法が「社会通念上一般に忍容すべきものと認められる程度を超えない」ことを判示しているが、かりにこの判例の見地から本件を見るとしても、被告人両名の本件各行為の方法がいずれも右の程度を超えていたことは明らかである。

(付言)

以上の判断と関連して、つぎの二点を付け加えたい。

(一)  まず、被告人両名は、本件各依頼者から依頼を受け、示談交渉を開始する前に、まず車両の欠陥の有無及びそれと損害との因果関係をさらに詳しく調査し(もつとも、ホンダN三六〇の欠陥の有無の点だけはかなり詳しく調査した。)、その結果、万一成算があるとして示談交渉を始めることにした場合には、交渉にあたつて自己の主張の説明に委曲を尽くし、相手方の反論にも耳を傾け、その上で合意ができないのであれば、堂々と民事訴訟を提起すべきであつた。それをしないで、要求に応じない場合には欠陥車として発表するなどの、前記認定のような強い脅迫手段を弄し、相手方に威圧を加え、多額の金員を獲得し、又は獲得しようとしたことに違法性がないとすることはできないのである。民事訴訟では手段として迂遠であり、早急の依頼者救済に役立たないとして、そのことから直ちに右のような脅迫手段を用いることを正当化し得ないことは当然である。もし被告人らが、この社会には欠陥車が横行していて、その使用者の救済や事故の予防が焦眉の急であるが、これらを実現するためには、既存の制度では足りず、特別の制度が必要であると考えたのであれば、それこそ自己の所信を報道機関に明らかにし、立法行政機関に陳情する等の方法で努力すべきであつたであろう。

(二)  つぎに、以上に説示したことろは、たまたま車両の欠陥の存在について確たる証拠のないまま示談の交渉をしたという事件(本件)について、その事案に即して、もつぱら刑法上の違法性が阻却されない理由を述べたものであつて、以上の説示上も明らかであるように、何も、消費者が企業に対しその生産商品の欠陥を理由として損害賠償請求等のクレームを行う場合に、欠陥の存在について確たる証拠がなければ示談の交渉すらできないなどといつているものではない。また、消費者が右のような理由で企業にクレームを行う場合に、欠陥の存在についてどの程度の証拠があればよいのか、企業が示談交渉に応じない場合に常に直ちに民事訴訟の手段に頼らなければならないものかどうか、もつと簡易な解決方法が制度的にも考えられないものであろうか等の問題があるであろうが、それらに対して何らかの回答をすることは、本判決における判断上必要な範囲の外にあることであり、当裁判所は、それらについて有効な見解なり提案なりを発表し得る立場にはないものである。刑事裁判所は、どこまでも認定した所与の事実関係を前提として、有罪無罪の判断をするのを使命とし、その判断に必要な事項以外のことについて意見を述べるべき立場にはなく、右のような問題は、まさに、それぞれ所轄の立法行政機関ないし専門の、あるいは関心ある人々による検討に待たなければならないものである。

さらに、これまたいうまでもないことであるが、この判決は、ある消費者の企業に対する行為が恐喝罪、脅迫罪等の犯罪構成要件に該当するとされた場合において、その主張にかかる商品の欠陥につき確たる証拠がなければ、あるいは交渉の場面において少しでも相手方の意思決定を強制するような言辞があれば、常に犯罪の成立を免れないなどということを述べているものではなく、そのような行為について刑法上の違法性を否定する余地がないかどうかは、この判決において行つたように、具体的事案に即して行為の動機、方法、結果の諸事情を総合的に考慮して判断されるべき性質のものである。行為者が消費者の代理人である弁護士である場合も同様である。

第五節  被告人両名の情状

最後に、被告人両名の情状(刑の量定の理由)について述べることにする。

(犯行の動機)

被告人両名は、すでに認定したとおり、その設立したユーザーユニオンが主として機関誌の売行きや会員増加の不振から印刷会社に対する未払代金を中心として昭和四六年三月ごろ以降常時約二千万円前後もの債務を負うに至り(これは結局は被告人両名が始末すべきものである。)、対策に焦慮して、自動車製造、販売会社に対する、金銭補償を伴うクレーム交渉を活発化させ、その取得する手数料を増加させ、もつてユーザーユニオンの財政難を打開しようと意図し、ついに軌道を大きく逸脱して本件各犯行に至つたものであるが、特に同年七月を最後としていわば頼みの綱の、既述の内野庄八及び長尾豊からの資金援助も途絶えるに至つて、右意図がいつそう高じたものと認められる。もとよりそこには、被告人らを頼つて来た各依頼者らの期待に応えて示談を成功させたいという気持も働いており、ことに本田技研に対する極めて多額の金員要求を伴う示談交渉などは、ホンダN三六〇全国被害者同盟の要望を背景に、それを実現して同盟の期待に応えるとともに、そうなれば消費者運動家としての自己らの名声も大いに上るであろうとの願望も存したものと考えなければ、理解し難いものである。

(犯行の方法)

そして、各犯行の方法は、それぞれの金員要求の基礎となる権利が存在せず、又はその存在が甚だ不明確であるのに、当時における欠陥車問題に関する社会の動向、特に欠陥車の摘発と追放を志向した新聞等のマスコミの強い報道姿勢、被告人らないしユーザーユニオンの果敢な行動力、並びにそのマスコミに対する被告人らの強い影響力を背景に、相手方会社がいずれも激しい競争関係の中にあつて自己の製品が欠陥車として、ないしは欠陥車であるかのような印象を与えて社会に報道されることを極度に恐れている弱味を衝いて、示談金の名目下に高額の金員を要求したものであるが、各示談交渉にあつては、相手方の反論に全く耳を貸さず、相手方に対し、被告人らの要求に応じない場合には、新聞等のマスコミにその「欠陥」を発表し、機関誌「ジヤツクフ」で取り上げ、「欠陥」を理由として民事訴訟(集団訴訟を含む。)を提起し、会社幹部らを告訴、告発し、国会や運輸省などに調査を促し、あるいはアメリカのネーダー・グループにも通報し、また、交渉対象車両以外の主要製品をも問題にし、さらには相手方会社内に醜聞があるとしてこれを摘発する等の、さまざまな手段で攻撃する旨を明示又は暗示し、しかもその際には、時に「国会議員が国会で問題にするといつているが、私が抑えている」等の虚言を弄し、また、「私は考えが日々新たになる。過去のことにとらわれるのは矮小だ」等と前言に反することを平然と主張し、さらには交渉中その情報を新聞記者に伝え新聞記事にさせて相手方に圧力をかける等々、相手方を翻弄しつつ強く脅迫し、そして、このような攻撃を受けることによつて被る相手方の販売業績及び信用上の損失と、被告人らの要求に応じた場合の、このような攻撃を受けず、交渉内容も秘匿されることによる損害の回避と比較衡量して考えよと説き、時には相手方と競争関係にある他社の製品を攻撃する予定があり、この際被告人らの要求に応じて多額の示談金を支払つても、後に大きな利益を得る旨を述べるなどし、常套句のように「私の要求を一諾で決められないような器量人のいない企業は滅びる」、「要求に応ずるかどうかはロジツクでなくポリテイツクスの問題である」などといい、欠陥の有無や賠償費目の詮索などの「細かいこと」をいわずに政治的見地から要求を応諾せよと迫つたものであつて、かかる脅迫の状況は、まことに峻烈かつ執拗であつたといわざるを得ない。

なお、ここで特に注目されるのは、被告人両名が、国会に対し調査を促し、審議を求める行動に出ることを相手方に対する一つの脅迫言辞として用いたことである。さきに認定したとおり、被告人らは、昭和四五年には国会に対しホンダN三六〇は欠陥車であり、徹底的に調査されたい等の趣旨の陳情をし、さらにそのための資料を提供し、その結果国会の各委員会で熱心な審議が行われたのである。この被告人らの国会に対する行動の趣旨は、単にホンダN三六〇ばかりでなく、世の中の欠陥車一般に対する、国の施策としての監視や規制を厳しくして、国民大衆の保護を図つてもらいたいとのことも含んでいたことはいうまでもない。ところが、被告人らは、その後の本件交渉にあたつては、相手方に対し、右のような自己らの国会に対する行動実績を背景にしつつ、自己らの要求に応じなければ国会に調査方を働きかけ、あるいは国会に出す資料にありのままを書くが、要求に応ずれば、そのようなことをせず、資料を書くにしても手心を加える旨を明示又は暗示して脅迫したものである。自己らのいうことを聞けば、「欠陥」も秘匿するというのである。国会に対するさきの行動と比べると、まことに常識的にも前後理解し難い言動であり、国会に対しあまりにも不誠実であるとの批判を免れることはできないであろう。

(犯行の回数と期間)

また、軽視し得ないのは、犯行の回数と期間であつて、もし犯行が一、二回で短期間のものであつたとすれば、あるいは場合によりクレーム交渉の単純な行過ぎと見る余地もあろうが、本件各犯行は、その中の最も早い着手時期(昭和四六年三月)から数えて八か月の間にも及び、回数も七件(うち二件は包括一罪)に達しているのであつて、被告人両名は、その間において自己らの行動を自省してみるのに十分な期間があつたと同時に、各犯行はそれだけ意欲的な意図のもとに遂行されたと認めざるを得ないのである。

(相手方各会社に与えた影響)

このようにして、各犯行のうち恐喝既遂事件は三件、喝取金額は合計九千七百五十万円に達し、被害会社三社は、いずれも、被告人らの要求を拒否した場合に、被告人らの攻撃により販売業績及び信用上甚大な損害を受けることを畏怖し、やむを得ず支払う理由もない多額の金員を提供したものである(なお、この金員の処分は、前記認定のとおりであるが、そのうち合計六千二百二十万円は被告人安倍が代理した各依頼者本人に渡つている。しかし、被害各社からすれば、営業政策上の見舞金程度のものは提供する用意はあつたとしても、右のような高額金を被告人らの要求に応じた形で提供すべき何らの理由もないのに提供させられたという点では、その余の金員と変りはないものである。)。これを被告人らの側からいえば、被告人らは、民事訴訟等のまともな手段ではとうてい取得できない金員(しかも高金額)を取得し、各依頼者に思いもかけない多額の利得をもたらし、みずからも、ユーザーユニオンの資金に帰するものではあるが、弁護士報酬及び依頼者からの寄付の名目下に多額の利得をしたものである。また、恐喝未遂事件は四件、要求金額は十八億九千八百五十四万円に及び(もつとも、被告人らは、実際の示談金額については、若干譲歩の余地のあることを相手方に示していた。)、相手方四社をして被告人らの要求を応諾した場合及びこれを拒否した場合におけるそれぞれの損害について強く畏怖させたものである(なお、自動車販売会社では、一般に、車両使用者からのクレームに対する対策費というものが予算上準備されているようであるが、被告人らが本件各金員要求にあたつてこれを目標としたのであつたとしても、これらのことが恐喝又はその未遂の罪を構成するような行為の弁解になるものではない。また、前記認定のとおり、本田技研では、ホンダN三六〇全国被害者同盟に対し見舞金、弔慰金、援助金として総額三億円を提供する用意があるとの意向を示したことがあり、被告人らが本田技研から八千万円もの高額の金員を喝取し得た下地としてはそのような本田技研の事情もあつたことは認められるが、しかし、喝取した八千万円は、もとより右の見舞金等と趣旨を異にするものであり、また、その配分内容も全く同社の関知しないところであつて、要するに、同社が右のような意向を示したことをもつて、喝取行為及びその後の喝取未遂行為の弁解とすることはできないのである。)。

そして、被告人らの要求を拒否した場合にその攻撃によつて被る相手方各会社の損害は、単にその会社だけに止まらず、直ちに関連ないし傘下各企業にも及ぶべきものであつて、被告人らの脅迫を受け、諾否の態度決定を迫られた各会社当事者の畏怖は、それだけに大きいものがあつたのである。

このように、本件各犯行が相手方会社に与えた影響は、喝取金員が甚だ高額であつたことのほかに、既遂、未遂のいずれについても、被告人らの当の交渉相手となつた者らはもとより、その報告を聞く幹部、技術者等の関係者一同の受けた心労の点においてもすこぶる大きいものがあつたことを考えなければならない。

ちなみに、前述のような、当時における欠陥車問題に関する社会の動向、特に新聞等のマスコミの報道姿勢、被告人両名の行動力、そのマスコミに対する影響力、さらに各自動車製造、販売会社間の激しい競争関係等の事情を考えるならば、相手方各会社が、その製品には被告人ら主張のような欠陥はないと確信しつつも、なお被告人らの攻撃とそれによつて被る損害を恐れたのはまことに無理からぬところと認められるのであつて、各会社が被告人らの要求を断然拒否することをしないで、被告人らとの交渉に応じたことをもつて姑息な態度として批判することはできないのである。

(犯行における被告人両名の各役割)

さらに、本件各犯行における被告人両名の役割を見ると、行為の実行の面において、いずれの犯行についても被告人安倍は主導的であり、被告人松田は若干追随的であつたと認められ、情状に若干の軽重の差があることは否めない。しかし、被告人松田は、ひとえに追随的であつたものではなく、被告人安倍が相手方に主張した車両の欠陥性は被告人松田の判断に依拠したものであり、また、同被告人は、いずれの犯行についても、一部実行行為中の主要な場面に参加し、厳しい脅迫行為に及んでいるなど、その役割は決して小さくはなかつたものである。

(被告人両名の社会的立場)

被告人安倍は、現職の弁護士であり、自己及び同僚の被告人松田の行動がかりにも違法行為の領域に踏み込むことのないように自戒しなければならない立場にあつたものである。そして、被告人松田及び同安倍は、みずから発起してユーザーユニオンを設立し、その専務理事兼事務局長、あるいは監事兼顧問弁護士となり、自動車に関する消費者運動の先導者をもつてみずから任じていたもので、ユーザーユニオンの会員をはじめ人々の期待を担つた地位にあつたのであるから、その運動の主要な相手である自動車製造、販売会社に対して多額の金銭要求を伴う行動をするには、特に慎重でなければならなかつたものである。

(消費者運動との関係)

被告人両名の本件各犯行といわゆる消費者運動との関係については、さきにも述べたところであるが、被告人両名は、自動車に関する一種の消費者運動を行おうと企図してユーザーユニオンを設立したものであるところ、同ユニオンは、その純粋な意図自体は消費者運動の趣旨に沿うものであり、また、その活動において自動車に関する消費者運動に貢献したところがあるのは否定し得ない(なお、さきに認定したとおり、同ユニオンは、特定の自動車販売代理店の経営者らから多額の資金援助を受けたり、売れ残つた大量の機関誌を若干の自動車製造販売会社に売りつけて引き取つてもらつたりしていることなど、消費者団体としての純粋性に首をかしげさせるところがあること等々の理由から、本件を除外しても、なお、評価について断定を避けざるを得ない。)。しかし、少なくとも、被告人両名の本件各行為は、前述のとおり、当該依頼者以外の一般の車両使用者(消費者大衆)の利益を目指したものではない点において、さらに、その手段方法が犯罪を構成するような激烈なものである点において、消費者運動として特に社会的に価値が承認される部類の行動には属するものとは認められないのである。

(被告人両名の反省の有無)

被告人両名は、いずれも自己らの行動をもつて正当な示談交渉であるとし、犯罪を構成することを認めず、したがつて、喝取した金員を当該被害会社に弁償し、又はその努力をすることはもとより、相手方各会社に対しそれぞれ謝罪の意を表することもしていないもので、自己らの行為を反省するという態度は全く窺われないのである(相手方に与えた被害額が本件と比べものにならないような比較的少額の財産犯の事件でも、被告人が被害者に謝罪し、弁償に努めるというのが、普通ではなかろうか。)。

(責任の重さ)

以上のとおり、被告人両名の本件各犯行の動機、方法、回数と期間、相手方各会社に与えた影響、被告人両名の犯行における各役割等を考察し、特に犯行の方法の点及び相手方各会社に与えた影響の点についての犯情を考慮するならば、本件犯行に対する責任は、両名の間に若干の軽重の差異はあるものの、いずれも重いといわなければならない。そして、消費者運動との関係、あるいは被告人両名の反省の有無については、右のとおりであつて、そこに酌量すべきものを見出し得ないのである。

(本件犯行の原因)

本件は、もと検察官であり、現に弁護士である者と、教養のあるべき自動車技術者とが共同して罪を犯したものであり、しかも、その犯行の内容、特に方法の特異性、要求ないし取得金額の高額さ等において普通の恐喝事犯と比べて並外れた特色のあるものであつて、一般世人をして驚愕させるのに十分であるが、その原因を考えると、要するに、ユーザーユニオンの財政状態の窮迫に対する焦慮、欠陥車の摘発と追放に強く傾いていた当時の社会の動向(時流)、特に新聞等のマスコミの報道姿勢、そして、自分らは自動車に関する消費者運動の先導者であるとともに、マスコミその他の社会の動きは常に自分らの味方であるとの自負、それに被告人両名それぞれの固有の性格が、相寄り相待つて本件各犯行に至つたものと認められるのである。

なお、本件各犯行の素地として、右のような社会の動向、特に当時の新聞等のマスコミにおける、欠陥車の摘発と追放ということに甚だ性急な、すなわち、十分な調査と配慮を欠いた報道姿勢が存在したことは明らかであり、このような素地なくしては本件各犯行もなされ得なかつたと認められるが、被告人両名は、このような社会の動向を犯行に利用したことにおいて非難を免れることができない。

(被告人らの有利な情状)

ここで翻つて考えると、(イ)被告人両名には前料なく、本件が初犯であること(もつとも、被告人松田には道路交通関係の古い罰金の前科がある。)、(ロ)被告人両名の、ユーザーユニオン設立前からその後に及ぶ精力的な活動は、行き過ぎた面はあるが、いわゆる欠陥車問題とその対策というものが社会的に広く考えられるに至つたことに寄与したと思われること、(ハ)被告人両名の本件各犯行の動機は前述のとおりであつて、各被害者から見れば関わりのないこととはいえ、利得を自己のポケツトマネーに注ぎ込もうとしたものではないこと、(ニ)被告人両名は、それぞれ弁護士、あるいは団体役員としてもともと有意義な職業に従事しており、また、いずれも家庭にあつて生活の支柱であること等の情状は認められるのである。

(結語)

当裁判所は、大要以上に述べた諸般の情状を考慮し、結局、前記各宣告刑を相当にしてやむを得ないものと認め、かつ、被告人両名のいずれについても刑の執行猶予を相当とする事由は見出し得ないと判断した次第である。

よつて主文のとおり判決する。

(大久保太郎 渡辺忠嗣 加藤新太郎)

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